ただ繰り返されるだけの毎日に、私は辟易している。
 楽しいことがないわけじゃない。けれど、生きてることを実感できるほど、世界は輝いてもいない。

 私が若いせい……なのだろうか。
 もう少し大人になったら、こんな退屈はどこかに行ってしまうのだろうか?

 それは、日常の忙しさに紛れて真実を見ようとしなくなるだけ、ということではなく……?

*****

 その日、私は塾だった。
 大して身にならない勉強時間を、ただ貪るだけの場所。

 いつものようにお勤めを終えた帰り道。私はふと、いつもと違う道を歩き出す。
 どうして? と言われると困るのだけど、そうだな、ただ、魔が差しただけ。
 少し遠回りになるその道は、表通りと違って少し暗い。だけど人通りはそこそこあるし、 危険な感じはないのだ。

 途中、少し大きな公園の横を通る。
 夜の公園、と聞けば怪しさも増すが、犬の散歩やジョギングなどでそれなりに賑わっていた。

 ふと、目を遣ると、帽子を目深に被った背の高い男と背の小さい男が芝生の上で何か喋っている。何をしているのかは、近付いて分かった。
「そんなバカな!」
「ほんとなんだって! その屋敷からは夜な夜な女の声が……」
「きゃ~!」
「パックがいちまぁい、パックがにまぁい……四枚足りないぃぃ」
「六枚入りだったのネ」
「ハイ、どうもありがとうございました~!」

 なるほど、芸人さんなのだ。

 それにしても……
「声、ちっさ」
 思わず呟いてしまう。
 とにかく、驚くほど声が小さかった。いくら本番はマイクがあるとはいえ、あれではお客に届かないだろうな、と溜息をつく。

 どうでもいいけど。

 そう。どうでもよかったのだ。私は。
 それなのに……。

「ええっ! まだ声小さいですかっ?」

 背の高い方の男が、私に向かってそう声を掛けてきたのだ。
「え?」
 私の呟きを聞かれたこと、そして話し掛けられたことに驚き、思わず顔を向ける。暗がりで気付かなかったが、その二人の顔は……青かった(・・・・)

「え? え? なにっ、なんで?」
 パニくる頭をなんとか正常に戻しながら、答えを導き出す。
 ああ、そういう設定なんだな、と。
 宇宙人かなにか、そういうコンセプトで組んでいるのだろう。なるほど。練習中から青くしてるなんて、その心意気というか、自己演出? はすごいと思う。

「あ、急に話しかけちゃってすみません。声、やっぱり小さいですか……ね?」
 今度は小さい方の男がそう聞いてきた。
 私は小さく頷くと、
「そう……ですね、もっと声張った方が勢いとかも出るし、いいと思います……けど」

 お笑いのことなど何も知らない。ゆえに、ありきたりなことを口にする。いや、声を張れなんてありきたり以前の問題な気もするけど……あ、でも待って!
「ごめんなさい、もしかして囁き漫才(・・・・)とか目指してるんでしたらっ」
 そうだ、その線もあるのだ。あえて声を張らない。もしそっちなら、

「いえ、ただ声が小さいだけですっ」
 申し訳なさそうに二人は身を縮めた。

 違ってたか。

 しかし、こうして会話している声は至って普通の音量だ。何故漫才のときだけあんなに声が小さいのか?
 いや、そんなこと気にしている場合ではない。
 帰ろう。
 私はぺこりとお辞儀をしてその場を去ろうとした。が、
「待ってください、師匠!」
 背の高い男が大きな声を出した。

 ……出せるんじゃん。というか、なに? 師匠?

「お願いします、師匠! 俺たち、今度の漫才コンテストで何とか上位に食い込みたいって思ってて、でもどうしても二人でやってると限界っていうか、客観的な意見が出づらくて、その……もしよかったら、見て、意見いただけませんかっ?」
「俺からも、お願いします!」
 二人そろって頭を下げる。

「いやいやいや、私、お笑いのことなんかわかりませんよ! さっきはただ、思ったことが口に出ちゃっただけでっ」
「それです!」
「そう、それなんです!」
 二人がピッと私を指し、おかしなポーズをとる。
「そんな感じで『思ったこと』を僕たちに教えてほしいんです!」

 面倒なことになってきた。

 私はブンブンと手を振り、
「いやぁ、私のような素人の意見なんて」
 と断りを入れるが、
「そんな謙遜はいりませんよ!」
「どうか、僕たちを助けると思って!」
 と、青い顔で迫られる。
 ああっ、もう!
「わ、わかりましたっ。じゃ、あと十分だけお付き合いしますっ。それでいいですかっ?」
 そう言うと、二人の顔がパァァと明るくなった。
「やった!」
「ありがとうございますっ」
 笑いになど興味がない私。とはいえ、知らない世界が飛び込んできたことで少しだけワクワクもしていたのだ。


