◆◆◆
「やっちまった……」
将聖はしょんぼりして頭をかかえんばかりだった。公衆の面前でキレて、相手をボコしかけるとは。
あの場から、将聖と白雪はすぐに逃げ出していた。まあ暴力ざたとはいえ少年少女のナンパの果てのもの。通報があり警備員が駆けつけたとしても当事者はいないし、大ごとにはならないだろう。
違う階まで移動してベンチに腰かけ、将聖は白雪に謝った。
「悪い……なんつーか、ビビったろ」
「……ううん」
ゆっくり首を横にふる白雪がけなげで胸が詰まる。ケンカなんてあまり見たことないはずだし、気を使わなくていいのに。
「あの人たちは怖かったけど。鬼柳くんは怖くないよ」
「嘘だよ。俺あいつらより強いし」
「そうじゃなくて」
白雪はじっくり考えながら話してくれる。
「鬼柳くんは、私のために怒ってくれた。だから怖くないの。助けてもらえて嬉しかったよ。ありがとう」
「姫……」
恥ずかしそうに笑いかける白雪をもういちど抱き寄せたくなって将聖はもぞもぞした。でもなんとか我慢する。そんなことしたら白雪が恥ずか死ぬだろうから。さっき抱きしめたのは焦りからということでギリ許してほしい。
「止めてくれてサンキュな。俺キレやすいって剣崎にも言われてて」
「前に一緒だったおじさん?」
「おじ……」
ぶっ、と将聖は吹き出した。年齢と性別でいえばそうかもしれないが、黒スーツで人相の悪い剣崎を「おじさん」はかわいすぎないか。
なんだか毒気を抜かれてしまい、将聖の心は軽くなった。
「俺キレると手加減できなくなるんだ。今日も止めてもらわなかったら大怪我させてたかも」
「それは……」
「俺の得意技、回し蹴りでさ。頭に食らわせんの」
「それ、脳しんとう起こしちゃう」
真剣に困った顔をしてくれる白雪のこと、やっぱりすごく好きだと将聖は思った。白雪の声で我に返ったのを思い出しニヤけてしまう。
「姫、すごいキリッとした声を出してたね」
「え。そうだった?」
「うん。『だめ』『もういい』って。カッコよかった」
「そんなこと……」
こんどは白雪が照れる。でもさっきは本当に、いつもの白雪からは考えられない声量だった。少なくとも将聖の耳にはスルリと通った。
「なんか姫というより女王に進化したみたいだった。白雪姫ってたくましく実家の国を背負って立つみたいな話だっけ?」
「もう! そんな童話、知らないってば」
毒リンゴから蘇生した白雪姫は、王子の城に迎えられ幸せに暮らしました、のはず。でも将聖はコンビニで働く白雪のこともすごく好きだと思う。
くすくす笑っている白雪に、将聖は小さな包みを差し出した。中身は雪のヘアピン。
「着けてみて」
「……うん」
紙袋から出したピンを、白雪はそっと髪にとめた。店の照明を反射して雪の結晶がキラキラ輝く。
「すごく似合う」
「……ありがと。大事にする」
はにかみながら言ってくれて、将聖は幸せな気分だった。だから名前を呼んでみた。
「しらゆき」
「え」
「俺、白雪って呼ぶことにする。〈姫〉はみんなが使う愛称だし――それにうまくしゃべれなくて〈姫〉になっちゃったんだろ? 白雪はもうそんなことない。ちゃんと白雪だと思う」
「そんな――そうか、な」
そんなことない、と言いかけたのだろう白雪。でも言葉をのみこんで、将聖の意見を受けとめようとしてくれたらしい。
そうだよ、とはげましたくて将聖は笑う。
白雪は白雪だ。
ちゃんと自分を出して、見せて、話してってできる、すごく素敵な――俺の彼女なんだよ。
◇◇◇
早めに梅雨が明けると一気に暑くなった。ついでにあまり良くない試験結果が返ってきて、白雪は憂うつに溶けそうな気分になる。
「まあまあ。赤点でも補修でもないんだからいいんだって。夏休みのこと考えようよ」
冷房の効いたバスに乗って帰りながら、将聖は相変わらず甘い笑顔を向けてくれた。
「白雪はお店の手伝いもするんだよね」
「うん。お子さんが小さいパートさんは夏休みにシフト減らすし。私がカバーしなきゃ」
「でも合間に俺とも会ってくれる?」
学校がないのだから、会えるように努力しなきゃ自然消滅だ。白雪はしっかりうなずいた。こちらからも「会いたい」の気持ちを伝えなくちゃ。
