◇◇
本当に今は話したくなかった。
別に彼が悪いわけじゃない。
ただ絡まった糸が解けただけ。
「何かあったらって預かってた」
渡されたのは奏の部屋の鍵。
「あいつに連絡しといたからゆっくりしなよ」
今は緩いはずの着物の帯も心もきつい。
「何から何までありがとうございます」
そう言って部屋の扉を開いた。
カチャリと鍵を閉めて重い足を引きずるようにリビングに向かう。
何もかもが重い…
リビングまでで綺麗に結われた髪をほどき足袋を脱いだ。
綺麗に片付いた部屋は奏が好きな淡い色で揃えられてる。
「帯」
帯をゆっくり前に持ってきてほどいて行く。
これだけでも身体が楽になる。
着物をコートハンガーに掛けて長襦袢のままソファにドカッと座った。
「離婚して…ご両親にも挨拶して…仕事に済む家」
地元に戻るのも有りかな。
貯金を崩せばそれなりに田舎では暮らせる。
家はもう無いけど小さいアパート探して。
逃げるようで嫌だな…
ドンドンドンドン
ピンポンピンポン
ドンドン
「デジャヴ?」
とっさに天井をみるけど濡れてない。
「珠子いるんだろう!!」
「えっ」
声の主は近所関係なくまたピンポンとインターホンを鳴らす。
さすがに奏に迷惑をかける。
「います!いますから」
急いで玄関に向かい鍵を開けた。
「ちょ、その恰好…安見か⁈あいつ」
鉄壁の貴公子とは思えない怒りの表情で部屋に勝手に入って行く。
「あの!いませんよ!安見さんの家は隣ですから」
別居とは言っても安見夫婦は隣同士に住んでる。
乱れたスーツの裾を引っ張りやっと彼を止めた。
「これは…きつかったんで脱いでそこに」
コートハンガーに綺麗に掛けられた着物を見て彼は座り込んだ。
「何かされたかと思った」
全身鏡にうつる自分を見てゾッとする。
乱れた髪と乱れた長襦袢。
「送ってくれただけで。それより結婚式と千世さんは?」
座り込む彼の前に正座をすると彼は私をギュッと抱きしめた。
「そんなのどうでも良い」
抱きしめられるままの私達を冷めた目で見守る安見さん。
「お前ら…うるさいから帰れ」
隣の部屋から騒ぎに気付いてやって来た安見さんに怒られ私達は帰宅することに。
「話し合いしなよ」と言われあなた達もね、とは言えず部屋を追い出された。
「色々悩ませてすまなかった」
シャワーを浴びてサッパリした私達はいつものソファに座った。
「いえ、私も色々話さずすみません」
お互い謝りまた無言に…
ヴーーッヴーーッ
「ごめん」彼はまた謝って携帯に出た。
「あぁ…珠子にそこは決めて欲しいから少し待って…うん…直接連絡する」
静かに携帯を切って「俺、3月からマレーシア勤務になる」そう言って下を向いた。
「一年前には決まってた」
「一年て…プロポーズ」
プロポーズした時は決まってた?
どういう事か分からない。
転勤決まってたのにプロポーズしたの?
「本当に一か八かで指輪も大きさ分からないし、プロポーズ失敗するし」
「あのどう言う意味か…プロポーズあれモテ対策でしたよね?えっ…あれも」
「本当は付き合うって事から考えればよかったんだけど転勤決まってたし。焦って順番めちゃくちゃになるし。恋愛は仕事みたいに上手くいかないな」
また「ごめん」と謝る。
「私のこと…好きなんですか?記憶関係なく?」
また記憶の改ざんかと不安になる。
「記憶は関係ない。この記憶がきっかけで俺は珠子に正直な気持ちでプロポーズ出来た。でも俺もずっと不安で…もし記憶が戻ったら珠子は居なくなるんじゃないかとか…それなのに珠子は一生懸命記憶を戻そうとするし」
まだ下を向いたまま左手薬指に触れてる。
確かに一生懸命やってた。
漢方を飲ませたりありとあらゆる神頼みをしたりお守りも買った。
それは彼にとってプラスだと思ってたけど実際は彼を不安にしてたんだ。
「あとで無かった事にしないで下さいよ」
誓約書でも書いて貰おうかな。
そこまで疑うのも違うように思える。
記憶を無くすじゃなくて記憶が増えたんなら良かったとプラスに思わないと罰があたる。
「俺は記憶が増える前から好きだった。珠子が無理だって言うなら、いや俺が諦められないか」
無理なわけない。
私も好きだった。
「そんな…私はずっと好きでした!無理とか思いません」
「いやいや俺が先だって。蘇芳を決めた一番の要因は珠子がいたから。東館にたまたま遊びに行った時に珠子と螺旋階段で会ったんだ。その時に一目ぼれ。ずっと機会を見てたけど珠子ってまじでガード固くて仕事しか興味ないもんな。あれは本当に困った」
照れたように笑う顔が可愛くて自分から彼の肩にもたれかかる。
「千世は高校時代に付き合っただけで何も無いよ。マレーシアで会ったのは事実だけど藤堂さんも居たし。同じ蘇芳だけど今度は俺があっちに行くしね」



