桜のころ

 駅の階段を下りて待ち合わせ広場を見ると、隼人の姿があった。
 横を通る女子高生が隼人を見ながらヒソヒソと話している。
 愛梨はもう一度前髪を手で整えた。
 今日の服装を何度も迷った挙句、結局お店のマネキンが着ていた薄い水色のワンピースを買ってしまった。
 店員はこのワンピースはスニーカーにも合うと言っていたので、持っていたスニーカーを履いてきたが、なんだか子供っぽい感じがする。
 やっぱりサンダルにすればよかったと早くも後悔した。
 愛梨が近づくと、隼人はスマホから顔を上げた。
「待たせてごめんね」
 愛梨のワンピース姿を見て少し照れたような顔をする。
「いや、そんな待ってないし」
 そんな隼人を見て愛梨もまた胸がドキドキしてきた。
(会って早々こんな感じで、私、大丈夫かな)

 駅近くのカフェは少し並んだが、程なく席に案内してもらえた。
 店内は白いウッド基調になっていて、様々な植物が飾られている。
 案内されたのはソファで横並びに座るカップル席だった。
 愛梨が先に座り、隼人も一旦座ったが、愛梨との距離を確認するように見てまた座りなおした。
 他に五つ程あるソファ席もすべてカップルが座っている。
 愛梨は隼人の居る右側だけが緊張でこわばっているように感じた。
「俺、店のこととかよく分かんないし、姉ちゃんに聞いたらここを薦められて」
 隼人はメニューブックを開きながらこう続けた。
「あと…愛梨と出かけるってことも速攻でバレた」
「あ、そうなんだ…」
 愛梨は、美乃里が張り切りながら隼人にレクチャーする姿を想像して少し笑えた。
 と同時に、隼人が今日のプランを色々考えてくれたのだと思うと嬉しくてまたドキドキした。
「俺、予備校に通い始めたんだ」
 二人ともパスタを注文してから隼人が話し始めた。
「そうなんだ。てことは、もう志望学部とか決めてるの?」
 隼人は水を一口飲んでから続ける。
「うん、薬学部目指すことにした」
 愛梨は隼人の横顔をじっと見つめる。
 勉強はできるのでそれなりの大学に進学するだとうと思っていたが、将来のことを具体的に考えていたことに少し驚いた。
「ちゃんと決めてるのすごいね。私なんてまだ日本の高校生活に馴染めてるかどうかもあやしいのに」
「もうしっかり馴染んでるだろ」
 こう言って優しい顔を向けてくる隼人に愛梨はまた胸が締め付けられるようだった。
「愛梨も医療系目指してるんだよな?」
 二人が通う高校は二年生から文系・理系のクラスに分かれており、愛梨も理系を希望して編入試験を受けたのだ。
「うん、ママの影響で漠然と看護系がいいかなと思って理系クラスにしたんだけど」
「それにしては数学…だよな」
 隼人はいたずらっ子のような笑みで愛梨を横目で見る。
「もう授業についていくのにいっぱいいっぱいで」
 愛梨は水の入ったグラスを見つめて小さくため息をついた。
「予備校、数学だけ通ってる人もいるよ」
「そうだよね。親に相談してみる」
 注文したパスタが運ばれてきた。
「薬学部目指すきっかけって、やっぱり美季さんの影響?」
 隼人は大盛りサイズのパスタを頬張っている。一口が大きい。
「うん、まあ、そうだな。医療系にすることは考えてたんだけど、薬学部を決めたのはわりと最近」
 愛梨は今日どんな顔をして隼人に会っていいか分からなかったが、自然に話せていることにホッとした。と同時に、三条医師の言葉を思い出していた。

