音楽教室の和田先生はとても優しいけれど、スパルタだ。
いや、スパルタは語弊がある。私に合わせて、無理はしないながらに細かいところまでしっかり指導をしてくれるといったところか。
「ピアニシモで、目の前に火のついたろうそくがあると思って。それを消さないよう、最後まで歌ってみましょう。お腹にいっぱい空気を入れて、音を揺らさないで」
腹式呼吸でずっとピアニシモはかなりきつい。ずっと神経を張り詰めないといけないので、ある意味発声の不調を気にせずに済む。ただ、本当にお腹が痛い。明日筋肉痛になりそう。
「いいですよ」
「ふう」
先生の合図で歌うのを止める。一分歌うだけでかなりの体力が消耗された。始める前は三十分は短いと思っていたけれど、これなら十分なレッスンが受けられる。その前に私の腹筋が音を上げませんように。
今日が初日だけど、声を出す際どこに力が入っているのか、どうしたら力が抜けるのか適格なアドバイスをもらえるので、すでに達成感がある。声も退院した時より伸びている気がする。さすが教えるプロ。自己流のままいかないでよかった。
「一分休憩しましょう。深呼吸したり、座ったりしてください」
「はい」
三十分だから休憩も短い。だから、この一分が大切。私は椅子に座り、深呼吸をして呼吸を整えた。
一対一でこんなに濃厚なレッスンを受けられるなんて想像以上だ。レッスン代を払ってくれたお母さんに大感謝。レッスン代を稼いでくれているお父さんにも感謝。二人とも大好き。
いつも二人には与えてもらうだけ与えてもらって、何も返せてないな。父の日と母の日にはお花を贈っているけど、もっと感謝の気持ちを伝えたい。
でも、お金無いしなぁ。今度料理を作ってみるとか? 調理実習以外に卵焼きを家で習ったくらいだけど。
すぐにレッスンが再開されて、私はまた腹筋とともに戦った。
「ありがとうございました」
「体験の時より良くなっていますよ。この調子でいきましょう」
「はい。よろしくお願いします」
和田先生が受付のところまで送ってくれる。手を振って教室を出た。
スキップする勢いで歩く。
楽しい。部活はまだ参加できていないけど、そのくらいの熱量がある。まだ満足のいく発声には至っていない。でも、それに近いところまで来ている。
早く歌いたい。
私の歌を。
みんなと一緒に。
「今日も暑い」
夏も終わりに近づいているというのに、すでに三十度を超えている。本当に終わるのかな。
ううん、終わる。そして秋が来て冬が来て、また暖かい日がやってくる。
どんなにもがいても、未来はやってくる。生きている限り、絶対に。そこで何をするのかは自分次第。
「あー」
これが今の私の声。もう怖くない。前を進んでいるって実感できるから。
鞄からお水を取り出して飲む。ぬるい。全然駄目だ。私はコンビニに走った。
「いらっしゃいませー」
店員さんの声を聞きながら飲み物コーナーに向かうと、先客がいた。
「げっ」
田尻君だった。
「先輩にげっはないでしょ」
「すみません。正直者で」
「前より言うようになったじゃない」
えっと、これ、上手くやっていかれる?
でも、部活の時より子どもらしさが伝わってくるから、まあいいのかな。
「なんで僕の行くところにいるんですか」
「それ、逆でも言えるよね。私は私の用事でこの辺にいるだけだから」
「へえ、用事とかあるんですね」
「あのねぇ」
いちいちチクチクする言い方を……でも、ここでキレる子どもじゃない。私はすごい経験をして、ちょっと挫折もして、パワーアップしたんだから。
「じゃあ」
もう会話する気はないのか、田尻君はさっさとお茶を持ってレジに行った。私も少しだけ間を置いてレジに向かう。田尻君はもう外にいた。
「負けませんから」
振り向いた田尻君は不敵に笑みを浮かべていた。私も同じように返す。
「こっちだって」
私と田尻君は挨拶もせず別の方向へ歩いていった。でも、足取りは軽い。
どくん、どくん。
規則的に聞こえてくる、少しだけ緊張した心臓の音。
私はこの音が好き。
生きてるって実感できるから。
私は生きている。
私にはこの声がある。
少しくらいつまずいたって、それごと抱えてまた立ち上がればいい。
今、ここから走り出すんだ!
