【レッスン室】
「真瑠璃さん、周司さん、今日もとても良く弾けておりましたわよ。その調子でね、その調子で。大変よろしゅうございました。また来週も頑張りましょうね。」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
「周司さん、この間の公開レッスンはどうでしたか?リオン先生が、周司さんのピアノは素晴らしいっておっしゃってましたわよ。」
「ありがとうございます‼︎」
「やったじゃん!周ちゃん!」
フランツ・リオンリサイタルの翌日、門下生を代表してリオン先生の公開レッスンを受けた周ちゃん。聴いているだけで勉強になることが沢山で、あんなにあっという間の三十分を過ごしたのは、人生で初めてだった。
世界的有名なリオン先生に認められるだなんて、周ちゃんはやっぱり凄い‼︎
「周司さん、このあとお時間あるかしら?もしよろしければ、楽譜を運ぶのを手伝っていたいだけますか?」
「もちろんです!」
本宮先生と周ちゃんとバイバイして、私はひと足先に帰ることに。
今日は金曜日だし、清好堂のおばあちゃんとお話ししてから帰ろうかな。今週は、とても疲れたからおばあちゃんの和菓子が食べたいな。それに、おばあちゃんに会うと、とっても元気になる。
いつもの小さな雑貨屋さんのオレンジ色の灯りが、とても温かそうにみえる。路地に咲いていた色とりどりのお花は、もうすっかり姿を隠してしまった。
隆也は元気にしているかな。
このままずっと会えないような気がする…。
こんな寒い日は、気持ちも沈みがち。
「真瑠璃!」
聞き慣れたこの声。
隆也…
隆也と会うのは昭和堂以来。
周ちゃんの話ばかりしていて、隆也を怒らせてからずっと避けるように生活してきた。
久しぶりに会う隆也は、なんだか大人になったみたい。こんなに背が高かったかな、こんなに…。
心臓を打つ音が大きくなる。隆也に聞こえちゃいそうで、慌てて声を絞り出す。
「久しぶり…だね…元気だった…?」
「うん…」
どうしよう。
隆也もなんだかよそよそしい。
でも、せっかく会えたのにこのままではいけない。
「そっそうだ…時間ある…?ちょっと寄りたい所があって。」
いつもなら、なんでもない会話。
なんだか、とてもぎこちない。
喉がきゅっと締め付けられて、小さな声しか出ない。
断られたら悲しいな。
でも、隆也ともう少し一緒に居たい!
「うん…。」
隆也と並んで歩くことが、こんなにも幸せに感じたことは今までなかったかも。
いつも当たり前に隣にいた隆也。
でも、それは当たり前なんかじゃなかったんだ。
わざわざ話さなくても、隆也と一緒にいるこの空間が心地よい。
「そこの角を曲がって…」
「行きたい場所って、清好堂⁉︎」
「そう!何でわかったの⁉︎」
「俺も、久しぶりに行きたかったんだ‼︎」
やっぱり、隆也とは気が合う。
幼なじみだからじゃない。
隆也とは、隆也とは…。
「こんにちは!
「おや、真瑠璃ちゃん。いらっしゃい。この間のお友達も一緒にきてくれたんだね。ありがとうね。」
和菓子の甘い香りに包まれたこの空間も、いつも笑顔のおばあちゃんも大好き!
清好堂のショーケースに、少しだけ並んだ上品な和菓子たち。
今日も予約でほとんど出ちゃったのね。
「苺大福!私、苺大福とみたらし団子が食べたい!隆也は?」
「俺も!」
「お茶を淹れてくるから、座って待っていてねえ。」
いつも変わらないおばあちゃんの笑顔。心が落ち着く。ほっとする。
隆也と一緒だと、さらに幸せな気持ちになる。
「真瑠璃。何だか、ほっとするな。」
「うん。」
私も同じことを考えていたよ。
隆也と同じ気持ちだったんだ。
嬉しい!
「俺さ、毎日勉強が忙しいんだ!世の中の受験生は皆んな同じだけどな。」
「うん。」
「行き詰まって全部投げ出してやれって気持ちになる時もある。」
「うんうん。」
「でもさ、やらなきゃいけない。塾のテストもイマイチで色々思うように行かなくてむしゃくしゃしていたんだけれど、真瑠璃と今日清好堂に来られて、気持ちがスーッと晴れた気がする。」
「うん!」
「ありがとうな。」
隆也。
私からみたら無敵で完璧な隆也でも、私と同じように感じたり悩んだりしているんだね。隆也はいつも落ち着いていて、みんなから憧れられていて、頭も良くてイケメンで、悩みなんてひとつもないと思っていたけれど、そんな人、いるわけないよね。隆也が心の中の声を聞かせてくれて、私はとっても嬉しくなっていた。
「お待たせしましたね。」
「うわ〜美味しそう!」
「本当だね!」
おばあちゃんが持ってきてくれた苺大福とみたらし団子は、私と隆也に『がんばれ〜』って背中をそっと押してくれているようだった。
「二人とも、とっても仲が良いんだね。」
「私たち、生まれた時からずっと一緒なんです!」
「え⁉︎びっくりしちゃったわねえ。そんなに長い間一緒に成長しているんだねえ。」
「そうなんです!」
「二人をみていたら、五年前に娘が結婚したい人がいるって連れてきてくれた時のことを、思い出しちゃったわ。」
「おばあちゃんの娘さんも、ピアノをしていたんだって!隆也と同じ特待コースで、お医者さん目指していたんだって!でもね、ピアノでオーストリアに留学したんだって!凄すぎるよね‼︎」
「俺と真瑠璃の夢を、一人で追いかけている感じだ!」
「うふふふ。それがね、お父さんが外国人とは結婚を認めん!って、どんな方かも分かろうとせずにね。それから、連絡が取れないのよね。私はね、もっとちゃんとお父さんと娘の間に入って架け橋にならなければいけなかったのにね。とても後悔しているのよ。」
「そうだったんですね……。」
「あらやだ、ごめんねえ。ついつい、真瑠璃ちゃんに会うと娘を思い出しちゃってねえ。いつも娘の話を聞いてもらってねえ。」
「ううん!そんな事ないんです。私、おばあちゃんに会うと心がほっとして、いつも幸せな気持ちでいっぱいになるから。」
「まあ、嬉しいことを言ってくれるのねえ。ありがとう。ゆっくりしていってね。」
そう言うと、おばあちゃんはまた、お店の奥へ行ってしまった。
人って、それぞれ色んなことを抱えて、悩みながら生きている。私ももっと頑張らなきゃ。
おばあちゃんが淹れてくれた温かいお茶と和菓子に、私と隆也は元気をもらった。