 カフェを出た後はショッピングモールへ向かった。
 隼人はフロアマップを真剣に見ている愛梨の後ろ姿を目で追った。
 待ち合わせ場所でワンピース姿の愛梨に会った時は、ドキドキして何も言えなかった。
 デートということを妙に意識してしまったのだ。
 愛梨も最初は緊張した様子だったが、カフェでは普通に会話できていた。
 急に幼馴染から告白されて愛梨は相当戸惑っているはずだ。
 性急すぎたとも思ったが、水野のことが気になり思わず自分の気持ちを伝えてしまった。
(ゆっくりでもいい。愛梨のペースで俺のこと意識してくれれば…)

「俺、ぬいぐるみ見ると、お前の編み物事件を思い出すよ」
 隼人は雑貨売り場のウサギのぬいぐるみを指さした。
「あれでしょ?私が美季さんに編み物教わってた時」
「そうそう。ぬいぐるみ用のマフラーが上手くできたから張り切ってニット帽も作ったら…」
「耳を出す穴を空けるの忘れて、ウサギか何か分かんなくなったんだよね」
 愛梨も病室で美季と編み物をして過ごした日々を思い出した。
「あの時隼人は、だったら最初からクマにしろ、とか散々言ってたよね」
 隼人は愛梨を見ながらクスクス笑っている。
「結局、靴下とか他にも作ってなかったけ?」
「そう、手袋やベストも作って、全身ニットスタイルになってた」
「夏の暑い時期にも編んでたよな」
「だって、私不器用で何回もやり直しとかしてたら冬が終わっちゃったんだもん」
「でも、あの時の母さん、めちゃくちゃ楽しそうだった」
 隼人がクスクス笑いをやめて優しく微笑んだので、愛梨の心臓はまた早くなった。

「あ、観覧車あるんだ」
 ショッピングモールのテラスから港の方に向かって観覧車が見えた。
「乗ってみるか?」
「うん、乗りたい」
 愛梨は勢いよく返事したが、二人で向かい合って座ることに気づき、歩幅がゆっくりになる。
 隼人はその間にチケット売り場に行ってしまった。
 海の方を見ると日が沈もうとしていて、港の明かりが少しずつ目立ち始めていた。
 向かい合って座ると隼人もずっと景色を見たまま黙っていて、観覧車の低い動作音だけが聞こえる。
 愛梨は小さく深呼吸してから口を開いた。
「私…隼人に言いたいことがあって…」
 隼人は少し俯きながら「うん」と小さく答えた。
「私がこの高校に入って隼人と再会したこと、偶然じゃないの」
「え?」
 隼人は目を丸くして愛梨を見た。
「日本に一時帰国してお墓参りに行った時、隼人の姿を見てたんだ」
 愛梨は自分のバッグをぎゅっと握る。
「隼人の制服姿を見て、私も同じ高校に入りたいって思って…それで編入試験を受けたの」
 隼人は黙ったままずっと愛梨を見つめている。
「偶然を装っててごめん。…美季さんが亡くなって隼人が一番つらい時に何も言わずアメリカ行っちゃったことが自分の中で許せなくて」
「そんなことない。前にも言っただろ。親の都合なんだし仕方ないって」
 愛梨の目に涙が浮かんだ。
 隼人は愛梨の手を両手でそっと握る。
「愛梨がアメリカ行ってからも、いくらでも連絡取る方法はあったんだ…けど、もう俺のことはどうでもよくなったのかな、とか勝手に思って、連絡できなかった。」
「一日も忘れたことなかったよ…隼人のこと…」
 愛梨も隼人の手を握り返した。
「隼人の姿を見て、もう一度あの頃みたいに一緒にいたいと思った。離れてた時間をやり直したいと思ったの」
 涙があふれてきた。
「あの頃からずっと…隼人が好き」
 隼人は愛梨を抱きしめた。
 涙越しに港の明かりが見える。
「なんだよ、俺のこと男として意識してくれるまで長期戦も覚悟してたのに」
「ごめんね。私の気持ちの方がずっと重いんだよ。ストーカーみたいに高校まで追いかけてきたんだから」
 観覧車の降り場が近づいてくる。
 二人は見つめ合って笑った。