まだ誰も知らない恋を始めよう

 フィニアスから右手薬指にはめられた指輪が、ペンデルトン夫人のものだと知って。
 それがロジャーに会うためだけに、借りたのだとしても。


「この指輪はやめましょう?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない」
「大丈夫だって」等と。

 ぎゃあぎゃあフィニアスとやり取りをして。
 建物の陰で押し問答を繰り返していたら、通行人に怯えた目で見られたので、また1人芝居に見られたのが恥ずかしくて、諦めたわたしだった。

 
 それから渡された身分証に記された、偽の名前、住所、生年月日、国民番号を覚える。
「トレーシー・マーロウ サイドレーン通り1048番地……」
 ぶつぶつと口にして繰り返すこと数回。
 よし、覚えた。
 いざ、魔法の国へ。


 ◇◇◇


「お嬢さん、貴女ね、さっきからこっち伺っていたでしょう。
 何で直ぐに来なかった?
 誰かと待ち合わせでもしてるのかと思ってたら、相変わらず1人だし。
 ヴィオン教官に会いたいなんて怪しいね、怪し過ぎるね」


 職務に忠実な門番さんは、1人で門前で待ち、一旦姿を消して、また現れて、1人で面会を求めてきたわたしを怪しんでいる。

 横に立つフィニアスが
「なんか言い方がねちっこくて、腹立つな」と気を悪くしているが、仕方ない。
 この人は職務に忠実、職務に忠実、と心の中で唱えながら、にっこり愛想良くをわたしは心掛ける。
 だって、この人は難しい性格はしていそうだけれど、悪意は感じられないからだ。


「ヴィオン教官のお知り合いの方からの紹介なんです。
 ジェラルディン・キャンベル嬢の知人だとお伝え願えませんか?」

 面会申込書を突き返されそうになって、慌ててジェリーの名前を出せば、その手は止まった。