第三章 君に救われた日。
でもーー。
あんな優しい表情で、あんな優しい言葉をかけられたら、ずっと押さえ込んできた気持ちが溢れそうになる。
私は教室には戻らず、いつものトイレに駆け込んだ。我慢していた涙が、まるてわ汗みたいにポロポロとこぼれ落ちる。
その頃、屋上に残った會野くんは、授業が始まっても私が戻ってこないことを不思議に思い、何人かの友達に私の行方を尋ねていた。
「宮本さん? いや、見てないな。」「宮本? そんな奴いたっけ?」そんな返事ばかり返ってくる。普段から目立たない私を探すのは、簡単なことじゃなかった。
そのまま、私はトイレから出ることなく時間が過ぎ會野くんと顔を合わせることもなく、気づけば放課後になっていた。
みんなが部活に向かうのを確認してから、私はようやく荷物を取りに教室へ戻った。部活に入っていない生徒が何人か残っていたけれど、會野くんの姿は見当たらない。
「もう帰ったのかな……。まぁ、別にどうでもいいけど。」
そう思いながらも、少しだけ申し訳なさを感じつつ、自分の机を片付けてバッグを肩にかける。そして、いつも通り秘密の通学路へ足を向けた。
そのときーー。
ピロリン。
突然、携帯の着信音が鳴った。
「え……?」
友達もほとんどおらず、連絡先に誰も追加していない私に電話がかかってくることなんて滅多にない。驚いて肩がビクッと跳ねる。辺りを見渡すと、人気のない道には古びた家が並んでいるだけ。
それなのにーー。
ピロリン
また鳴った。
「……私の携帯?」
戸惑いながらポケットから携帯を取り出し、恐る恐る画面を覗き込む。そこに表示された名前を見て、私は息をのんだ。
「この名前……。」
画面を見た瞬間、足が止まった。
「會野 裕」
そこには彼の名前と、「新着メッセージ(二)」の通知。
「……え?」
どうして彼が私の連絡先を? 驚きのあまり、思わず口が開いたまま動かない。震える指でゆっくりと画面をスライドし、トークを開く。
するとーー
會野裕
「今日はいきなりあんなこと聞いてごめん。」
「もし、なんかあったらここに連絡しろよ! また明日な」
真っ白なトーク画面に、短いメッセージが二つだけ並んでいた。
また、涙が滲みそうになる。
私はそっと携帯を握りしめ、胸に押し当てた。完全に彼を信用したわけじゃない。でも、この言葉がどうしようもなく胸に刺さる。
「……なんで、こんなに関わろうとしてくるのよ。」
そう呟いたものの、ブロックする気にはなれなかった。
メッセージは返信せず、既読だけつける。そして、そのままスマホをポケットにしまい、家へと歩き出した。
「ただいま。」
玄関に足を踏み入れた瞬間、リビングの方から壮絶な物音が響いた。
「おい、帰ってきたなら早くこっちこい!」
荒れた、汚い声かわ飛んでくる。
「はい……」
恐る恐る返事をしながらリビングへ向かうと、そこにはお酒に酔い、怒りにまかせて暴れる母の姿があった。
「お前がいるせいで、みんな逃げてくんだよ! 飯代もかかるし、降ろせたならどんなによかったか!」
「……ごめんなさい。」
もう何度も聞いた言葉なのに、慣れることなんてできなかった。母の荒れ方はいつも以上で、テーブルの上には乱雑に置かれたお酒の缶と、スマホの通知が光っていた。ふと目をやると、その画面にはーー
『離婚の話、ちゃんとしよう』
父からのメッセージだった。
「……やっぱり。」
どこかでは予想していた。母のこの態度を見れば、理由がわかる気がした。怒鳴り散らし、お酒に逃げる母。それに耐えきれず、父がついに離婚を決意したのだ。
まるで、すべて私のせいだと言わんばかりに、母は小言をぶつぶつと呟きながら、またお酒をあおる。まともに相手をしていたら、こっちが壊れそうだった。母が酔いつぶれて我を忘れている隙に、私は静かに立ち上がり、自分の部屋に向かう。
でも、そこで目にした光景に、息が詰まった。
「え……なにこれ……?」
ドアを開けた瞬間、目の前に広がっていたのは、荒れ果てた部屋だった。
まるで、泥棒が入ったみたいに、いや、それ以上にめちゃくちゃにされていた。クローゼットの扉は開きっぱなしで、中の服は引きずり出され、無惨に破られている。机の上のものも、すべて床に投げ捨てられていた。
そしてーー
唯一、幼い頃に父と一緒に撮った、この世にたった一枚しかない写真。それさえも、ビリビリに破れ、床に散らばっていた。
「……嘘でしょ……?」
持っていたスクールバックが、ドスンと床に落ちる。震える手で写真の破片を拾い上げるけど、どれだけ集めても、元には戻らない。
