最後の旋律を君に

 発表会当日の朝、律歌は胸の高鳴りを抑えながら楽屋の鏡を見つめていた。

 響歌と選んだ淡いブルーのドレス。

 ふんわりと巻かれた髪には、小さなシルバーのヘアアクセサリーが輝いている。

 何度も深呼吸をしてみるものの、心臓の鼓動は早まるばかりだった。

(……大丈夫、私は変われた)

 その時、隣からそっと肩を叩かれる。

「緊張してる?」

 振り向くと、黒のタキシードを纏った奏希さんが立っていた。

 彼はいつもと変わらない、穏やかな微笑みを浮かべている。

「そりゃ、してるよ。だって……こんな大きな舞台、久しぶりだから」

「うん。でも、君なら大丈夫。今までの練習を思い出せばいい」

 落ち着いた声が、張り詰めていた心をそっと緩める。

「……奏希さんは、緊張しないの?」

「うーん、してるよ」

「えっ、嘘」

 思わず目を丸くする。

 いつも冷静な奏希さんが緊張するなんて、想像できなかった。

 すると、彼は少し口元を緩めて言う。

「君と一緒に弾くから、失敗できないなって思うと、ちょっとね」

「え……」

 顔が一気に熱くなるのを感じた。

「なんてね。そろそろ行こうか」

 奏希はそっと手を差し出す。

 一瞬戸惑いながらも、律歌は静かにその手を取った。

 舞台袖へと向かう途中、観客席のざわめきが耳に入る。

(すごい……たくさんの人)

 手のひらがじんわりと汗ばむ。

 だけど、その不安を振り払うように、隣の奏希さんが小さく囁いた。

「楽しもう」

 その一言が、背中を押してくれる。

 ゆっくりと幕が上がる。

 静寂の中、ライトが二人を照らした。

 目の前には、黒く輝くグランドピアノ。

(……もう怖くない)

 律歌は奏希さんと目を合わせ、小さく頷く。

 そして、そっと鍵盤に指を置いた。

 始まりの音が、静かに響き渡る。