了
いや、スパルタは語弊がある。私に合わせて、無理はしないながらに細かいところまでしっかり指導をしてくれるといったところか。
「ピアニシモで、目の前に火のついたろうそくがあると思って。それを消さないよう、最後まで歌ってみましょう。お腹にいっぱい空気を入れて、音を揺らさないで」
腹式呼吸でずっとピアニシモはかなりきつい。ずっと神経を張り詰めないといけないので、ある意味発声の不調を気にせずに済む。ただ、本当にお腹が痛い。明日筋肉痛になりそう。
「いいですよ」
「ふう」
先生の合図で歌うのを止める。一分歌うだけでかなりの体力が消耗された。始める前は三十分は短いと思っていたけれど、これなら十分なレッスンが受けられる。その前に私の腹筋が音を上げませんように。
今日が初日だけど、声を出す際どこに力が入っているのか、どうしたら力が抜けるのか適格なアドバイスをもらえるので、すでに達成感がある。声も退院した時より伸びている気がする。さすが教えるプロ。自己流のままいかないでよかった。
「一分休憩しましょう。深呼吸したり、座ったりしてください」
「はい」
三十分だから休憩も短い。だから、この一分が大切。私は椅子に座り、深呼吸をして呼吸を整えた。
一対一でこんなに濃厚なレッスンを受けられるなんて想像以上だ。レッスン代を払ってくれたお母さんに大感謝。レッスン代を稼いでくれているお父さんにも感謝。二人とも大好き。
いつも二人には与えてもらうだけ与えてもらって、何も返せてないな。父の日と母の日にはお花を贈っているけど、もっと感謝の気持ちを伝えたい。
でも、お金無いしなぁ。今度料理を作ってみるとか? 調理実習以外に卵焼きを家で習ったくらいだけど。
すぐにレッスンが再開されて、私はまた腹筋とともに戦った。
「ありがとうございました」
「体験の時より良くなっていますよ。この調子でいきましょう」
「はい。よろしくお願いします」
和田先生が受付のところまで送ってくれる。手を振って教室を出た。
スキップする勢いで歩く。
楽しい。部活はまだ参加できていないけど、そのくらいの熱量がある。まだ満足のいく発声には至っていない。でも、それに近いところまで来ている。
早く歌いたい。
私の歌を。
みんなと一緒に。
「今日も暑い」
夏も終わりに近づいているというのに、すでに三十度を超えている。本当に終わるのかな。
ううん、終わる。そして秋が来て冬が来て、また暖かい日がやってくる。
どんなにもがいても、未来はやってくる。生きている限り、絶対に。そこで何をするのかは自分次第。
「あー」
これが今の私の声。もう怖くない。前を進んでいるって実感できるから。
鞄からお水を取り出して飲む。ぬるい。全然駄目だ。私はコンビニに走った。
「いらっしゃいませー」
店員さんの声を聞きながら飲み物コーナーに向かうと、先客がいた。
「げっ」
田尻君だった。
「先輩にげっはないでしょ」
「すみません。正直者で」
「前より言うようになったじゃない」
えっと、これ、上手くやっていかれる?
でも、部活の時より子どもらしさが伝わってくるから、まあいいのかな。
「なんで僕の行くところにいるんですか」
「それ、逆でも言えるよね。私は私の用事でこの辺にいるだけだから」
「へえ、用事とかあるんですね」
「あのねぇ」
いちいちチクチクする言い方を……でも、ここでキレる子どもじゃない。私はすごい経験をして、ちょっと挫折もして、パワーアップしたんだから。
「じゃあ」
もう会話する気はないのか、田尻君はさっさとお茶を持ってレジに行った。私も少しだけ間を置いてレジに向かう。田尻君はもう外にいた。
「負けませんから」
振り向いた田尻君は不敵に笑みを浮かべていた。私も同じように返す。
「こっちだって」
私と田尻君は挨拶もせず別の方向へ歩いていった。でも、足取りは軽い。
どくん、どくん。
規則的に聞こえてくる、少しだけ緊張した心臓の音。
私はこの音が好き。
生きてるって実感できるから。
私は生きている。
私にはこの声がある。
少しくらいつまずいたって、それごと抱えてまた立ち上がればいい。
今、ここから走り出すんだ!
了

