最後の旋律を君に

 静まり返った教室に、チョークの走る音が響く。

 窓の外では秋の風が木々を揺らし、金色の光が差し込んでいた。けれど、律歌の心はどこか落ち着かない。
 開かれたノートを見つめても、そこに書かれた文字はまるで頭に入ってこなかった。

 ――奏希くんのために、私にできることって何だろう?

 数学の授業を聞くふりをしながら、その問いが律歌の頭の中をぐるぐると巡る。

 奏希くんは、余命半年と宣告された。

 「限られた時間の中で、君を悲しませたくなかった」

 そう言ったときの奏希くんの表情が、今も胸に焼き付いている。

 律歌は胸の前で手をぎゅっと握った。

 考えたくない。でも、考えなくちゃいけない。

 奏希くんがこれから過ごす日々を、少しでも幸せにできるように。

 ――私にできること。

 ふと、ノートの端に無意識に書いていた言葉に気づいた。

 「音楽」

 心が、かすかに震える。

 ――そうだ。私は、奏希くんのために音楽を奏でられる。

 今まで逃げるようにしていたピアノ。でも、奏希と出会って、もう一度弾くことができた。奏希が導いてくれたから。

 だったら、今度は私が――。

 「……宵崎さん?」

 突然、先生の声がして、律歌はハッと顔を上げた。

 「はいっ!」

 思わず大きな声を出してしまい、クラス中の視線が一斉にこちらに集まる。

 「今、解いていた問題の答えは?」

 黒板を見て、ようやく今の授業が数学だったことを思い出す。

 「えっと……」

 ノートには、数学の公式ではなく、「音楽」「奏希くん」「幸せにする」といった単語ばかりが並んでいた。

 ……完全に聞いてなかった。

 「え、えーと……」

 あたふたする律歌を見て、隣の席の早坂鈴子が小声で「35」と教えてくれる。

 「35……です!」

 「正解。次からは、もう少し集中しなさいね」

 先生はあきれたように言い、授業を再開した。律歌はホッと胸をなでおろしながら、鈴子に小さく「ありがとう」と呟く。

 「もう、なに考えてたの?」

 鈴子がくすくす笑いながら囁く。

 律歌は少し迷ってから、頬を赤らめながら答えた。

 「……奏希くんのこと」

 鈴子の目がぱちくりと瞬く。

 「ふーん、なるほどね?」

 その意味ありげな微笑みに、律歌は思わず顔を伏せた。

 でも、決めた。

 ――私は、奏希くんのために音楽を奏でる。

 それが、私にできるたった一つのことだから。