喉の奥が締めつけられ、息が苦しくなる。
「なんで……。」
なぜこんなことをするのか理由なんて、考えるまでもなかった。
「もう……やだ……無理だよ……」
力が抜けて、その場にしゃがみ込む。
胸の奥がズキズキと痛む。
まるで心が何かに押し潰されたみたいだった。もう何もかも嫌だった。全部投げ捨ててしまいたい。
気づけば、目の前がぼやけていく。頬を伝う涙が、次々と床に落ちる。震える手が無意識にポケットを探り、携帯を取り出していた。
プルルル。
静まり返った部屋に、コール音が響く。
プチッ。
「はい!もしもし!」
「……っ!」
携帯の向こうから聞こえた、少し驚いたような彼の声。その瞬間、ずっとこらえていたはずのものが、一気に溢れ出した。
一粒の涙が、頬を温かく濡らしていく。
「もしもし?」
二回目の彼の声で、ようやく我に返ったら、慌てて口を開く。
「あ、わ、私……かえでです……!」
「おおー! 電話くれるなんて嬉しいけど……もしかして、何かあったのか?」
「……會野くん……」
声が震えた。
「會野くんのこと……頼ってもいい?」
涙を堪えようとするほど、喉が締めつけられる。鼻の奥がツンと痛くて、言葉もうまく出てこない。
「おう! もちろん頼っていいに決まってんだろ!」
彼の声は、迷いのない、温かい声だった。
「……ほんとに?」
「嘘なんてつかないよ! ……もしかして、かえで泣いてる?」
「な、泣いてない……!」
「今どこ?」
「……家。」
「じゃあ、すくい公園まで来れるか?」
「……うん。」
赤ちゃんみたいに小さい声で、こくりと頷く。
「よし! じゃあ今すぐ来い! いいな?」
ーーブツッ。
通知が切れた。
「……ズズッ……」
垂れそうになった鼻水をすすり、涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で払う。
ふとリビングを覗くと、母はソファーの上でぐっすり眠っていた。お酒に飲まれ、暴れ尽くしたあとだったのだろう。
今なら……抜け出せる。
携帯と家の鍵を手にし、そっと玄関のドアを開ける。
音を立てないようにーー静かに、静かに。
彼の言葉通り、私はすくい公園へ向かって全力で走った。
「はぁ、はぁ……」
公園に着くと、少し息を整えながら辺りを見回す。
「……すくい公園に来いって言われたけど、會野くん、本当に来るのかな?」
帰る場所があるわけでもなく、とりあえず、ブランコに腰を下ろし、ゆっくりと揺られる。風が頬を撫で、ふわりと髪が揺れた。
ーーふと、考える。
たとえ家族のことで頼りたくなったとはいえ、私は人を信じるのが怖い。會野くんだって、完全に信用したわけじゃない。
「……来ないかもしれないよね。」
だんだんと、バカバカしくなってきた。
「何やってんだろ、私……!」
そう呟いて、ブランコを勢いよく漕ぐ。
そしてーー
ジャンプ!
勢いのまま飛び降りると、ザッと砂が舞った。
「外の空気吸ったら、なんかスッキリしたし……帰ろう。」
期待した私が馬鹿だった。人生は、そう簡単に変わったりしない。
その時ーー
「はぁ、はぁ……かえでちゃん!」
背後から、息を切らした声が聞こえた。
ぴたりと足が止まる。ゆっくり振り向くとーー
「……え?」
そこにいたのは、汗でびしょびしょになった會野くんだった。
「本当に……来た……?」
驚いて見つめる私に、彼は息を整えながら、にこっと笑う。
「だから言っただろ? 嘘なんてつかないって。」
その優しい声に、胸の奥がギュッと締め付けられる。
「……でも、かえでちゃん……俺を呼んだってことは、やっぱりその傷……」
彼の視線が、私の腕に落ちる。
「あ……」
すっかり忘れていた。母に掴まれた腕。痛みは慣れすぎて、もう感じなくなっていたのかもしれない。
「うん……」
掠れた声で、小さく頷く。
「會野くんの言う通り……この傷は、お母さんにつけられたもの……」
その瞬間、何かが崩れる音がした。自分の中で、張り詰めていたものが、ほどけていくようだった。
「でも、素直に電話してくれるとは思わなかった。」
「なんでだろうね、私もよく分からない。気づいたら電話してて。」
「そっか。」
彼はゆっくりと私の方へ歩み寄り、そっと、傷のある腕を取った。
「傷、痛む?」
眉を下げ、潤んだ瞳で私の腕をじっと見つめる。
「ま、まぁ……」
彼の顔が近すぎて、思わず視線を逸らした。心臓が跳ねるように高鳴り、頬が熱くなるのが分かる。
「あ、そ、そういえば……前から思ってたんだけどさ。」
