「ゆうくん!ただいまー!」
あれ?いないみたい。
適当にお湯を沸かし、コップに注ぐ。
時刻、夕方6時。
突撃番組並みのアポ無しだけど、いつも許されている。
でも郵便物は取って玄関に置いてあったから、帰ってるはず。

もしかして、もしかしてだけどお風呂入ってる?

ラッキースケベを狙って浴室や洗面所のある部屋の扉を開けると、暗かった。
ですよねぇ

じゃあ、どこに?
思い当たる場所は、あと一つ。
「ゆうくん」

そーっと扉を横にスライドさせると、やっぱり、いた。
ゆうくんはシングルベッドでシャツのまま、何も掛けずに寝ていた。

夜勤明けだったみたいだ。
ゆうくんは瞼を閉じ、すうすうと眠っている。
口の隙間から涎。
可愛くて、愛おしくて、心に響いた。
起こしちゃまずいよね、とティッシュで涎を拭き取り、ワークデスクの椅子に掛かっていた、軽めのブランケットを拝借し、ゆうくんの腰にそおっとかけて退室する。

シャワーを浴びず、睡眠を求めるくらい疲れているのか。

どうして都市に行かず、この町で消防士を選択したのか少し気になった。

キッチンで夕食の準備を済ませる。
冷蔵庫に1人分のオムライスと、和物、スープを入れて、床に置かれた洗濯物を畳み、パジャマを浴室の扉の近くの定位置に置いて、布巾で家具の埃を取る。

ゆうくんが帰ってこない時していることを、居るのにしていることに緊張する。

ゆうくんは彼女も彼氏も作らない。
消防士って、女の子から人気だよね。
身体強そうだし、もはや好印象のポイントしかないよね。
改めて、私が構って欲しい相手じゃいけないなぁと思った。

でも、やっぱりやましい気持ちは捨てきれなくて、寝室に足を向ける。

「ゆうくん、私だよ。私も一緒に寝ちゃ駄目?」
「ねぇ、一緒に寝ていい?」

「駄目だよ…」

息が止まった。
まさか、ゆうくんは寝ながら会話できるなんて知らなかった。
しかも理性的な答え。
無言という肯定を勝ち取りたかったが、やっぱり考え直すと、ゆうくんに許可を得ずにくっつくのは嫌なことだろうな。
「おやすみ」
ちょっと悲しくて、いつもいじっている髪をひと撫でして、リビングでラブレターを堂々と書く。
大好きなゆうくんへ
適当に晩ご飯作っちゃったけど、食べたかったら冷蔵庫にあるから、いつでも食べて。
(明日の夜くらいまでなら食べられるやつ)
またね♡
うーん、♡が私上手くなったなあと感慨深くなる。
どんな♡が一番ゆうくんにウケるか、なんてことを考えたこともあった。
結論として、多分ゆうくんはどれでもいい。というかそんなこと記憶にない。

まあそんなもんだ。
私が関係を進展させようといろいろ奮発しても、実際、人同士の関係?そんなものゆうくんの脳内辞書にないんですけど、進展?何それ?みたいな感じかも知れないし。

ゆうくん、彼女とか作んないのおかしくない?
不特定多数の彼女的な存在すら感じられない。
てことは…ピュアボーイとか?
いやいや、失礼なこと考えちゃ駄目だよね。
私は本当何をしているのか、何を考えてんのか…。
さっさと帰って、寝よう。
夜ご飯は食べなくていい。
会えただけで嬉しかった。
今日の最後の記憶はゆうくんで終わらせたい。
さて、リビングから出ようと帰宅の準備をしていると、何か音がした。
洗濯機動かしてなかったよね?
まぁ、いいや。
ついでに家の戸締り確認して出よう。トートバッグを持ち、振り返ると、視界が一面、でっかいシャツ。
ひゅっ、と呼吸が乱れた。
ゆうくんの匂いが迫っていたことになんで気づかなかったんだろう。
また、心拍数を乱れさせながら、確かに足を後退させ、距離を取った。

「…ゆうくん?」
え、起きちゃった?
孤高の浮浪人みたいな感情を浮かべるゆうくん。
何も、見ていないように見える。
「ごめんね、勝手に長居しちゃった。でも、今すぐに、帰るので、ね?」
許して、と上目遣いする。
うふふ、と変な笑いをこぼしながら、さらっとゆうくんのそばを通り過ぎようとしたとき、太い腕に阻まれた。
「あっそ」
そして、まるでキャリーケースのように引っ張られる。
滑りのいいフローリング、薄い靴下。
スケート場並みの摩擦力だ。
いや、なんで私引っ張られてるの?
あっそ、って帰ってもいいよ、ってことじゃなかった?

さりげなく両手でゆうくんの腕を掴む。
ついでに抱きつく。
「邪魔」
と、ゆうくんは呟くけど、手は離さない。
うーん、ラッキーイベントすぎる。
幸せだ…。
あれ?
至近距離のゆうくんという存在があることにどきどきして、記憶になんとかしてとどめようと試みていたら、いつの間にか寝室にいた。

???

