その夜、
僕はALT(英語科の外国人補助教員)の仲間達と、少し飲んで、ご機嫌で別れたばかりだった。
冬の名残のきりりと冷たい風が小雪と成って帰り道を飾ってくれる。
その夜は僕の髪の色のようなブルー・ムーンで、うすいヴェールがかかっていた。
僕は軽く『Fly me to the Moon』を口笛で吹きながら、
通い慣れた多摩川にかかる大きな橋を渡り始めたところで、
黒。

最初に目に飛び込んで来たのは、真っ黒。その色だった。

橋げたについた薄オレンジ色の、点々とした味気ないライトの中で、星もない都会の暗い夜に、黒。真っ黒。
黒い髪を後ろでシニヨンにまとめた白い肌の若いひとの薄手の黒い上着のすそが、白い雪とともにふうわり揺れている姿だった。
黒い薄手のパンツのすそもひらひらしている。今、はじめて飛び立つ小鳥の羽のように。
(こんな寒い夜に、あんな薄着でどうしたんだろう)

そのひとはじっと、濃い墨のような川を見ている。細かな冷たい銀色のさざ波が立つ大きな川を。
まとめた黒髪を少しずつすくって広げていく川から上ってくる冷やい風。オーバーコートを着てウールのマフラーをぐるぐる巻き、
同じくウールの手袋をしている僕でさえ、ぶるぶる震えるほど寒いのに、このひとはこんな格好で、こんな時間にここで何をしているのだろう。
と、
不意に、そのひとが髪を解いた。

まぁるいシニヨンがあっと言う間に、背中の真ん中までを覆う真っすぐな黒髪に変わる。あわい月の光を浴びて、
1本1本が宝石のようにつやめく。