「うん?」
「會野くんは、なんで私にそんなに優しくしてくれるの?」
「え?」
「こんな地味で暗い私にさ、正直、変じゃない?」
彼は掴んでいた腕をそっと離し、ふわりと笑った。
「変かな?」
「え……?」
「俺、好きな子とは一緒にいたいし、何かあったら全力で守りたい。」
「ち、ちょっと待って、何言ってるの?」
「ごめん。」
彼は真っ直ぐ私を見つめ、まるで迷いのない声で言った。
「俺、かえでちゃんのことが大好きです。」
「え?」
不意打ちの告白に、頭が真っ白になる。
でもーー彼の表情は、どこまでも真剣だった。
「実は、かえでちゃんのこと、前から気になってたんだ。でも、なかなか話すタイミングなくてさ。だから、こうして話せるようになって、めっちゃ嬉しかった。」
會野くんは少し照れくさそうに笑いながら、まっすぐに私を見つめた。
「そんなの、信じられないよ。私……好きとか、よく分かんない。愛されたこと、ないから。」
私の声は震えていた。
私は今まで、一度も誰かに愛されたことがなかった。それどころか、愛の反対のものばかりを受けてきた。傷つけられ、我慢して、それが当たり前になっていた。だから、「好き」という気持ちが、どんなものなのか想像もできなかった。
會野くんは驚いたように少し目を見開いた。でも、すぐに優しく微笑んで言った。
「じゃあ、俺が好きの意味、教えてやるよ。」
「え……?」
「だから、返事はいつでもいいし、ゆっくりでいい。俺がそばにいるから。」
そう言うと、會野くんは大きな体で私をそっと包み込むように抱きしめた。
街頭の柔らかな光の下、彼の腕の中は驚くほど温かかった。
いきなりのハグに戸惑い、私はぎゅっと抱き返すことができなかった。でも、それでも、彼の温もりは確かに私の肌に伝わってきた。
ーーこんな風に、誰かに抱きしめられるのは、初めてだった。
それから、私たちは、仮のような形で付き合うことになった。
「守るよ」という會野くんの言葉を信じてみたくなったから。
最初は不安だった。人と深く関わるのが怖かったし、「好き」という感情が分からないまま付き合うなんて、彼に悪いんじゃないかとも思った。
でも、彼は焦らせたり、無理に答えを求めたりすることはなかった。ただ、いつもそばにいてくれた。
学校でも、自然と會野くんと話せるようになり、気づけば一緒に登下校するようになった。
「おはよう、かえでちゃん!」
「おはよう、會野くん。」
最初は緊張してぎこちなかったやりとりも、いつの間にか自然になっていった。彼と一緒にいると、不思議と周りの目が気にならなくなった。
そして少しずつ、心の奥に張り付いていた「好きなんて分からない」という不安が、小さくなっていった気がした。
彼のそばは、心地よかった。
ーーもしかしたら、私も「好き」になれる日が来るのかもしれない。
そんな予感が、胸の奥でそっと芽生え始めていた。
もちろん、学校では私たちが一緒に過ごすことが増えたせいで、周りの女子たちの視線が気になるようになった。でも、最初はただ、會野くんと話すのが楽しくて、自然と一緒に歩いているだけでよかった。いつの間にか廊下や教室で小さく不満げな声が聞こえるようになった。
「なんであの子なの?」
「あんまり釣り合ってなくない?」
そんな言葉が耳に入るたびに、胸がざわついた。
本当は、周りがどう思っているのかなんて、気にならないふりをしたかった。でも、正直に言えば、やっぱり気にしてしまう。
それでもーー。
彼と過ごす時間は、それ以上に大切だった。
誰にどう思われても、彼がそばにいてくれるなら、それでいい。
そう思えるようになっていた。
「ねえ、また一緒に帰ろうよ」ふとした瞬間、彼がそう言った。
私は思わず笑顔を浮かべて頷く。言葉にしなくても、お互いの気持ちが通じ合っているのを感じた。
「會野くん! 何してるの?」
突然、私たちの前に現れたのは、鈴葉さんと彼女に付き従うメイドの高橋さんだった。
「お、鈴葉。どうした?」
「ねぇ、なんで最近この子と一緒にいるの? 変な噂立てられてるよ?」
鈴葉さんの声は、アニメのキャラクターのように甘ったるく、顔を近づけてくる。
「変な噂? そんなの聞いたことないけど」
「うそぉ? みんな言ってるよ! 『會野くんがこんな女に付きまとわれて可哀想』って! 無理して一緒にいる必要なんてないんだよ?」
「ちょっと、何言ってるのかマジで分かんないけどーー俺がかえでの側にいたいからいるんだよ。それに、好きだし」
「……っ、い、今なんて?」
