病院の処置室のドアがそっと開き、真知子が出てきた。
「点滴してもらって落ち着いてる。今日はこのまま一晩病院で過ごすことになったから」
隣に座る愛梨の父親も安堵の表情を見せた。
隼人はドアの小さな窓から漏れる光に目をやる。今すぐ愛梨の顔が見たかった。
「隼人くん、今日はもう遅いし送るよ」
父親が立ち上がる。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。家に帰ったら愛梨から連絡させるわね」
真知子の穏やかな顔を見て、隼人は、愛梨の両親はこういった状況に慣れてるんだ、と感じた。
愛梨が苦しみ出し、真知子を呼びに行くと、真知子はすぐに愛梨が持っている薬を飲ませた。
しばらく経っても症状が改善されなかったので、車でこの病院に連れてきたのだ。
真知子が看護師だからというのもあるが、明らかに以前にもこういったことがあったと思わせる対応だった。
隼人はただ狼狽えるばかりで、愛梨が病院から処方された薬を常に持っていることも知らなかったことにショックを受けた。
父親が運転する車の中で「こういったこと、時々あるんですか?」と尋ねた。
父親は穏やかな口調で「まあ、時々ね」とだけ答えた。
翌日、隼人は予備校での授業を終え、駅に向かって歩いていると、愛梨から『無事に家に帰ってきました。心配かけてごめんね』とメッセージが届いた。
すぐさま「体調良くなったら会いたい」と返信したが、「うん、わかった」と短い一言が送られてきただけだった。
グレーのチェック模様のマフラーを巻き直す。
愛梨からクリスマスプレゼントにもらったものだ。
駅前に近づくとイルミネーションが見えた。
今日は二十五日のクリスマスということもあり、たくさんの人が集まり、煌びやかな無数の電球を見上げ写真を撮ったりしている。
年末までに一緒に見に行こうと再び約束した。
昨日の愛梨の部屋での出来事を思い出す。
クリスマスイブに二人で過ごせたこと。
ネックレスを着けた愛梨の笑顔があまりにも可愛かったこともあり、思わず暴走してしまった。
けれど、あの時の愛梨の怯えかたは尋常ではなかった。
愛梨はキスもそれ以上も経験が無いと言っていたが、そうであったとしてもそこまで怖がらせてしまったのだろうか。
とにかく怖がらせてしまったことは間違いない事実なので、一刻も早く愛梨の顔を見て謝りたかった。
まさか嫌われた、とゾッとする考えが一瞬頭を過ったが、やはり自分も経験が無いため、愛梨の気持ちを考えずに行動してしまったことに後悔していた。
それから数日経っても愛梨からの連絡は無く、差し入れを持って家を訪ねたが、まだ部屋から出られないと真知子に言われて帰された。
年が明け、三学期が始まる前日にようやく愛梨に会えることになった。
指定された公園に行くと、愛梨がベンチに座っていた。
その姿を見た隼人は、胸に重いものがのしかかってくるように感じた。
顔はまだ青白く、華奢な体がより一層細くなっている。
首にマフラーを巻いているので、クリスマスイブにあげたネックレスを着けているかは分からなかった。
横に座ると、愛梨は消え入りそうな声で言った。
「ごめんね。家にも来てくれたのになかなか会えなくて」
「それより体調はどう?まだ本調子じゃないよな」
愛梨は目線を落としたまま「うん」と答えた。
今日はこの時期にしては晴れているが、風が冷たく、公園にはほとんど人が居ない。
隼人は愛梨の手を握る。
「この前愛梨の部屋でのこと…怖がらせて、ごめん」
手は驚くほど冷たかった。
「ううん。私のほうこそごめんね。突然あんなことになっちゃって、驚いたよね」
愛梨は目線を落としたままだ。
「前から、病院行ってるの?」
隼人は愛梨が常備している薬を思い出していた。
「うん…」
隼人は少しかがんで愛梨の顔を覗き込む。
目から涙が溢れそうだった。
「ごめん、無理に話さなくてもいいから」
愛梨は隼人の手をそっと離し、涙を拭った。そして隼人の方を向いてこう告げた。
「隼人。私たち、友達に戻ろう」
「え?」
一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「ここ最近色々考えてたんだけど…やっぱり隼人とは友達のほうがいい」
愛梨は笑顔を作ったが、それが無理したものだとはっきり分かった。
「どうして?俺のこと気持ち悪いって思った?」
「違う」
愛梨はすぐに否定した。
「ごめんなさい。隼人がどうとかじゃないの。私の気持ちが…そうなったの」
隼人は次の言葉が出てこなかった。
あのクリスマスイブの日、ネックレスを着けてとびきりの笑顔を見せてくれた愛梨は?
もう少し一緒にいたいと、セーターの袖を引っ張った愛梨は?
