壺実市(つぼみし)は平凡の町だ。ここ二百年、なにか歴史に名を遺す人なんて出たためしがない------

〇雑然とした演劇部の部室
6月の文化祭の前日、上演する劇『江戸影忍者譚』のリハーサルをしている。
エースであるひびきは主役の忍を、そして色花(いろは)は初ヒロインとして時姫役を演じていた。
照明も音響も本番さながらに舞台を彩る中、忍が姫にひざまづく。

忍「それでは、まるで黄昏の悲しみすらもお持ちでいらっしゃらないようだ」
時姫「正しいことです......!大奥に暮らすものの業があなたに分かることはないでしょう!」
忍「分かりませぬ。しかし分かつことは得意でございます、忍者ですから」

忍、屋敷の奥へ逃れようとする時姫の手をそっととる

時姫「あなたは、いったい」
忍「さてさて。聞かないでいただけると助かるのですが...」

その返しにくすり、と微笑む時姫。

忍「影も知れぬものでございますが、姫を逃がしはしませんぞ。さあ......江戸の光あたる世へ!」

おずおずと頷く時姫。
二人、上手へ走り出していく。音楽とともに照明が暗くなる。
音楽がフェードアウトすると部長、大きく手を鳴らす。

部長「カット!お疲れ様、5分休憩!」
部員が水を飲んだり扇風機に当たったりするなか、色花に駆け寄る者が二人。

ひびき「おつ~!良かったじゃんさっきの感じ」
琵琶森「ええ、先輩方どちらも息ぴったりでおもわずキュンってなっちゃいましたっ!」
色花「ありがとう、二人とも...なんとか二人の足を引っ張らないですんで...」
琵琶森「もー、何言ってるんですか時姫様?」

演劇部の一年生である琵琶森は今回、時姫の信頼する女房役で出演している。

ひびき「そうだそうだ、姫をなくしてはこの天下、回りませぬぞ」
色花「......か、顔近い!」
琵琶森「照れてる照れてるもっとやれ忍!」
ひびき「照れてるんですか?心を知らぬお姫様?」
色花「ちょ......まじでそういうとこだよ......!演劇部の、わ、悪ノリ!」

場慣れしているひびき、琵琶森とは違い本番直前になっても色花は役者同士の雰囲気に慣れていなかった。

ひびき「なーんでだよ堅物」
色花「うっうるさい」
琵琶森「あらやだお熱いこと!」
ひびき「いや何の話だよ!」
その後笑顔で同調するものの、即答で否定されてしまったことに色花は少し唇をかんだ。

〇帰宅後、色花の自室。
時姫『江戸には華こそあれど......浮世に、思い残すことはありませんっ、去りなさい......!』
録音した演技を自分で聞いてため息をつく色花。

色花「どうしよう、やっぱり私の演技だけわざとらしいっていうか...冷淡さを出そうとしすぎて大人ぶってる子供みたい」
部室で撮らせてもらった動画を再生する。

忍『よし、このスキに......』
女房『なりませんー!大奥を何だと思ってるんですか!』
忍『うわあまたあんたかっ!ええい何度も何度も懲りないやつだな』
女房『本当にこっちの台詞ですけどね!?』

流れ続ける動画を尻目にまたため息をつく。
色花(本当に私がヒロインなんてもらっちゃってよかったのかな......助けてもらってばかり。私、先輩なのに.......)
劣等感が増していくのを感じながら台本を閉じる。

色花(やるしかない......明日が怖いけど、絶対いい舞台にしなくちゃ......!!それで、もし、もしうまくいったら......)