「だから、かえでのことが好きって言ったんだよ」
「え、あ、そっか! もしかして、男子の間で罰ゲームでもやらされてるの? もぅー、驚かせないでよ!」
「は? いや……」
「まぁまぁ! 會野くん、無理しちゃダメだからね? また一緒に遊ぼうね!」
鈴葉さんは軽く彼の肩を叩くと、そなまま高橋さんと一緒に去っていった。
「……なんなんだよ、あいつ」
「鈴葉さん、あんな声出せるんだ」
「あー、男の前だといつもあんな感じだからな。驚かせてごめん」
「ううん、大丈夫。でも、あんな鈴葉さん、初めて見たかも」
「そっか」
彼はそれ以上、鈴葉さんと私との関係を深く詮索しなかった。
それがありがたかった。彼の前では、過去の辛い記憶を思い出さずにいられるからーー。
「ねぇ、あのさ……鈴葉さんが言ってた『また一緒に遊ぼう』って、何か予定あるの?」
「ない! 行ってない! 鈴葉が勝手に言っただけ!」
彼は勢いよく首を横に振る。
「本当に?」
「本当だって! ほら、この目を見て、嘘ついてるように見える?」
そう言いながら、彼はわざと大げさに目をパチパチさせてみた。
「ふふっ……!」
つい吹き出してしまう。
きっと、鈴葉さんの乱入で重くなった空気を和らげようとしてくれたのだろう。
「そうだ! 今日、かえでちゃん放課後時間ある?」
「あるよ! 今日、お母さん飲みに行ってていないし」
「本当? じゃあ、駅前のクレープ屋さん行かない? クレープ好き?」
「え! 行きたい!」
「決まり! 帰りに寄ろう!」
「うん!」
学校帰りに誰かと寄り道するなんて初めてだった。しかも、クレープは幼い頃からずっと憧れていた食べ物のひとつ。彼と一緒に食べられるなんて楽しみすぎて、午後の授業がいつもよりずっと長く感じられた。
キーンコーンーー
待ちに待った下校のチャイムが鳴り響く。
(なんだろう。今までどこにいても、何をしていても憂鬱で苦しかったのに……最近は、心が少しずつ温かくなっていく気がする。)
学校帰り、私たちは駅前の小さなクレープ屋さんに到着した。店内は落ち着いた雰囲気で、静かな音楽が流れ、木の温もりを感じさせる空間だった。カウンターの向こう側には、年配の店主が笑顔で迎えてくれる。
「どれにしようか?」
「うーん、チョコバナナもいいけどカスタードも気になるな。」
「じゃあ、カスタードにするよ。」
私は悩みながらもチョコバナナに決めた。店主がクレープを手早く作りながら、静かな空気が流れる。クレープが出来上がり、私たちはお店の端の小さなテーブルに座った。お店の中は心地よい空間だった。
「いただきます!」
「いただきます。」
私はクレープの端から一口、甘いクリームが口の中で広がる。思わず目を閉じて、その美味しさに浸った。
「うん、やっぱり美味しい!」
彼が微笑みながら、クレープの端を私の方に差し出した。
「もらいー!」
そう言って、彼は私が食べていた部分にちょっとだけ近づけた。少し照れくさい顔をしながら、彼が同じところを食べようとする。その瞬間、クレープのクリームが触れ合うような感覚が私の心をドキッとさせた。
「え、ちょっと……!」
「ごめん、どうしても美味しそうで……」
彼の目が少し真剣で、でもどこか楽しげだった。その距離が近くて、私の胸がドキドキした。少しだけ照れくさくなりながらも、私は彼と一緒にクレープを食べている幸せを感じていた。
楽しかった寄り道も、そろそろ終わりの時間。
「もうすぐバイバイだね」
「まさか、かえでちゃんからそんな言葉が聞けるなんて!」
「だって、誰かと寄り道するの、初めてだったから」
「そっか! じゃあ、また今度一緒に食べに行こう! かえでちゃんが行きたい時、いつでも行こう!」
「え、いいの?」
「うん! 俺はかえでちゃんがいればいつでもいいよ!」
「なにそれ!」思わずクスリと笑みがこぼれる。
「毎日でもいいけど?」
「すぐ調子に乗るんだから!」
彼といるとら不思議と嫌なことを忘れられる。少しずつ、心が開いていくのを感じた。
「暗い道をかえでちゃん一人で帰らせるの、ちょっと心配だし……そろそろ帰ろっか」
「なにそれ! ……でも、たしかに寒くなってきたし、帰ろう!」
二人で電車に乗り、最寄り駅で別れるはずだった。
けれどーー
「やっぱり心配だから」
そう言って、彼は結局家まで送ってくれた。
この日は本当に楽しくて、忘れられない特別な一日になった。彼と一緒にいる時間がこんなにも幸せだ。
なんてーー
この時の私はまだ知らなかった。
この楽しい思い出が、一瞬にして崩れ始めることをーー。