しかし、目の前にいる愛梨はあの時とは別人のように見えた。
何も言えず呆然としている隼人を残して、愛梨は公園を後にした。
我慢していた涙が一気に流れた。
「日本に帰ってこなければよかった」
愛梨はコートのポケットからネックレスを取り出す。
こんな話をするのに着けていくべきではないと思って部屋に置いておいたが、取りに戻ってポケットに忍ばせていたのだ。
(ごめんなさい。隼人)
真冬の風が涙を更に冷たくする。
隼人を傷つけたのは自分。泣く資格なんてない。
「点滴してもらって落ち着いてる。今日はこのまま一晩病院で過ごすことになったから」
隣に座る愛梨の父親も安堵の表情を見せた。
隼人はドアの小さな窓から漏れる光に目をやる。今すぐ愛梨の顔が見たかった。
「隼人くん、今日はもう遅いし送るよ」
父親が立ち上がる。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。家に帰ったら愛梨から連絡させるわね」
真知子の穏やかな顔を見て、隼人は、愛梨の両親はこういった状況に慣れてるんだ、と感じた。
愛梨が苦しみ出し、真知子を呼びに行くと、真知子はすぐに愛梨が持っている薬を飲ませた。
しばらく経っても症状が改善されなかったので、車でこの病院に連れてきたのだ。
真知子が看護師だからというのもあるが、明らかに以前にもこういったことがあったと思わせる対応だった。
隼人はただ狼狽えるばかりで、愛梨が病院から処方された薬を常に持っていることも知らなかったことにショックを受けた。
父親が運転する車の中で「こういったこと、時々あるんですか?」と尋ねた。
父親は穏やかな口調で「まあ、時々ね」とだけ答えた。
翌日、隼人は予備校での授業を終え、駅に向かって歩いていると、愛梨から『無事に家に帰ってきました。心配かけてごめんね』とメッセージが届いた。
すぐさま「体調良くなったら会いたい」と返信したが、「うん、わかった」と短い一言が送られてきただけだった。
グレーのチェック模様のマフラーを巻き直す。
愛梨からクリスマスプレゼントにもらったものだ。
駅前に近づくとイルミネーションが見えた。
今日は二十五日のクリスマスということもあり、たくさんの人が集まり、煌びやかな無数の電球を見上げ写真を撮ったりしている。
年末までに一緒に見に行こうと再び約束した。
昨日の愛梨の部屋での出来事を思い出す。
クリスマスイブに二人で過ごせたこと。
ネックレスを着けた愛梨の笑顔があまりにも可愛かったこともあり、思わず暴走してしまった。
けれど、あの時の愛梨の怯えかたは尋常ではなかった。
愛梨はキスもそれ以上も経験が無いと言っていたが、そうであったとしてもそこまで怖がらせてしまったのだろうか。
とにかく怖がらせてしまったことは間違いない事実なので、一刻も早く愛梨の顔を見て謝りたかった。
まさか嫌われた、とゾッとする考えが一瞬頭を過ったが、やはり自分も経験が無いため、愛梨の気持ちを考えずに行動してしまったことに後悔していた。
それから数日経っても愛梨からの連絡は無く、差し入れを持って家を訪ねたが、まだ部屋から出られないと真知子に言われて帰された。
年が明け、三学期が始まる前日にようやく愛梨に会えることになった。
指定された公園に行くと、愛梨がベンチに座っていた。
その姿を見た隼人は、胸に重いものがのしかかってくるように感じた。
顔はまだ青白く、華奢な体がより一層細くなっている。
首にマフラーを巻いているので、クリスマスイブにあげたネックレスを着けているかは分からなかった。
横に座ると、愛梨は消え入りそうな声で言った。
「ごめんね。家にも来てくれたのになかなか会えなくて」
「それより体調はどう?まだ本調子じゃないよな」
愛梨は目線を落としたまま「うん」と答えた。
今日はこの時期にしては晴れているが、風が冷たく、公園にはほとんど人が居ない。
隼人は愛梨の手を握る。
「この前愛梨の部屋でのこと…怖がらせて、ごめん」
手は驚くほど冷たかった。
「ううん。私のほうこそごめんね。突然あんなことになっちゃって、驚いたよね」
愛梨は目線を落としたままだ。
「前から、病院行ってるの?」
隼人は愛梨が常備している薬を思い出していた。
「うん…」
隼人は少しかがんで愛梨の顔を覗き込む。
目から涙が溢れそうだった。
「ごめん、無理に話さなくてもいいから」
愛梨は隼人の手をそっと離し、涙を拭った。そして隼人の方を向いてこう告げた。
「隼人。私たち、友達に戻ろう」
「え?」
一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「ここ最近色々考えてたんだけど…やっぱり隼人とは友達のほうがいい」
愛梨は笑顔を作ったが、それが無理したものだとはっきり分かった。
「どうして?俺のこと気持ち悪いって思った?」
「違う」
愛梨はすぐに否定した。
「ごめんなさい。隼人がどうとかじゃないの。私の気持ちが…そうなったの」
隼人は次の言葉が出てこなかった。
あのクリスマスイブの日、ネックレスを着けてとびきりの笑顔を見せてくれた愛梨は?
もう少し一緒にいたいと、セーターの袖を引っ張った愛梨は?
しかし、目の前にいる愛梨はあの時とは別人のように見えた。
何も言えず呆然としている隼人を残して、愛梨は公園を後にした。
我慢していた涙が一気に流れた。
「日本に帰ってこなければよかった」
愛梨はコートのポケットからネックレスを取り出す。
こんな話をするのに着けていくべきではないと思って部屋に置いておいたが、取りに戻ってポケットに忍ばせていたのだ。
(ごめんなさい。隼人)
真冬の風が涙を更に冷たくする。
隼人を傷つけたのは自分。泣く資格なんてない。