ひびきに告白される妄想をして一人で顔を赤くする色花

色花「『なあ、稽古の間もさ、俺ずっと...』なんて.......!」
母「色花ー!明日早いでしょ、お風呂入っちゃいなさい」
色花「きゃあっ!!すぐ入るから!」

〇翌日、文化祭の学校。体育館ステージの舞台袖。
部長「運搬完了、全機材よし。舞台チームは背景から組み立てていって!役者は外で発声練習!」
部員「はい!!」
ひびき「全員そろったか、行くぞ」

体育館裏へ移動する役者陣

琵琶森「ひゃっほいこの張り詰めた空気!」
ひびき「演劇変態は黙ってろ~」
琵琶森「最低!訴えますよ!」
どこか和気あいあいとする他の役者たちの横で心臓を押さえる色花。
発声練習が始まる。が、緊張のためか普段の声が出ない。
色花「あ、え、い、う、え、お、あ......」
色花(全然だめだ......どうしよう!こんなんじゃ、もっと、もっと力)

ひびき「力抜いて」

色花「......ひびきっ......わ、私...だめかも...!」
ひびき「ちっともだめじゃない。けど、」

肩をふわっと叩かれると固まっていた緊張がほぐれる。
安心感。幼なじみだからだろうか。

ひびき「こっちの方がいいよ」
色花「......ありがと」
ひびき「一緒にやろ」

リラックスした状態で声を慣らす。
上演前のどきどきが別のどきどきで上書きされるような心地がした。

〇舞台袖に戻る。開演前
客が大勢押しかけており、その中にはひびき目当てであろう女子たちもペンライトを持って座っていた。
もう何が起こっても平気な心地がする色花。

放送委員「蒸し暑い中大変長らくお待たせいたしました。」

始まった放送に、いよいよだと気合を入れる部員たち。
部長「最高の舞台にしようぜ!」
後輩「頑張ってー!ひびき先輩、色花先輩も!」
部長「かましてこい琵琶森!」

一場にはひびき演じる忍と従者一行が出演する。時姫役は三場からの登場だ。
少し心を躍らせながら舞台をのぞく色花。

放送委員「それでは、舞うはなびらの一枚までお見逃しなく!」
幕があがりスポットライトがきらめく。

忍「さて、江戸をひとっぱしりと行きますか!」

ひびきではなく忍としか呼べないような演技に色花は勇気づけられていく。
時は過ぎ、あっという間に三場へ差し掛かる。

忍「さて。ほいじゃ大奥の般若とやらに出てきてもらおうか?」
女房「なっ!どこの奥様が腐れ外道の貧弱こんにゃくですって!!」
忍「そこまでは言っちゃあいねえよ」

色花(できる...いまなら、いける!)

時姫「......静まりなさい」

色花(よし.......!!いけてる!)

女房「時姫様......っ」
時姫「そちらの者は?大奥に殿以外の男の侵入を許したのですか」
忍「.......こりゃあ、噂ってのはあてにならねえなあ。えらく悲しい顔したお姫様じゃないか..............」

ひびきのおかげか、色花のパフォーマンスは練習以上だった。
そして迎えた、ラストシーン。

忍「それでは、まるで黄昏の悲しみすらもお持ちでいらっしゃらないようだ」
時姫「正しいことです......!大奥に暮らすものの業があなたに分かることはないでしょう!」
忍「分かりませぬ。しかし分かつことは得意でございます、忍者ですから」

色花(一番の、見せ場!絶対最高にする!)

屋敷の奥へ逃れようとする時姫。
その時、着物の裾を踏んでしまう。

色花「......っ!」
色花(練習では一回も踏まなかったのに!声が、出ない、このままじゃ)

忍「時姫!!」
腕を掴むのではなく抱き寄せるように時姫を支える。
色花(っ!ごめんひびき...!いや、今は、自分の台詞に集中しないと!)
しかし驚いた拍子にセリフが飛んでしまい色花の顔色が凍る。



不自然に静まり返る舞台

ひびき(何も聞かれてないのに聞かないでください、は不自然か.........)