でもーー。
あんな優しい表情で、あんな優しい言葉をかけられたら、ずっと押さえ込んできた気持ちが溢れそうになる。
私は教室には戻らず、いつものトイレに駆け込んだ。我慢していた涙が、まるてわ汗みたいにポロポロとこぼれ落ちる。
その頃、屋上に残った會野くんは、授業が始まっても私が戻ってこないことを不思議に思い、何人かの友達に私の行方を尋ねていた。
「宮本さん? いや、見てないな。」「宮本? そんな奴いたっけ?」そんな返事ばかり返ってくる。普段から目立たない私を探すのは、簡単なことじゃなかった。
そのまま、私はトイレから出ることなく時間が過ぎ會野くんと顔を合わせることもなく、気づけば放課後になっていた。
みんなが部活に向かうのを確認してから、私はようやく荷物を取りに教室へ戻った。部活に入っていない生徒が何人か残っていたけれど、會野くんの姿は見当たらない。
「もう帰ったのかな……。まぁ、別にどうでもいいけど。」
そう思いながらも、少しだけ申し訳なさを感じつつ、自分の机を片付けてバッグを肩にかける。そして、いつも通り秘密の通学路へ足を向けた。
そのときーー。
ピロリン。
突然、携帯の着信音が鳴った。
「え……?」
友達もほとんどおらず、連絡先に誰も追加していない私に電話がかかってくることなんて滅多にない。驚いて肩がビクッと跳ねる。辺りを見渡すと、人気のない道には古びた家が並んでいるだけ。
それなのにーー。
ピロリン
また鳴った。
「……私の携帯?」
戸惑いながらポケットから携帯を取り出し、恐る恐る画面を覗き込む。そこに表示された名前を見て、私は息をのんだ。
「この名前……。」
画面を見た瞬間、足が止まった。
「會野 裕」
そこには彼の名前と、「新着メッセージ(二)」の通知。
「……え?」
どうして彼が私の連絡先を? 驚きのあまり、思わず口が開いたまま動かない。震える指でゆっくりと画面をスライドし、トークを開く。
するとーー
會野裕
「今日はいきなりあんなこと聞いてごめん。」
「もし、なんかあったらここに連絡しろよ! また明日な」
真っ白なトーク画面に、短いメッセージが二つだけ並んでいた。
また、涙が滲みそうになる。
私はそっと携帯を握りしめ、胸に押し当てた。完全に彼を信用したわけじゃない。でも、この言葉がどうしようもなく胸に刺さる。
「……なんで、こんなに関わろうとしてくるのよ。」
そう呟いたものの、ブロックする気にはなれなかった。
メッセージは返信せず、既読だけつける。そして、そのままスマホをポケットにしまい、家へと歩き出した。
「ただいま。」
玄関に足を踏み入れた瞬間、リビングの方から壮絶な物音が響いた。
「おい、帰ってきたなら早くこっちこい!」
荒れた、汚い声かわ飛んでくる。
「はい……」
恐る恐る返事をしながらリビングへ向かうと、そこにはお酒に酔い、怒りにまかせて暴れる母の姿があった。
「お前がいるせいで、みんな逃げてくんだよ! 飯代もかかるし、降ろせたならどんなによかったか!」
「……ごめんなさい。」
もう何度も聞いた言葉なのに、慣れることなんてできなかった。母の荒れ方はいつも以上で、テーブルの上には乱雑に置かれたお酒の缶と、スマホの通知が光っていた。ふと目をやると、その画面にはーー
『離婚の話、ちゃんとしよう』
父からのメッセージだった。
「……やっぱり。」
どこかでは予想していた。母のこの態度を見れば、理由がわかる気がした。怒鳴り散らし、お酒に逃げる母。それに耐えきれず、父がついに離婚を決意したのだ。
まるで、すべて私のせいだと言わんばかりに、母は小言をぶつぶつと呟きながら、またお酒をあおる。まともに相手をしていたら、こっちが壊れそうだった。母が酔いつぶれて我を忘れている隙に、私は静かに立ち上がり、自分の部屋に向かう。
でも、そこで目にした光景に、息が詰まった。
「え……なにこれ……?」
ドアを開けた瞬間、目の前に広がっていたのは、荒れ果てた部屋だった。
まるで、泥棒が入ったみたいに、いや、それ以上にめちゃくちゃにされていた。クローゼットの扉は開きっぱなしで、中の服は引きずり出され、無惨に破られている。机の上のものも、すべて床に投げ捨てられていた。
そしてーー
唯一、幼い頃に父と一緒に撮った、この世にたった一枚しかない写真。それさえも、ビリビリに破れ、床に散らばっていた。
「……嘘でしょ……?」
持っていたスクールバックが、ドスンと床に落ちる。震える手で写真の破片を拾い上げるけど、どれだけ集めても、元には戻らない。
