桜のころ

 翌日。
 二年半ぶりの再会を果たしたのにいきなり泣いてしまって、教室に入るのが気まずかったが、隼人は何事も無かったかのように「おはよう」と声をかけてきた。
 それよりも、なんで二人は知り合いなのか、と詰め寄ってくるクラスメイトの対応に追われた。
「へえ、幼馴染かぁ。これって運命の再会じゃない?」
 昨日話しかけてくれた二人の女子は目を輝かせている。
 とりあえず、お互いの母親繋がりの幼馴染だと説明して納得してくれた様子だが、やはり好奇の目は隠されていない。
「アメリカからの帰国子女と、クールモテ男子の再会だよ。なんだかドラマみたい~」
 日菜子(ひなこ)は漫画やドラマが大好きと、昨日話してすぐに自己紹介してくれた。
「ただでさえ転校生ってだけで目立つのに、愛梨もたいへんだね」
 麻帆(まほ)は「愛梨って呼んでいい?」と、早速お互いどう呼ぶかその場を仕切ってくれた。
「あ、ライバル登場」
 日菜子の視線にはポニーテールが良く似合う綺麗な女の子が居た。教室の入口から中を覗いている。
「藤島!」
 その子の表情がぱっと明るくなる。
 隼人とクラスメイトの男子がその女の子に近づき、三人で話し始めた。
「あの三人、同じ中学なんだって。あの子は五組の城見佑香(しろみゆうか)さん」
 麻帆も目線だけ三人に向けた。他のクラスメイトも三人をちらちら気にしている様子だ。
 佑香は「じゃ、授業終わったら昇降口で待ってるね」と二人に言って、教室を後にした。
 日菜子は佑香を目で追い、
「一緒に帰る約束なんてメッセージすればいいのに、毎回教室に来るのよねぇ」
と、語尾に何か含むように呟いた。

 先生に書類を渡し職員室を出た愛梨は、ジャージ姿の男子生徒とすれ違った。
「木下?」
 すれ違い様に呼び止められた。
 見覚えがある…あの中学時代…。
「水野くん…?」
「覚えてくれてたんだ」
 水野は少し照れたような笑顔を向けてくれたが、愛梨は顔が強張る。
「あっ、大丈夫。あの中学の生徒は俺以外いないから」
 愛梨は胸を撫で下ろした。
「水野くん、あの頃からずっとサッカー部?」
 二人はほとんど生徒が通らない廊下の隅に移動した。
 中学時代の水野はサッカー部のエースで、日焼けした顔で誰とでも人懐っこく話す印象だった。
 愛梨とは二年生の時に同じクラスになった。
「実は、俺、サッカーの指定校推薦」
 そう言って人懐っこい笑顔からドヤ顔をしてみせる。
「すごい。この学校のサッカー部は強いって聞いたよ」
「寮に入っててサッカー漬けの毎日。そろそろレギュラー取れそうなんだ」
 遠くから何人かの生徒の声がして、思わず口を閉じる。
 生徒たちの声はだんだん小さくなっていった。
「転校生のことはすごい話題になってて、どんな子だろうって思ってたら木下だったから、めちゃくちゃ驚いた」
 水野は声のボリュームを更に落とす。
「もう日本には帰ってこないような気がしてたから」
「わたしも…当分帰るつもりはなかったんだけど、やっぱり日本で高校生活を送りたくて」
 愛梨は意識して笑顔を作った。
 水野も優しい笑顔を返してくれる。
「そっか」
 そして水野は真っ直ぐな目でこう言った。
「俺はあのこと絶対に言いふらしたりしないから、安心して」
 愛梨はゆっくり頷く。
「これから困ったことがあったらいつでも相談してよ」
「ありがとう」
 水野はスマホを取り出し時刻を見た。
「やば、そろそろ部活行かないと」
 グラウンドに向かって走っていく水野が振り向いた。
「あっ、時間あったら練習試合見に来て」
 愛梨は小さく頷いて手を振った。

 写真の美季は優しい目でほほ笑んでいた。
 愛梨と母・真知子は並んで手を合わせる。
「ありがとうございます。お二人に来てもらって美季も喜んでいると思います」
 隼人の父は目に少し涙を浮かべて言った。
 真知子もハンカチで目を押さえる。
「お伺いするのが本当に遅くなりすみません」
「いや、気にしないでください。今日はこうして皆で集まることができたんですから」
 真知子と愛梨はもう一度頭を下げた。
「ほんと、愛梨ちゃんにまた会えて嬉しい」
 お茶を持ってきた隼人の姉・美乃里(みのり)は、愛梨と隼人を交互に見る。
「隼人もたいがいデカくなったけど、愛梨ちゃんもすっかり落ち着いたお姉さんって感じよね。もう学校にファンとかいるんじゃないの?」
「そんなのいませんよ」
 愛梨は激しく否定する。いつも場を盛り上げてくれる美乃里のこういうところも変わっていない。
「それにしても二人が同じクラスって、すごい偶然だよね」
「ほんとビックリしました。でも知ってる人が居て心強かったです」
 愛梨は笑顔で答えた。
 四月から社会人になった美乃里の話がひととおり終わると、隼人の父が夕食を一緒に、と提案してきた。
 真知子は遠慮したが、「美季も一緒に居ると思うんで、ぜひ」と言われ、お言葉に甘えることにした。

「大丈夫?買いすぎじゃない?」
 愛梨は、飲み物やお菓子が詰まった袋を持つ隼人を心配そうに見上げる。
「別に買いすぎじゃないだろ。父さんも姉ちゃんもいつもより飲むペースが早いし」
 隼人は美季が居た病室のことを思い出していた。
 中学生になった頃には、父親は時折寂しそうな表情を浮かべることが増えた。
 そんななか、愛梨が病室に入ってくると部屋が一気に明るくなった。
 隼人家族だけでなく同じ病室の患者も笑顔になっていくのが分かった。
 学校のこと、はまっている漫画やお菓子。いつも何か話題を提供してくれる愛梨は皆の中心に居た。
「なんか、ごめんね、お参りだけさせてもらうつもりだったのに」
 隼人の足が少し遅くなった。
「何ていうか…愛梨、前に比べて遠慮がちになったな」
 愛梨は思わず立ち止まる。
「そんないつまでも子どものままじゃないよ」
 ゴールデンウィークが始まったこの日の昼間は汗ばむくらいだったが、日が暮れかけてくると風が少し冷やりとしてきた。
 愛梨のサラサラの前髪が揺れる。
 隼人はふと、背中までサラサラと揺れる長い髪の愛梨の姿を思い出した。
 今は短くなった髪と華奢な身体のせいか、時々笑顔の奥に灰色がかった(かすみ)みたいなものが見える気がする。
「だから、俺の前では遠慮せずに、前のままでいいんじゃないかと思っただけ」
 隼人はそう言って足を速めた。
 愛梨は隼人の大きくなった背中を見つめる。
(隼人が一番つらい時、側にいられなかった)
 隼人が振り向く。
(ちゃんと友達として支えたい)
 愛梨は隼人に追いつく。
「ありがと。じゃ、これからは遠慮なく言っていく」
 二人はまた歩き出した。
「日本に帰ってきたばっかりで色々大変だと思うから、遠慮なく言えってこと」
 変わらず口下手な隼人が伝えてくれた言葉が、胸にスッと入ってきた。
 と同時に胸の鼓動が早くなったような気がしたが、愛梨はわざと気にしないようにした。