藤棚の下

夜になっても宴は続いていた。
昼は暑いほどであったが、陽が落ちるとともに急激に寒くなり、震えが足からのぼってきた。
俺は少し飲み過ぎたように思い、独りで散歩に出た。
宮廷の庭はとても広く、様々な花が咲き誇り、その匂いが混ざりあい不思議な調和を成していた。初夏の香りだ。

俺は、酔っているのか。
それとも、庭自体が酔っているのか。
花々の中を歩きながら、俺はいつしか藤棚の下にたどり着いていた。

昼間とても晴れたおかげで、星の落ちそうな夜空だった。
銀色のたくさんの星が震えるこの空のもと、花の根元から濃い紫、青、白と少しずつ色を重ね変える藤の房は、まるで愛らしい獣の尻尾のようだった。
濃い夜に浮かび上がるような藤の色。ふわふわと香る。

花びら、揺れる。
甘い香り、震える。
夜風に誘われ、俺は、藤を見ながらゆっくりと歩いた。
ふと、目の前に、
藤の花を抱いたあの美しい白拍子が立っていた。

釣り目気味の目が、真っ直ぐに俺を見ていた。
昼間真っ白だと思った水干は、夜の帳が下り少し黄色がかって見え、
その裾から見える足はやはり真っ直ぐだった。
「花泥棒だ、私は」

その白拍子が発した言葉に、俺は思わず目をむいた。
低い。声変わりの最中の声か。がさついている。
驚いた。

舞う姿はあんなにも艶やかでにおい立つよう、そして性別を超越していたのに。
言われてみればその成長途中の顔立ちは、これからどちらの性別に成長しても違和感はなかった。むしろ、今のままで成長を止めてしまいたいくらいに美しかった。
なるほど。それで舞いの時、歌わなかったのか。この声をかくすため。けなげなことだ。

「宮廷の花を盗んでどこへ行く?」
俺がそう聞くと、少女は困ったように首を傾げた。それすら舞のひとつのよう。
「私の家には、このような美しいものは何もない」
言外に、その花を持って行きたい誰かがいると言うよう。
「お母様上か」
「えぇ」
一瞬、恋人かと思った。どきりとした。
「宮廷の花を盗むのはまずい。そうだ。私の家の庭から採って行くと良い」

「本当に?」
少女はいぶかしげにそう言って、また少し首を傾げた。
その瞬間、
くくっていた髪が解け、サラサラと、絹糸のような黒髪が白い頬にかかった。
美しい。本当に美しい。
白い頬と黒い髪が絶妙な調和を成し、そこに藤の花びらが降り注ぐ。
あぁ、ここは、夢幻の入り口なのか。

「少将殿。どこへ参られた。もう一献いかがです?」

後ろから声をかけられて振り向いた瞬間、ふわりと甘く何かが香った。
そして、俺の片頬に吹きつけた花弁。
気がついたら、
藤棚の下に彼女の姿はなく、ただ、藤が揺れるのみ。
ただ、
あおい夜空に藤の重ねが揺れるのみ。


2025.03.21
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