喉の奥が締めつけられ、息が苦しくなる。
「なんで……。」
なぜこんなことをするのか理由なんて、考えるまでもなかった。
「もう……やだ……無理だよ……」
力が抜けて、その場にしゃがみ込む。
胸の奥がズキズキと痛む。
まるで心が何かに押し潰されたみたいだった。もう何もかも嫌だった。全部投げ捨ててしまいたい。
気づけば、目の前がぼやけていく。頬を伝う涙が、次々と床に落ちる。震える手が無意識にポケットを探り、携帯を取り出していた。
プルルル。
静まり返った部屋に、コール音が響く。
プチッ。
「はい!もしもし!」
「……っ!」
携帯の向こうから聞こえた、少し驚いたような彼の声。その瞬間、ずっとこらえていたはずのものが、一気に溢れ出した。
一粒の涙が、頬を温かく濡らしていく。
「もしもし?」
二回目の彼の声で、ようやく我に返ったら、慌てて口を開く。
「あ、わ、私……かえでです……!」
「おおー! 電話くれるなんて嬉しいけど……もしかして、何かあったのか?」
「……會野くん……」
声が震えた。
「會野くんのこと……頼ってもいい?」
涙を堪えようとするほど、喉が締めつけられる。鼻の奥がツンと痛くて、言葉もうまく出てこない。
「おう! もちろん頼っていいに決まってんだろ!」
彼の声は、迷いのない、温かい声だった。
「……ほんとに?」
「嘘なんてつかないよ! ……もしかして、かえで泣いてる?」
「な、泣いてない……!」
「今どこ?」
「……家。」
「じゃあ、すくい公園まで来れるか?」
「……うん。」
赤ちゃんみたいに小さい声で、こくりと頷く。
「よし! じゃあ今すぐ来い! いいな?」
ーーブツッ。
通知が切れた。
「……ズズッ……」
垂れそうになった鼻水をすすり、涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で払う。
ふとリビングを覗くと、母はソファーの上でぐっすり眠っていた。お酒に飲まれ、暴れ尽くしたあとだったのだろう。
今なら……抜け出せる。
携帯と家の鍵を手にし、そっと玄関のドアを開ける。
音を立てないようにーー静かに、静かに。
彼の言葉通り、私はすくい公園へ向かって全力で走った。
「はぁ、はぁ……」
公園に着くと、少し息を整えながら辺りを見回す。
「……すくい公園に来いって言われたけど、會野くん、本当に来るのかな?」
帰る場所があるわけでもなく、とりあえず、ブランコに腰を下ろし、ゆっくりと揺られる。風が頬を撫で、ふわりと髪が揺れた。
ーーふと、考える。
たとえ家族のことで頼りたくなったとはいえ、私は人を信じるのが怖い。會野くんだって、完全に信用したわけじゃない。
「……来ないかもしれないよね。」
だんだんと、バカバカしくなってきた。
「何やってんだろ、私……!」
そう呟いて、ブランコを勢いよく漕ぐ。
そしてーー
ジャンプ!
勢いのまま飛び降りると、ザッと砂が舞った。
「外の空気吸ったら、なんかスッキリしたし……帰ろう。」
期待した私が馬鹿だった。人生は、そう簡単に変わったりしない。
その時ーー
「はぁ、はぁ……かえでちゃん!」
背後から、息を切らした声が聞こえた。
ぴたりと足が止まる。ゆっくり振り向くとーー
「……え?」
そこにいたのは、汗でびしょびしょになった會野くんだった。
「本当に……来た……?」
驚いて見つめる私に、彼は息を整えながら、にこっと笑う。
「だから言っただろ? 嘘なんてつかないって。」
その優しい声に、胸の奥がギュッと締め付けられる。
「……でも、かえでちゃん……俺を呼んだってことは、やっぱりその傷……」
彼の視線が、私の腕に落ちる。
「あ……」
すっかり忘れていた。母に掴まれた腕。痛みは慣れすぎて、もう感じなくなっていたのかもしれない。
「うん……」
掠れた声で、小さく頷く。
「會野くんの言う通り……この傷は、お母さんにつけられたもの……」
その瞬間、何かが崩れる音がした。自分の中で、張り詰めていたものが、ほどけていくようだった。
「でも、素直に電話してくれるとは思わなかった。」
「なんでだろうね、私もよく分からない。気づいたら電話してて。」
「そっか。」
彼はゆっくりと私の方へ歩み寄り、そっと、傷のある腕を取った。
「傷、痛む?」
眉を下げ、潤んだ瞳で私の腕をじっと見つめる。
「ま、まぁ……」
彼の顔が近すぎて、思わず視線を逸らした。心臓が跳ねるように高鳴り、頬が熱くなるのが分かる。
「あ、そ、そういえば……前から思ってたんだけどさ。」
「うん?」
