最後の旋律を君に

 夕暮れの病室は、静寂に包まれていた。窓の外には橙色に染まる空が広がり、風に揺れるカーテンがそっと頬を撫でる。

 奏希さんはベッドに寄りかかり、ぼんやりと窓の外を見つめていた。

 「……奏希さん」

 そっと扉を開け、律歌が病室に足を踏み入れる。

 奏希さんは驚いたようにこちらを見上げたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。

 「……来てくれたんだね」

 「うん……」

 胸が高鳴る。

 この気持ちを伝えたら、もう後戻りはできない。

 でも――

 (私は、後悔したくない)

 律歌は深く息を吸い込み、ベッドの横にある椅子にそっと腰を下ろした。

 「奏希さんに、話したいことがあるの」

 「……うん」

 奏希さんは優しく律歌を見つめながら、静かに頷く。

 律歌は膝の上でぎゅっと指を組んだ。

 「私……ずっと、奏希さんのことが好きだったの」

 その瞬間、心臓が大きく跳ねる。

 奏希さんの目がわずかに見開かれた。

 「え……?」

 「最初は、憧れだった。奏希さんのピアノを聴いたとき、こんなにも人の心を動かせる音があるんだって思った。それに……私がピアノを諦めかけていたとき、奏希さんの音を聴いて、もう一度弾きたいって思えた」

 律歌は奏希さんの瞳をまっすぐに見つめる。

 「でもね、それだけじゃなくて。奏希さんと一緒に過ごして、ピアノを教えてもらって……その優しさや、温かさに触れて……気づいたら、私は奏希さんに恋をしてた」

 奏希さんは何も言わず、ただ律歌の言葉を静かに受け止めるように見つめていた。

 「奏希さんは、自分のことよりいつも他人を気にかけるよね。私が落ち込んでたときも、そばにいてくれたし、レッスンではどんなに私ができなくても、根気よく教えてくれた。奏希さんがピアノを弾いてるときの表情も……すごく好き」

 声が震える。でも、もう止まれない。

 「それにね……奏希さんが倒れたとき、怖かったの。私、奏希さんがいなくなるなんて考えたくなかった。でも、どうしようもなくて……」

 胸が締めつけられる。でも、それ以上に、この想いを伝えたい。

 「だから、伝えたかったの。奏希さんが……好き」

 律歌は涙ぐみながらも、精一杯の想いを込めて伝えた。

 ――好き。

 ――大好き。

 奏希は、しばらく何も言わなかった。

 そして、ふっと微笑んだ。

 「……律歌」

 その声は、どこまでも優しく、どこか切なかった。

 「こんなにまっすぐに気持ちを伝えてもらったのは……初めてだよ」

 奏希はゆっくりと手を伸ばし、律歌の頬にそっと触れる。

 「ありがとう。そんなふうに想ってくれて……すごく嬉しい」

 律歌の涙が、ぽろぽろと零れる。

 「私……奏希さんと、もっと一緒にいたい。奏希さんのそばにいたい……」

 「うん……」

 奏希さんは優しく律歌の涙を指で拭った。

 「……僕もね、律歌といると、心が安らぐんだ。君の笑顔を見てると、なんだか救われる気がする」

 その言葉だけで、胸が熱くなる。

 奏希さんは微笑みながら、律歌の手をぎゅっと握った。

 「半年……なんて短い時間かもしれない。でも、僕は……その時間を、律歌、君と一緒に過ごしたい」

 「奏希さん……」

 律歌の目から、また涙が溢れる。

 でもそれは、悲しみだけの涙じゃなかった。

 「ありがとう……」

 奏希さんは微笑みながら、そっと律歌の手を握り返した。

 ――限られた時間でも、二人で一緒に過ごしたい。

 律歌は、そう強く思った。