◆◆◆
将聖の血の気が引いた。
バスを降りた白雪の向こうにいたのは先日痛い目にあわせたナンパ男たち。そして和田京一郎だった。つまりクラス委員長・和田の兄。吾堂組構成員としてのし上がろうとしている三年生だ。
しくじった。
将聖はずっと、白雪に手出しされないよう行動をともにし気を配っていたのだ。だがこのタイミングを狙われると対処できない。
次で降りて戻るのは当然として、とにかく剣崎にヘルプの連絡をした。近くにいろ、間に合え、あのおじさん。
「ちっくしょ……」
後悔にジリジリしながら停車を待ち、飛び降りて駆け戻る。バス停ひとつぶんの数百メートルがやけに長く感じた。
息をきらしてたどり着いた路上に白雪はいない。男たちも。それを無事に帰宅したと思うほど将聖はお人好しではない。
「白雪……!」
ギリ、と歯がみしながら将聖はあたりを見回す。何か手がかりは。
――キラリ。
目の端で光る物があって、将聖は顔を向けた。近くの路地の入り口に落ちているそれは――将聖が贈った、雪の結晶のヘアピンだった。
◇◇◇
バス停で男たちに取り囲まれた白雪は、恐怖に体をこわばらせながら追い立てられるように歩いた。逃げられない。
「――鬼柳のガキの、女か」
知らない若い男が冷ややかな声で言った。顔をチラリと見て、ふと似た人を知っているような気がした。
「あなた……」
「俺は三年の和田。ああ、今日は病欠ってことにしたんで制服は着てないけどな」
「わだ……?」
それでハッとした。クラス委員長と顔立ちがそっくりだ。びっくりして立ち止まる。
「和田くんの、お兄さんですか」
きょとんとして確かめたら酷薄な笑いが返ってきた。
「そうかもなあ。でもどうでもいいだろ。おまえそれどころじゃなくね?」
女子高校生が一人、不良たちに囲まれているのだ。通行人もすれ違うが、こちらを見てもナンパ男二人に威嚇され助けに来てはくれない。
「……こんなことして、誰か通報するんじゃないですか」
「威勢がいいな。警察が来るとしたって、その前におまえを傷つけるぐらい簡単にできるんだぜ」
和田・兄が低く笑う。同調するナンパ男たちからも下卑た嘲笑が浴びせられた。下心、そして逆恨みがにじんでいる。
「まあ言う通りにしてくれりゃあ何もする気はない。おまえはエサだ。鬼柳を釣るためのな」
「鬼柳くん?」
「俺、あいつの家とは仲が悪い一家に世話んなってんのさ」
和田・兄は上を向いて楽しそうに笑う。白雪は何も楽しくなかった。
ならばこの人は、町で嫌がらせをしていたチンピラたちの仲間なのだろうか。弟はクラスでまじめに頑張っているのに。
「おまえの持ち物、何かそこに捨てろ」
「は?」
「鬼柳をおびき出すんだよ。おまえがこっちにいるって印になる物を残しとけ」
和田・兄は狭い路地をあごで示した。そちらで将聖を待ちかまえる気なのだ。
将聖が強いのは知っている。でも白雪のために無茶をしてほしくない――そう思うのに指示を拒否することもできなくて、白雪はゆっくりとヘアピンを外した。
将聖からもらった、白い雪の結晶。
そっと熱いアスファルトに置く。
将聖なら負けない。そう信じるしかなかった――信じてもらえなければ将聖がとても悲しむと、白雪は知っていた。
◆◆◆
「――白雪からの、メッセージだなコレ」
ヘアピンを拾った将聖は、それを大切にポケットにしまった。すこし熱くなっている、季節外れの雪の結晶。
信じて待ってる。そう言われた気がした。
走って上がった息を落ち着かせながら、その先の路地をうかがう。ろくに窓もないビルに挟まれた薄暗い小道だ。ちょっと向こうで行き止まり。
「和っ田センパーイ!」
将聖は路地の入り口から大声で叫んでみた。ニヤニヤしながら待っていると、あきれた顔の和田・兄が姿をあらわす。その隣には白雪が並ばされていた。こちらに一歩踏み出そうとする白雪を制し、和田・兄は鼻にしわを寄せた。
「誰が先輩だ」
「えー? 同高の先輩じゃないすか、やだなあ」
「こっちはおまえを後輩と思ったことなんかねえんだよ」
「でも俺のこと意識してんでしょ。わざわざ凝った呼び出し方しちゃって。あ、まさか弟がフラれた腹いせ? ブラコン?」