「會野くんは、なんで私にそんなに優しくしてくれるの?」
「え?」
「こんな地味で暗い私にさ、正直、変じゃない?」
彼は掴んでいた腕をそっと離し、ふわりと笑った。
「変かな?」
「え……?」
「俺、好きな子とは一緒にいたいし、何かあったら全力で守りたい。」
「ち、ちょっと待って、何言ってるの?」
「ごめん。」
彼は真っ直ぐ私を見つめ、まるで迷いのない声で言った。
「俺、かえでちゃんのことが大好きです。」
「え?」
不意打ちの告白に、頭が真っ白になる。
でもーー彼の表情は、どこまでも真剣だった。
「実は、かえでちゃんのこと、前から気になってたんだ。でも、なかなか話すタイミングなくてさ。だから、こうして話せるようになって、めっちゃ嬉しかった。」
會野くんは少し照れくさそうに笑いながら、まっすぐに私を見つめた。
「そんなの、信じられないよ。私……好きとか、よく分かんない。愛されたこと、ないから。」
私の声は震えていた。
私は今まで、一度も誰かに愛されたことがなかった。それどころか、愛の反対のものばかりを受けてきた。傷つけられ、我慢して、それが当たり前になっていた。だから、「好き」という気持ちが、どんなものなのか想像もできなかった。
會野くんは驚いたように少し目を見開いた。でも、すぐに優しく微笑んで言った。
「じゃあ、俺が好きの意味、教えてやるよ。」
「え……?」
「だから、返事はいつでもいいし、ゆっくりでいい。俺がそばにいるから。」
そう言うと、會野くんは大きな体で私をそっと包み込むように抱きしめた。
街頭の柔らかな光の下、彼の腕の中は驚くほど温かかった。
いきなりのハグに戸惑い、私はぎゅっと抱き返すことができなかった。でも、それでも、彼の温もりは確かに私の肌に伝わってきた。
ーーこんな風に、誰かに抱きしめられるのは、初めてだった。
それから、私たちは、仮のような形で付き合うことになった。
「守るよ」という會野くんの言葉を信じてみたくなったから。
最初は不安だった。人と深く関わるのが怖かったし、「好き」という感情が分からないまま付き合うなんて、彼に悪いんじゃないかとも思った。
でも、彼は焦らせたり、無理に答えを求めたりすることはなかった。ただ、いつもそばにいてくれた。
学校でも、自然と會野くんと話せるようになり、気づけば一緒に登下校するようになった。
「おはよう、かえでちゃん!」
「おはよう、會野くん。」
最初は緊張してぎこちなかったやりとりも、いつの間にか自然になっていった。彼と一緒にいると、不思議と周りの目が気にならなくなった。
そして少しずつ、心の奥に張り付いていた「好きなんて分からない」という不安が、小さくなっていった気がした。
彼のそばは、心地よかった。
ーーもしかしたら、私も「好き」になれる日が来るのかもしれない。
そんな予感が、胸の奥でそっと芽生え始めていた。
もちろん、学校では私たちが一緒に過ごすことが増えたせいで、周りの女子たちの視線が気になるようになった。でも、最初はただ、會野くんと話すのが楽しくて、自然と一緒に歩いているだけでよかった。いつの間にか廊下や教室で小さく不満げな声が聞こえるようになった。
「なんであの子なの?」
「あんまり釣り合ってなくない?」
そんな言葉が耳に入るたびに、胸がざわついた。
本当は、周りがどう思っているのかなんて、気にならないふりをしたかった。でも、正直に言えば、やっぱり気にしてしまう。
それでもーー。
彼と過ごす時間は、それ以上に大切だった。
誰にどう思われても、彼がそばにいてくれるなら、それでいい。
そう思えるようになっていた。
「ねえ、また一緒に帰ろうよ」ふとした瞬間、彼がそう言った。
私は思わず笑顔を浮かべて頷く。言葉にしなくても、お互いの気持ちが通じ合っているのを感じた。
「會野くん! 何してるの?」
突然、私たちの前に現れたのは、鈴葉さんと彼女に付き従うメイドの高橋さんだった。
「お、鈴葉。どうした?」
「ねぇ、なんで最近この子と一緒にいるの? 変な噂立てられてるよ?」
鈴葉さんの声は、アニメのキャラクターのように甘ったるく、顔を近づけてくる。
「変な噂? そんなの聞いたことないけど」
「うそぉ? みんな言ってるよ! 『會野くんがこんな女に付きまとわれて可哀想』って! 無理して一緒にいる必要なんてないんだよ?」
「ちょっと、何言ってるのかマジで分かんないけどーー俺がかえでの側にいたいからいるんだよ。それに、好きだし」
「……っ、い、今なんて?」
「だから、かえでのことが好きって言ったんだよ」