ひびき「色花、失礼」

小声でささやいたひびき、色花の口元に顔を近づける。
ひびきの目論見通り、さきほどの時間が「ただセリフの飛んだ時間」から「意図のある余韻」へと変化する
客席から黄色い悲鳴。

色花(ひゃああ...!うそ、ひびき......!!)
ぎゅっと目をつぶる色花。けれども、ひびきは頬をすれ違わせ、口づけたように演出する以上の事はしなかった。
頭が真っ白になっているのにどこかそのことにズキッと心が痛み、失敗を放ってそんなことを考える自分にも嫌悪感を抱く。
そうとはつゆ知らずあくまでも演出として妖艶にたっぷり時間をとるひびき

観客「きゃー!!してたよね、今の絶対!」
観客「やばいやばいって!」
観客の同級生「サイアク......」
観客「あー、あんたガチ恋勢だったもんねぇ...」

余裕ぶった顔で顔を離し、ひびきは色花の唇に指をあてる。
「逃がしませんよ、おてんばな姫君?さあ......江戸の光あたる世へ!」
照明が彼を透かす程に照らして、それは、世界一の舞台よりまぶしく見えた。

幕が下り始め、二人は手を取り合い舞台を後にする。
歓声と拍手が鳴り響く。

ひびき「ふぅー、どうなるかと思っ...え?」
ぽろぽろと、ひびきの目もはばからず泣き出してしまう色花。

ひびき「えっ、えっ、ごめん!顔近づけたの...嫌だったよな⁉」
色花「ちが...違う、ごめん......最後、あんな」
戸惑うひびきだったが色花の泣いている理由を察する。
優しく色花の背中をさする。

ひびき「全然大丈夫だよ...むっ、むしろ盛り上がってたじゃん?謝らなくていいよ...」
色花、申し訳なさそうに頷くことしかできない自分を酷く情けなく思う。

〇帰り道、夕焼け
いつもは家の近所まで一緒に下校する二人だったが、色花のそっとしておいてほしい気持ちを知ってだろうか、先に帰るひびき。
色花、一人で自転車をこぐ。

色花(最悪...最悪だ.........もう部活辞めたい)
セリフの飛んだ瞬間が何度も頭をかすめる
色花(けど、ひびき...あんなに、近く)
ときめいてしまう自分を責め、いっそ劇中の世界にいってしまいたいと思う

○自宅、リビング
色花、父母と夕食中。両親に劇を褒められるも笑顔に覇気がない。
電話が鳴る

母「......はーい、盛樹です...はい」
表情が曇る

母「繋がらないの?ええ、聞いてみる」
血相を変えた母

母「色花、いつもひびき君と一緒に帰ってるよね?」
色花「えっ.........きょ、今日は一緒に帰ってない......」
母「どこまで一緒にいたの」
色花「部活解散するところまでしか、今日は。ひびきも、一人で帰ってた...と、思う」

母「今日は一緒に帰ってないって。...すぐ行くから。ええ、電話しとくわ。じゃあ」
父「ひびき君ママ?」
母「そうよ。外食行く約束してたのに帰ってこなくて、携帯も電源入ってなくてって」
父「まだ八時だろ。きっと大丈夫だよ」
母「でも分からないじゃない、あのひびき君よ。私も杞憂で終わるように祈ってるけど...」
父「分かったよ。色花、父さんたちちょっと出かけてくるから」

はっとしたような色花
色花「私も行くっ!心配だよ」
母「駄目。危ないかもしれないから色花はお留守番してて」
もう高校生なんだよ、と言いつのろうとして口を閉じる色花。
心配と無力感が混じりまた泣きそうになる
両親の声、遠くなる

父「着替えてくる」
母「私も...ああ、風前さん家に連絡回さないと...」

時間が過ぎていく。

色花(私が今日一緒に帰ってたら...............)

母からのメールを開く。家の電気はつけたまま、先に寝ておきなさいとのこと。

色花(...泣く以外ほんとに何もできないな、私)


○翌日、朝学活
色花、気分が晴れるわけもなく席に着く。
ひびきの席は空いたまま。

色花(先生、何も言わない...)
もう何回目かもわからない涙があふれそうになる
自己嫌悪が募るのを感じる色花

色花(教室で泣くのはだめ...人気のないところ)

女子トイレ、階段、廊下のつきあたりと彷徨う色花がいつのまにか立ち止まっていたのは演劇部の前
南館五階は通る人すらなくひっそりしている
チャイムの音

色花「鳴っちゃった...............あー......もういいや............」

「良くはねえだろ」

ひびきの聞き慣れた声。
朝9時の日光に少し透けた、ひびきがいた。