将聖はからかうように明るくわんこキャラでしゃべる。でもその奥に、いつもと違う毒があった。
――白雪という地雷を、こいつらは踏んだのだ。ただじゃ済ませない。
「あいつフラれたのかよ、情けねえ。そんなことする女にはお仕置きが必要だなあ!」
和田・兄は白雪の二の腕をつかむと後ろに押しやった。それをナンパ男たちがニヤニヤしながら囲む。
「白雪!」
路地に踏み込んだ将聖の前に立ちはだかり、和田・兄はヒャヒャと笑った。
「女の心配してんじゃねえ! おまえの相手は俺なんだよッ!」
なぐりかかられた将聖はわずかなスウェイでかわす。
一歩二歩と下がったが、圧されたのはフェイク。素早く手を出し襟を取った。絞めにかかるのを相手が振り払う。
将聖の瞳がキュウと収縮し、目の前の闘いしか映さなくなった。
◇◇◇
路地の奥から争いを見ていた白雪にも、将聖の目の色が変わるのがわかった。キレるとやり過ぎると言っていた、あの状態だろうか。どうしよう。
「鬼柳くん!」
思わず叫んだら将聖がこちらを見たようだった。正気に戻って! 祈った白雪を、ナンパ男その一が後ろから羽交いじめにする。
「大人しくしてろ」
「俺らと遊んでてもいいんだぜ」
気持ち悪さにおぞけだった。
細い悲鳴をあげてしまった時、表の道路に見覚えのある男が走りこんできてハッとする。その人は叫んだ。
「坊!」
「おせえぞ! 飛ばせ!」
和田・兄の手を振り払った将聖が怒鳴った。
その意味が白雪にはわからない――と思ったら、次の瞬間将聖の体が宙を舞った。
剣崎の手を踏み台にして投げ上げさせるコンビ技だ。将聖は空中で身をひるがえし、和田・兄の頭上を越えると白雪の一メートル手前に着地。すぐに軸足を踏み込む。
『――俺の得意技、回し蹴りでさ』
将聖からのアイコンタクトでそれを思い出した白雪は、ヒュンとしゃがんだ。頭の上でナンパ男その一が吹っ飛び、その二を巻き込んで倒れる。
「――なッ!?」
あわてた和田・兄の隙を見逃す剣崎ではない。すみやかに押さえ込み無力化し――事は終わった。
将聖の血の気が引いた。
バスを降りた白雪の向こうにいたのは先日痛い目にあわせたナンパ男たち。そして和田京一郎だった。つまりクラス委員長・和田の兄。吾堂組構成員としてのし上がろうとしている三年生だ。
しくじった。
将聖はずっと、白雪に手出しされないよう行動をともにし気を配っていたのだ。だがこのタイミングを狙われると対処できない。
次で降りて戻るのは当然として、とにかく剣崎にヘルプの連絡をした。近くにいろ、間に合え、あのおじさん。
「ちっくしょ……」
後悔にジリジリしながら停車を待ち、飛び降りて駆け戻る。バス停ひとつぶんの数百メートルがやけに長く感じた。
息をきらしてたどり着いた路上に白雪はいない。男たちも。それを無事に帰宅したと思うほど将聖はお人好しではない。
「白雪……!」
ギリ、と歯がみしながら将聖はあたりを見回す。何か手がかりは。
――キラリ。
目の端で光る物があって、将聖は顔を向けた。近くの路地の入り口に落ちているそれは――将聖が贈った、雪の結晶のヘアピンだった。
◇◇◇
バス停で男たちに取り囲まれた白雪は、恐怖に体をこわばらせながら追い立てられるように歩いた。逃げられない。
「――鬼柳のガキの、女か」
知らない若い男が冷ややかな声で言った。顔をチラリと見て、ふと似た人を知っているような気がした。
「あなた……」
「俺は三年の和田。ああ、今日は病欠ってことにしたんで制服は着てないけどな」
「わだ……?」
それでハッとした。クラス委員長と顔立ちがそっくりだ。びっくりして立ち止まる。
「和田くんの、お兄さんですか」
きょとんとして確かめたら酷薄な笑いが返ってきた。
「そうかもなあ。でもどうでもいいだろ。おまえそれどころじゃなくね?」
女子高校生が一人、不良たちに囲まれているのだ。通行人もすれ違うが、こちらを見てもナンパ男二人に威嚇され助けに来てはくれない。
「……こんなことして、誰か通報するんじゃないですか」
「威勢がいいな。警察が来るとしたって、その前におまえを傷つけるぐらい簡単にできるんだぜ」