「え、あ、そっか! もしかして、男子の間で罰ゲームでもやらされてるの? もぅー、驚かせないでよ!」
「は? いや……」
「まぁまぁ! 會野くん、無理しちゃダメだからね? また一緒に遊ぼうね!」
鈴葉さんは軽く彼の肩を叩くと、そなまま高橋さんと一緒に去っていった。
「……なんなんだよ、あいつ」
「鈴葉さん、あんな声出せるんだ」
「あー、男の前だといつもあんな感じだからな。驚かせてごめん」
「ううん、大丈夫。でも、あんな鈴葉さん、初めて見たかも」
「そっか」
彼はそれ以上、鈴葉さんと私との関係を深く詮索しなかった。
それがありがたかった。彼の前では、過去の辛い記憶を思い出さずにいられるからーー。
「ねぇ、あのさ……鈴葉さんが言ってた『また一緒に遊ぼう』って、何か予定あるの?」
「ない! 行ってない! 鈴葉が勝手に言っただけ!」
彼は勢いよく首を横に振る。
「本当に?」
「本当だって! ほら、この目を見て、嘘ついてるように見える?」
そう言いながら、彼はわざと大げさに目をパチパチさせてみた。
「ふふっ……!」
つい吹き出してしまう。
きっと、鈴葉さんの乱入で重くなった空気を和らげようとしてくれたのだろう。
「そうだ! 今日、かえでちゃん放課後時間ある?」
「あるよ! 今日、お母さん飲みに行ってていないし」
「本当? じゃあ、駅前のクレープ屋さん行かない? クレープ好き?」
「え! 行きたい!」
「決まり! 帰りに寄ろう!」
「うん!」
学校帰りに誰かと寄り道するなんて初めてだった。しかも、クレープは幼い頃からずっと憧れていた食べ物のひとつ。彼と一緒に食べられるなんて楽しみすぎて、午後の授業がいつもよりずっと長く感じられた。
キーンコーンーー
待ちに待った下校のチャイムが鳴り響く。
(なんだろう。今までどこにいても、何をしていても憂鬱で苦しかったのに……最近は、心が少しずつ温かくなっていく気がする。)
学校帰り、私たちは駅前の小さなクレープ屋さんに到着した。店内は落ち着いた雰囲気で、静かな音楽が流れ、木の温もりを感じさせる空間だった。カウンターの向こう側には、年配の店主が笑顔で迎えてくれる。
「どれにしようか?」
「うーん、チョコバナナもいいけどカスタードも気になるな。」
「じゃあ、カスタードにするよ。」
私は悩みながらもチョコバナナに決めた。店主がクレープを手早く作りながら、静かな空気が流れる。クレープが出来上がり、私たちはお店の端の小さなテーブルに座った。お店の中は心地よい空間だった。
「いただきます!」
「いただきます。」
私はクレープの端から一口、甘いクリームが口の中で広がる。思わず目を閉じて、その美味しさに浸った。
「うん、やっぱり美味しい!」
彼が微笑みながら、クレープの端を私の方に差し出した。
「もらいー!」
そう言って、彼は私が食べていた部分にちょっとだけ近づけた。少し照れくさい顔をしながら、彼が同じところを食べようとする。その瞬間、クレープのクリームが触れ合うような感覚が私の心をドキッとさせた。
「え、ちょっと……!」
「ごめん、どうしても美味しそうで……」
彼の目が少し真剣で、でもどこか楽しげだった。その距離が近くて、私の胸がドキドキした。少しだけ照れくさくなりながらも、私は彼と一緒にクレープを食べている幸せを感じていた。
楽しかった寄り道も、そろそろ終わりの時間。
「もうすぐバイバイだね」
「まさか、かえでちゃんからそんな言葉が聞けるなんて!」
「だって、誰かと寄り道するの、初めてだったから」
「そっか! じゃあ、また今度一緒に食べに行こう! かえでちゃんが行きたい時、いつでも行こう!」
「え、いいの?」
「うん! 俺はかえでちゃんがいればいつでもいいよ!」
「なにそれ!」思わずクスリと笑みがこぼれる。
「毎日でもいいけど?」
「すぐ調子に乗るんだから!」
彼といるとら不思議と嫌なことを忘れられる。少しずつ、心が開いていくのを感じた。
「暗い道をかえでちゃん一人で帰らせるの、ちょっと心配だし……そろそろ帰ろっか」
「なにそれ! ……でも、たしかに寒くなってきたし、帰ろう!」
二人で電車に乗り、最寄り駅で別れるはずだった。
けれどーー
「やっぱり心配だから」
そう言って、彼は結局家まで送ってくれた。
この日は本当に楽しくて、忘れられない特別な一日になった。彼と一緒にいる時間がこんなにも幸せだ。
なんてーー
この時の私はまだ知らなかった。
この楽しい思い出が、一瞬にして崩れ始めることをーー。