扉、いつの間にくぐったの?
ゆうくんの行動がよくわからない。

何かやって欲しいことがあったの?
「ねえ、ゆうくん。私邪魔だと思うんだけど」
そばにいてもいいの?
「良くなくはないことはない」


え?
あー、いてほしくないけど、いないわけにはいかない、ってこと??
「でしょうね。何すればいいの?」
「睡眠」
わ、私が?
自分のことを指差したとき、ふわっと浮遊感に襲われ、視点が一気に上がって、スーパーマンみたいな体勢になった。
そして、肩に担がれていたことを理解する。
涙が出そうだ。
だって、胸が潰れそう。
「ん」
決して、くすぐったい訳じゃない。
痛かったのだ。
「なんで」
「痛かったんじゃないよ、気持ちよかったから」
「なんで」
どういう意味のなんでなのか。
痛くてもこの密着シーンは最高なので、満足している。
だからIQが低下した。いつもの口癖で誤魔化した。
「ゆうくん好き。大好き。本当愛してる」
「…」
何も、答えなかった代わりに、私をベッドに落とした。
ゆうくんも何故かベッドに来る。
2人で向き合った。お互いの方を向いて。
「出んな」
「うん、どこにも」
もう、どうしようもないな。
あきらめて、恋人繋ぎで繋がれたままの手を見る。
するっと手でゆうくんの爪、掌、関節をなぞる。
いつの間にそれこそ、ゆうくんは大人になったのか。
どんなゆうくんも好きだ。
「いい夢見れるといいね」
ゆうくんの顔がしかめられた。
もう抱きついてもいいかな。
だって、こっちに引き寄せたのはゆうくんだ。
少し、近づくとゆうくんの呼吸が伝わって、心がいっぱいになる。
ゆうくんと寝るの、久しぶり。
やっぱり涙が溢れそうだ。
顔も、かなり熱いから、きっと赤い。

なんでこの状況かはもう考えないでいい。
明日考えよう。
でも、私に都合よく、考えてしまうなら、都合のいい、抱き枕だ。
そんな可愛い存在ありえないけど。

あ、寝そう。
おやすみ、と心の声でゆうくんに言って、手で背中をさすった。

疲れているんだろう。ゆうくんも。だから、こうなった…と意識を半分失いながら思う。


まさに、寝落ちした直後、誰かに髪を触られた気がした。

さらり、さらり、と髪が顔からどけられて、すっきりする。

ゆうくん以外あり得ないけど、ゆうくんだけはあり得なかったから、寝返りか枕だよね…。

朝、自然と起きてゆうくんが隣にいることに一瞬混乱したけど、すぐに理解した。
そうだった。
眠気に乗じてゆうくんと共寝する光栄を賜ったんだった。

ゆうくんも起きていた。
目だけ。
私は首を少し傾げて、笑いが口からこぼれ落ちて、ベッドに笑い声が沈む。
ゆっくりと瞬きをする。
「…」
何もゆうくんは言わなかった。ただ、諦めたように天井に身体を向ける。

なんて愛おしすぎるんだ、ゆうくん。
「おはよう。ねぇねぇ、おはよう、ゆうくん」
はずんだ声をかけた。
ゆうくんは一瞬スマホを見て、またそばに置く。
「あ?」
「ん?」
あえて何も言わずに抱きしめる。
「…」
「…」
「服着てるよ。下穿いてないだけ。あったかいねぇ、ゆうくん」
ゆうくんは無言で私のそのままの胸、ロングTシャツの下に伸びる太ももを見た。
「…穿け。着ろ」
「何色がいいかなぁ」
「おい」
「ゆうくんにだけ、変態なの。ねぇ、お願い」
「駄目」
「なにが?」
「おれに、変なことすんな」
「やだ」
朝は嘘をつく気にならない。
「…」
でも、我儘を貫く自信もない。
仕方ない。
「…何着たらいいの」
「さぁ」
「んー、じゃあ、ゆうくんのTシャツ欲しい!」
「は?」
「ほら、黒のタイトなやつとかなら着れそ」
「出禁な」
「…やーだーもぉー」
「下着を、おい、」
「ねぇ、朝ごはん何がいい?」
「もう帰って」
「あ、夜食べなかったからおかずは足りてるね、よかった、じゃあ飲み物あっためちゃおっかな」
「…」

ゆうくんを怒らせたくはない。
「おい」
もう一度、ゆうくんに飛び込むように抱きしめた。
ごめんね、我儘を言って。
朝からやかましくて。
「…」
「…いたっ」
ゆうくんにデコピンされた。
しぶしぶ、すぐ離れますよ、と体をどけた。
でも、私はこんな幸せな朝があっていいのかな、と噛み締めてしまった。

オムライスは昼に食べてもらおう。
朝ごはんは、私といちゃいちゃしながら食べて欲しいなぁ、なんて妄想する。
こういう甘ったるい所がゆうくんは信じられないんだろう。