和田・兄が低く笑う。同調するナンパ男たちからも下卑た嘲笑が浴びせられた。下心、そして逆恨みがにじんでいる。
「まあ言う通りにしてくれりゃあ何もする気はない。おまえはエサだ。鬼柳を釣るためのな」
「鬼柳くん?」
「俺、あいつの家とは仲が悪い一家に世話んなってんのさ」
和田・兄は上を向いて楽しそうに笑う。白雪は何も楽しくなかった。
ならばこの人は、町で嫌がらせをしていたチンピラたちの仲間なのだろうか。弟はクラスでまじめに頑張っているのに。
「おまえの持ち物、何かそこに捨てろ」
「は?」
「鬼柳をおびき出すんだよ。おまえがこっちにいるって印になる物を残しとけ」
和田・兄は狭い路地をあごで示した。そちらで将聖を待ちかまえる気なのだ。
将聖が強いのは知っている。でも白雪のために無茶をしてほしくない――そう思うのに指示を拒否することもできなくて、白雪はゆっくりとヘアピンを外した。
将聖からもらった、白い雪の結晶。
そっと熱いアスファルトに置く。
将聖なら負けない。そう信じるしかなかった――信じてもらえなければ将聖がとても悲しむと、白雪は知っていた。
◆◆◆
「――白雪からの、メッセージだなコレ」
ヘアピンを拾った将聖は、それを大切にポケットにしまった。すこし熱くなっている、季節外れの雪の結晶。
信じて待ってる。そう言われた気がした。
走って上がった息を落ち着かせながら、その先の路地をうかがう。ろくに窓もないビルに挟まれた薄暗い小道だ。ちょっと向こうで行き止まり。
「和っ田センパーイ!」
将聖は路地の入り口から大声で叫んでみた。ニヤニヤしながら待っていると、あきれた顔の和田・兄が姿をあらわす。その隣には白雪が並ばされていた。こちらに一歩踏み出そうとする白雪を制し、和田・兄は鼻にしわを寄せた。
「誰が先輩だ」
「えー? 同高の先輩じゃないすか、やだなあ」
「こっちはおまえを後輩と思ったことなんかねえんだよ」
「でも俺のこと意識してんでしょ。わざわざ凝った呼び出し方しちゃって。あ、まさか弟がフラれた腹いせ? ブラコン?」
将聖はからかうように明るくわんこキャラでしゃべる。でもその奥に、いつもと違う毒があった。
――白雪という地雷を、こいつらは踏んだのだ。ただじゃ済ませない。
「あいつフラれたのかよ、情けねえ。そんなことする女にはお仕置きが必要だなあ!」
和田・兄は白雪の二の腕をつかむと後ろに押しやった。それをナンパ男たちがニヤニヤしながら囲む。
「白雪!」
路地に踏み込んだ将聖の前に立ちはだかり、和田・兄はヒャヒャと笑った。
「女の心配してんじゃねえ! おまえの相手は俺なんだよッ!」
なぐりかかられた将聖はわずかなスウェイでかわす。
一歩二歩と下がったが、圧されたのはフェイク。素早く手を出し襟を取った。絞めにかかるのを相手が振り払う。
将聖の瞳がキュウと収縮し、目の前の闘いしか映さなくなった。
◇◇◇
路地の奥から争いを見ていた白雪にも、将聖の目の色が変わるのがわかった。キレるとやり過ぎると言っていた、あの状態だろうか。どうしよう。
「鬼柳くん!」
思わず叫んだら将聖がこちらを見たようだった。正気に戻って! 祈った白雪を、ナンパ男その一が後ろから羽交いじめにする。
「大人しくしてろ」
「俺らと遊んでてもいいんだぜ」
気持ち悪さにおぞけだった。
細い悲鳴をあげてしまった時、表の道路に見覚えのある男が走りこんできてハッとする。その人は叫んだ。
「坊!」
「おせえぞ! 飛ばせ!」
和田・兄の手を振り払った将聖が怒鳴った。
その意味が白雪にはわからない――と思ったら、次の瞬間将聖の体が宙を舞った。
剣崎の手を踏み台にして投げ上げさせるコンビ技だ。将聖は空中で身をひるがえし、和田・兄の頭上を越えると白雪の一メートル手前に着地。すぐに軸足を踏み込む。
『――俺の得意技、回し蹴りでさ』
将聖からのアイコンタクトでそれを思い出した白雪は、ヒュンとしゃがんだ。頭の上でナンパ男その一が吹っ飛び、その二を巻き込んで倒れる。
「――なッ!?」
あわてた和田・兄の隙を見逃す剣崎ではない。すみやかに押さえ込み無力化し――事は終わった。

