最後の旋律を君に

 律歌の涙をそっと拭いながら、奏希くんは静かに微笑んでいた。
 
 その手の温もりは優しくて、それなのにどこか儚げで――律歌はまた涙が零れそうになる。

 「奏希くん……」

 震える声で名を呼ぶと、奏希くんは少し照れくさそうに目を伏せた。
 
 そして、ゆっくりと息を整えながら、もう片方の手でも律歌の手を包み込む。

 「……律歌」

 掠れるような声が、静かな病室に落ちる。

 「僕も……君のことが、好きだよ」

 その言葉が耳に届いた瞬間、律歌の胸がぎゅっと締めつけられた。

 「え……?」

 驚きと喜びが入り混じり、言葉が出てこない。

 奏希くんは、まっすぐに律歌を見つめていた。

 「最初に君を見たとき……君のピアノの音に、どこか懐かしさを感じたんだ。
  僕はずっと、ピアノは“技術”で魅せるものだと思ってた。でも、君の音は違った。
  すごく優しくて、まるで心に沁み込んでくるような――そんな音だった」

 律歌は息をのむ。

 「でも、君はその音を閉じ込めてしまっていた。だから……もう一度、心から楽しいって思いながら、ピアノを弾いてほしかった」

 奏希くんの言葉が、律歌の心の奥深くに染みわたる。

 「最初は、それだけだった。でも……君が一生懸命にピアノに向き合おうとする姿を見て、どんどん惹かれていった。
  君はきっと、自分では気づいていないけど、本当に努力家で、誰よりも優しくて……すごく純粋なんだ」

 奏希くんは微笑む。

 「そんな君を見ているうちに、気づいたら……好きになってた」

 律歌の頬が熱を帯びる。

 「でも……僕は、時間が限られてる。君とこうして一緒にいられる時間が、あとどれくらいあるのか分からない。
  それが、すごく怖かったんだ」

 かすかに震えた声が、律歌の胸を締めつける。

 「だから、想いを伝えるのをためらってた。君を好きになればなるほど、君を悲しませることになるんじゃないかって……
  でも、律歌が僕に気持ちを伝えてくれたことで、やっと決心がついたんだ」

 奏希くんは、律歌の手をぎゅっと握りしめる。

 「僕は……君のことが、本当に大好きだよ」

 その言葉に、律歌の涙腺が再び緩む。

 「奏希くん……」

 涙が頬を伝っても、もう拭おうとはしなかった。

 「私も、奏希くんが大好き……!」

 そう言うと、奏希くんは安心したように微笑み、そっと律歌の頬に触れる。

 「ありがとう……律歌」

 病室の窓の外では、夕陽が優しく二人を包み込んでいた。

 限られた時間の中で、それでも二人は互いの想いを確かめ合い、心を寄せ合う。

 ――どんなに短い時間でも、きっと、永遠よりも輝く日々になる。

 律歌は、そう強く願った。