そのまま彼女を一人残して去ることになんとなく抵抗を感じて、俺はベッドのそばに座り直した。

「……帰らないの?」
 
 彼女は俺に聞く。俺は黙って頷いた。

「……そう」

 それ以上彼女は何も喋らなかった。眠りもせず、ただただ天井を見つめている。
 しばらくの間部屋は静かだったが、時計が夜中の2時を回ったころ、俺は躊躇しながら口を開いた。

「りるはちゃん、まだ起きてるの?」
「……うん」

 俺は、放っておいたら暗闇に飲み込まれて消えてしまいそうだと感じた。そんな彼女を引き止めるかのように俺は話しかけようとする。しかしそれに被せて声を発したのは彼女の方からだった。

「睡眠薬、ないと基本的に眠れない。副作用強いから時間間隔ちゃんと守らないといけなくて、多分あと1時間くらい起きてると思う」

 そう言って彼女は布団の中にずりずりと戻った。

「じゃあさ、俺と一緒に話そうよ」
「眠くないの?」
「いや、しょっちゅうオールしてっから余裕!」

 なんて言いながらグッと力拳を作ってみせる。多分暗くて見えてないだろうけど。彼女が小声でありがとう、と言うのを聞いた。先ほどとはちょっと違くて、じんわりとした温かさと湿っぽさを含む声だと思った。

「え、泣いてる……?」

 その声に俺は不安になった。彼女は何を話すべきか考えていたのかしばらく無言で、そして口を開く。

「寝てる間は良かったの、何にも感じないから。でもいつも、薬がきちんと切れて眠れない間だけは不安で、悲しくて……寂しかった」

 暗闇の中一人、物音ひとつしない場所で朝が来るのを待つのはどれほど怖かっただろう。このままずっと朝が来ないんじゃないか、なんて思った日もきっとあったのだろうと俺は感じ取る。

「うん、そっか、そうだよね」

 それしか言えなかったのは、彼女の問題に、どこまで踏み込んでいいかわからなかったからだ。今日会ったばかりの俺に話してくれるとは考えられなかったと言ってもいい。俺は、彼女が自分から話を始めるまで、待とうと心に決めた。
 彼女はまた黙った。ついさっきまで感じていた耳鳴りのしそうな沈黙が、いつの間にか心地よい空気感に変わっている。俺はうつらうつらしながら、時計が3時の針を指すまでなんとか意識を保つ。

「ゼリーと、薬と水とって体起こしてほしい」
 
 彼女はなんだか安堵したように言う。初めて体を起こしたときよりかはおそらくスムーズに、彼女の手助けをする。

「ゼリーだけでお腹すかないの?」

 彼女は薬を片手に、少しきょとんとしてから答える。

「私のこれは冬眠みたいなものだから。……私こんなんだけど、バイト続けてくれるんだったら、色々そのうち話すよ」

 うん、わかった、と俺は言う。ゼリーとコップをサイドテーブルに置き、彼女は俺におやすみと言う。

 しばらくの間、俺は彼女の寝顔を見つめていた。彼女は初めて会った時と同じ寝方をしていた。この寝方が1番しっくりくるのだろうか、と考えながら、俺はスマホを手に『七野 りるは』の名前で検索をかけた。
 陸斗が言っていたように、りるはは小説家であったようで、いくつもの小説がヒットしていた。そのまま画面をスクロールすると、とある記事が目に飛び込んできた。
 『一台の軽自動車がブレーキの故障したトラックと正面衝突 3人が死亡』
 その場所はここからそう遠くない場所であった。彼女の言葉の節々からは、家族がもうすでに亡くなっているのでは、と想像はついていたのだが、ほとんど確信に変わってしまうとなんだか胸の奥でつかえてしまうものがある。

 
 彼女がきちんと眠っているのを確認して、俺はそのまま夜を明かした。