高校1年生も終わりが近づいてきたといえる2月のことだった。2月とは思えないほどの燦々と照っている太陽の中、僕は道端を歩いていた。電柱に留まるあの鴉にも愛する者がいるのだろうか、今僕の前を歩く大人たちも僕と同じように何かに終われているのかな、とか、考えても無駄な話が自発的に頭に浮かんだのだった。足取りが早い大人たち、自分だけ時の流れが歪んでいるように思える。いや実際、時は止まっていたのかもしれない。
時が止まっていたその時に、僕はお婆さんに話しかけられた。70歳くらいだろうか、この人にも僕くらいの歳の頃があったのかとかまたいらない妄想に入りそうなところで、遠慮がちでもない様子で、彼女は僕に尋ねてきた。
ここら辺にフラワーホームというのはありませんかね、あいにく僕が知る場所の名前であった。入ったことこそないものの、小学校六年間使った通学路にデカデカと看板が貼られていた施設だったので、さすがにそんなもの知らないとは言えない。
丁寧に、相手の目を見て、自分の祖母に話しかけるかのように、僕は道案内をしてみせた。まるで自分が模範的高校生であるかのように、こういうのを好青年と言うんだろうとか思いながら。お婆さんにありがとうね、感謝をされて少し心が和んだ気がした。なぜだろうか、友から言われる感謝とは重みが違う。
でもその後、お婆さんとお別れしてから突然お婆さんへの怒りが舞い上がってきた。自分が丁寧に道案内をしていた時間が急に勿体なく感じられたのだった。僕はそう感じた僕を嫌になって、また深い深い妄想へと入った。あのお婆さんと自分を対比させ、心の底からの感謝を伝えてくれたあのお婆さんとの違いを探してみせた。
時の進みが元に戻って、周りより足取りが軽くなった感覚。もうそろそろ家に着くみたいだ。
時が止まっていたその時に、僕はお婆さんに話しかけられた。70歳くらいだろうか、この人にも僕くらいの歳の頃があったのかとかまたいらない妄想に入りそうなところで、遠慮がちでもない様子で、彼女は僕に尋ねてきた。
ここら辺にフラワーホームというのはありませんかね、あいにく僕が知る場所の名前であった。入ったことこそないものの、小学校六年間使った通学路にデカデカと看板が貼られていた施設だったので、さすがにそんなもの知らないとは言えない。
丁寧に、相手の目を見て、自分の祖母に話しかけるかのように、僕は道案内をしてみせた。まるで自分が模範的高校生であるかのように、こういうのを好青年と言うんだろうとか思いながら。お婆さんにありがとうね、感謝をされて少し心が和んだ気がした。なぜだろうか、友から言われる感謝とは重みが違う。
でもその後、お婆さんとお別れしてから突然お婆さんへの怒りが舞い上がってきた。自分が丁寧に道案内をしていた時間が急に勿体なく感じられたのだった。僕はそう感じた僕を嫌になって、また深い深い妄想へと入った。あのお婆さんと自分を対比させ、心の底からの感謝を伝えてくれたあのお婆さんとの違いを探してみせた。
時の進みが元に戻って、周りより足取りが軽くなった感覚。もうそろそろ家に着くみたいだ。

