最後の旋律を君に

 談話室の奥のソファに腰を下ろすと、奏希くんのお母さんは優雅な所作でカップを手に取り、お茶をひと口含んだ。

 律歌は緊張しながら、その言葉を待つ。

 「奏希のことで、お礼を言いたくて」

 「お礼……?」

 律歌が目を瞬かせると、お母さんは柔らかく微笑んだ。

 「あなたが奏希に、ピアノを弾く楽しさを思い出させてくれたこと。本当に感謝しているの」

 「そんな……私はただ、教えてもらっていただけで……」

 「いいえ。あの子が久しぶりに心から楽しそうにしているのを見て、私も嬉しくなったのよ」

 律歌の胸がじんわりと温かくなる。
 奏希くんにとって、少しでも支えになれていたのなら――それだけで嬉しかった。

 けれど、お母さんはふと表情を曇らせた。

 「……でも、正直に言うと、不安でもあるの」

 律歌は思わず息をのむ。

 「奏希はね、小さい頃から強がりで、誰にも弱音を吐かない子だったの。
  でも、今のあの子は、あなたに対してだけは少し違う。あなたの前では、素直になれるみたい」

 「奏希くんが……?」

 信じられない気持ちで聞き返すと、お母さんはそっと頷いた。

 「ええ。だからこそ、あなたにお願いがあるの」

 律歌は真剣な眼差しで、お母さんを見つめる。

 「……お願い?」

 「どうか、奏希を支えてあげてちょうだい。最後まで、あの子のそばにいてほしいの」

 その言葉に、律歌は息をのんだ。

 奏希くんの余命は、あと半年。
 彼が今、どんな気持ちでいるのか、律歌にはまだ完全には理解できていないかもしれない。

 けれど――。

 「……はい」

 律歌はまっすぐお母さんを見つめ、力強く頷いた。

 「私、奏希くんと一緒にいたいです。彼のために、できることを全部したい」

 お母さんは少し驚いたような表情をしたあと、微笑んだ。

 「ありがとう、律歌さん」

 優しく細められた目元を見て、ようやく律歌は自分の緊張がほぐれていくのを感じた。

 そして、改めて思う。

 ――私は、奏希くんが好きだ。

 だから、彼のためにできることを、全部したい。

 その決意を胸に、律歌はゆっくりと席を立ち、病室へ向かった。