最後の旋律を君に

静まり返ったピアノ室に、澄んだ旋律が響く。

律歌の指先は、鍵盤の上を滑るように流れ、奏希さんの隣で真剣な表情を浮かべていた。

今日は発表会前、最後のレッスン。

この数ヶ月間、奏希さんのもとで積み重ねた努力のすべてを音に込める。

――最後の音を弾き終え、そっと息をつく。

しんとした静寂が訪れた。

奏希さんは目を閉じたまま余韻に浸るように微動だにしない。

律歌は無意識に指を握りしめた。

(どうだったんだろう……?)

緊張が張り詰めた空気をまとったまま、奏希さんの言葉を待つ。

やがて、ゆっくりと目を開き、彼は小さく微笑んだ。

「……素晴らしかった」

その一言に、律歌の肩の力がふっと抜ける。

「本当に?」

「うん。今までで一番、良かった」

奏希さんはそう言って、律歌の手元を見つめる。

「音がすごく柔らかくなった。無理に完璧を求めるんじゃなくて、自然と曲と向き合えていたね」

律歌の胸がじんわりと熱くなる。

「奏希さんのおかげだよ。私、一人だったら、ここまで弾けるようにはならなかった……」

「違うよ。これは、律歌の力だ」

奏希さんはまっすぐに律歌を見つめた。

「僕は、ほんの少し背中を押しただけ。ここまで来られたのは、律歌が諦めなかったからだよ」

その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。

(私、本当にここまで来られたんだ……)

数ヶ月前、ピアノをやめた自分が、またこうして鍵盤に向かっているなんて思いもしなかった。

そして――こんなにも誰かの言葉が、心の支えになるなんて。

律歌は、そっと奏希を見つめた。

「奏希さん、本当にありがとう」

すると、奏希さんは少しだけ困ったように笑った。

「ありがとうなんて、まだ早いよ」

「え?」

「明日が本番なんだから。ここで満足してたら、ダメでしょ?」

くすっと微笑む奏希さんの表情が、なぜか儚く見えた。

律歌はどこか胸の奥が痛むのを感じながら、小さく息を吐いた。

「……うん。明日、頑張る」

「うん。律歌なら、きっと大丈夫」

奏希さんの優しい声に包まれながら、律歌は明日への決意を胸に刻んだ。