桜のころ

 隼人との約束の時間まで何度時計を確認しただろうか。
 日菜子と麻帆に「場合によってはこっちに帰ってこなくても大丈夫だからね」と送り出されて隼人の部屋のドアをノックした。
 ドアを開けてくれた隼人はまだ髪が濡れている。
 花火大会の日に探しに来てくれた姿を思い出した。
「温泉気持ちよかったよな」
 初めて見る部屋着と少し濡れた髪に、愛梨は自分の顔が熱くなっていくのが分かった。
 隼人から少し目を逸らすように窓の方を見る。
「男子はゆっくり温泉に入れた?私たちはぜんぜん時間足らなかったよ」
「…まあ、女子はいろいろ時間かかるよな…」
 愛梨の髪からシャンプーの香りがしたので、少し離れて冷蔵庫に手を伸ばした。
「あ、それ」
 隼人が手渡してくれたパックの乳酸菌飲料は北海道限定商品で、麻帆が持っていたガイドブックにも載っていた。
「一階の売店に売ってた」
 愛梨は窓際のソファに座り、ストローを挿して一口飲んでみた。
「ちょっと甘めだね」
「俺も一口」
 そう言って隼人はパックを持つ愛梨の手に自分の手を重ねて、ストローに口を付けた。
 さっきから何度ドキドキさせられるんだろう。
 愛梨の隣に座った隼人は窓の外を見た。
 遠くに札幌の繁華街の明るいネオン群が見える。
「今回の自由行動さ、俺たち二人で回ることも考えたんだけど…」
 愛梨も隼人越しに窓の外を見る。
「愛梨の思い出作りのほうが優先かな、と思って。俺もこの五人で過ごすの、めちゃくちゃ楽しいし」
 愛梨は隣に座る隼人の手を握った。
 隼人のこういう所が大好きだ、と思った。
「ありがと。私も二人でって考えたんだけど、学校行事だし日菜子たちとの思い出も作りたかったし」
 隼人も手をぎゅっと握り返してきた。
「でもやっぱ、せっかくの北海道だし、二人きりにもなりたいなって思って、新田に部屋の都合つけてもらった」
 そう言った隼人の顔がみるみる赤くなっていくのが分かる。
 愛梨も恥ずかしくなって思わず手を離してしまった。
 すぐに隼人がその手を掴む。
(あ…)
 二人の顔が近づいた。
 隼人はもう片方の手で愛梨の肩を引き寄せる。
 何か語りかけるような目。
 愛梨は目を閉じた。
 隼人の唇が触れると、愛梨の胸の中に温かいものが流れ込んできたような気持ちになった。
 
 三十分はあっという間に過ぎ、お互い照れながらもドアの前でもう一度抱き合い、愛梨は部屋を後にした。
 恥ずかしいやら嬉しいやらで色々感情が追いつかない。
(いったん落ち着こう)
 愛梨はエレベーターに乗り、一階に向かった。
 エレベーターを降りると、水野とサッカー部男子数人が、先ほど隼人の部屋で飲んだパック飲料を手に持ってこちらに歩いてきた。
「お、木下。この前は差し入れありがとう」
 周りのサッカー部員からも次々とお礼を言われた。
「木下、なんか顔赤くない?」
 水野は少し姿勢を低くして愛梨の顔を覗き込む。
「え、そうかな。ここの空調ちょっと暑くない?」
 愛梨は咄嗟にごまかした。
 やっぱりまだ顔の火照りが治まってないらしい。
 慌てて話題を逸らす。
「それ、私もさっき飲んだよ」
「北海道限定ってみんなが言うからさ、とりあえず買ってみたんだけど、うまかった?」
 水野が手に持つパックを見て、また隼人とのことが頭に浮かんでくる。
 愛梨は両手を頬に当てて笑顔で答えた。
「甘くて美味しかったよ」
 水野は愛梨の仕草に思わずドキリとする。
(やっぱ木下、かわいいよなぁ)
 そんな二人の様子をロビーの方から佑香がじっと見ていた。