「コンビ名は、デジタルチョップっていいます。俺が水島朝陽(あさひ)で、こっちが弟の佑也(ゆうや)。二卵性だから似てないけど双子なんだ。二人ともM大一年」
「ええっ? M大生なんですかっ?」
 急に彼らを見る目が変わってしまう私。だって、まさかのM大生。頭いい!
「そんなに大したことないですよ」
 小さい方……佑也が頭を掻く。
「じゃ、早速だけど見てもらっていいですか? それで、意見が欲しいです」
「あ、はい。私でよければ……」

 デジタルチョップ? 特に宇宙人要素があるようには思えないコンビ名。いや、コンビ名と見た目は関係ないのかもしれない。とにかく私は、彼らの漫才を通しで見せてもらったのだ。見せて……もらったけどぉ……

「声、ちっさ!」
 それ以外、言うことはない。

 声が小さすぎるせいで、ネタの内容が頭に入ってこないのだから。いや、聞こえないわけではないのだよ。でもね、漫才見るのに一生懸命耳を済ませるって行為、普通はしない。それに、ちょっと面白いな、って笑ったりなんかしたら、もう次の台詞聞き取れないに決まってるじゃん!

「……やっぱり、声小さいんですね」
「どうしよう……」
 二人はわかり易くシュンとする。
「なんで喋るときはちゃんと大きい声出るのに、漫才になると小さくなっちゃうんですか?」
 単純に、疑問だった。
「き……」
「き?」
「緊張しちゃって」

 普通か~い!

 というか、そんな恰好までしてやっているのは、度胸を付けるためなのか。青い顔にするくらいなら声も出せ!
 私は、大きく溜息をつくと『個人的意見』を述べた。
「折角そんな顔してるんだから、もっと堂々と自信もってやったらいいと思いますよ? ネタ自体はそんなに悪くないと思うんですけど、声が小さいと笑うの躊躇します。勿体ないです」
「おおっ」
「貴重なご意見!」
 二人してメモなど取り始めるのだから、参ってしまう。
「そんな、メモするほどのことじゃないですってば!」
 私は手をブンブン振ると、会釈をし、言った。
「じゃ、私はこれで」
 しかし、
「待って、師匠!」
「見捨てないで!」
 何故か二人にまた引き留められる。

「……だから、師匠じゃないですって。私、ただの高校生だし」
「いや、君は俺たちデジタルチョップの救世主になり得るかもしれない人物だ!」
「どうか俺たちを見捨てないでください、救いの天使様!」
「ちょっ」
 顔が熱くなるのがわかる。天使だとか言われて思わず本気で照れてしまった。
「今日は確かにもう遅い」
「そうだ! 日を改めるというのは?」
「おお、それがいい!」
「師匠、いつならご都合が?」
「いかがでしょう!?」

 双子だからなのか、息ピッタリである。もはやどっちが話してるのかもどうでもよくなる程、次々に言葉か飛んでくる。そのテンポとその声量。それさえあれば漫才コンテストも間違いないんじゃないだろうか。

「意見はもう言いました。これ以上私に何をしろと?」
 腰に手を当て少し強気に出る。と、二人は顔を見合わせ、頷き合った。
「デジタルチョップの総合監督になってはいただけないでしょうか」
「……は?」
 総合監督って、なによ?
「俺たち二人を、一人前のコンビに育ててやっちゃくれないでしょうかっ?」
 だから、それ本当の師匠じゃん……。
 私はこめかみに指をあてると、
「だから、私はただの高校生で」
「いいや! こうして俺たちの話を聞いて、意見してくれる人がいるなんてっ」
「そうです! 今までこんなことは、なかった!」
「えええ……」
 二人とも友達いないの? とはさすがに言えないので、黙る。まぁ、こんな風に顔青くしてコントの練習するような二人だから、多少変わってるのかもしれないけど。
 少しだけ、同情してしまう自分がいた。

「ん~」
 返答に、困る。本当はすっぱりキッパリお断りしたい。でも、必死な顔でこちらを見ている青い顔の男二人を、少し『面白い』と思ってしまっている自分もいるのだ。

「本当に、私お笑いのことなんかわからないんですけど」
「いいっ、それでもいいっ」
「君がいいんだ、師匠!」
 食い気味に言葉を掛けられる。
「その、師匠ってのはやめてください。私の名前は暁めぐみ。塾の帰りにたまたまここを通っただけです。どうしてもって言うなら、まぁ、もう一回くらいなら練習にお付き合いしますよ」
「やった!」
「嬉しい!」
 凸凹コンビが手を取り合って喜んでいる。
「じゃ、連絡先……聞いても?」
「はぁ」
 私は二人と連絡先を交換し、別れた。

 帰り道、ふと、考える。
 まさかと思うけどあれ、新手のナンパじゃないよねぇっ?


(続く)