夏休みはチャンスでもある。結局まだ「好き」と言えていない白雪にとって好意をアピールする絶好の機会だと思う。夏定番のイベントなどもあるはずだし。
「……鬼柳くんは夏祭りとか、行く?」
勇気をふりしぼって話題をふってみた。それは町の端を流れる川の河川敷で毎年行われる盆踊り大会のことだった。
この流れで言い出せば、一緒に行きたいという意味に聞こえるかも。ううん違う、こちらからはっきり誘ってこそ意味があるはずでしょ。がんばれ、私。
意気込んだ白雪だったが、将聖はめずらしく歯切れが悪かった。
「あー、祭りは俺、忙しいかもしれないんだよな……」
「え?」
苦笑いで説明される。祭りに並ぶ屋台を仕切る元じめは、成和相同会なのだそう。実務は大人が切り回してくれるのだが、将聖も「見て学べ」と命令され毎年遊ぶどころじゃないらしい。
「……そうなんだ」
「だからごめん、ちょっとエスコートできないと思う。白雪が浴衣着るとかだったら剣崎引きずってでも見に行くんだけど」
「浴衣……は」
持っているけど、地味だ。将聖に見られるならかわいくしたくて迷ってしまったら、その将聖があわてて首を振った。
「いや、やっぱ着ないで。俺のいないトコで他のヤローにかわいい白雪見られたくない!」
ちょっと照れくさそうにくちびるをとがらせてそんなことを言われたら、白雪だって照れてしまう。でもすごく嬉しかった。
そこで白雪の降りるバス停に到着する。まだ何日か学校はあるから、夏休みのことは明日相談しよう。
「じゃな」
「また明日」
降りてからも、閉まるドア越しに笑顔を交わす。すると車内に残った将聖の表情がスッと変わった。
「え?」
鋭くなったまなざしがバスの発車で離れていく。不安にかられて白雪は振り向き――近くでニヤニヤと立っている男たちに気づいた。
以前ショッピングモールでナンパしてきた二人ともう一人、知らない若い男がいた。
「やっちまった……」
将聖はしょんぼりして頭をかかえんばかりだった。公衆の面前でキレて、相手をボコしかけるとは。
あの場から、将聖と白雪はすぐに逃げ出していた。まあ暴力ざたとはいえ少年少女のナンパの果てのもの。通報があり警備員が駆けつけたとしても当事者はいないし、大ごとにはならないだろう。
違う階まで移動してベンチに腰かけ、将聖は白雪に謝った。
「悪い……なんつーか、ビビったろ」
「……ううん」
ゆっくり首を横にふる白雪がけなげで胸が詰まる。ケンカなんてあまり見たことないはずだし、気を使わなくていいのに。
「あの人たちは怖かったけど。鬼柳くんは怖くないよ」
「嘘だよ。俺あいつらより強いし」
「そうじゃなくて」
白雪はじっくり考えながら話してくれる。
「鬼柳くんは、私のために怒ってくれた。だから怖くないの。助けてもらえて嬉しかったよ。ありがとう」
「姫……」
恥ずかしそうに笑いかける白雪をもういちど抱き寄せたくなって将聖はもぞもぞした。でもなんとか我慢する。そんなことしたら白雪が恥ずか死ぬだろうから。さっき抱きしめたのは焦りからということでギリ許してほしい。
「止めてくれてサンキュな。俺キレやすいって剣崎にも言われてて」
「前に一緒だったおじさん?」
「おじ……」
ぶっ、と将聖は吹き出した。年齢と性別でいえばそうかもしれないが、黒スーツで人相の悪い剣崎を「おじさん」はかわいすぎないか。
なんだか毒気を抜かれてしまい、将聖の心は軽くなった。
「俺キレると手加減できなくなるんだ。今日も止めてもらわなかったら大怪我させてたかも」
「それは……」
「俺の得意技、回し蹴りでさ。頭に食らわせんの」
「それ、脳しんとう起こしちゃう」
真剣に困った顔をしてくれる白雪のこと、やっぱりすごく好きだと将聖は思った。白雪の声で我に返ったのを思い出しニヤけてしまう。
「姫、すごいキリッとした声を出してたね」
「え。そうだった?」
「うん。『だめ』『もういい』って。カッコよかった」
「そんなこと……」
こんどは白雪が照れる。でもさっきは本当に、いつもの白雪からは考えられない声量だった。少なくとも将聖の耳にはスルリと通った。
「なんか姫というより女王に進化したみたいだった。白雪姫ってたくましく実家の国を背負って立つみたいな話だっけ?」
「もう! そんな童話、知らないってば」
毒リンゴから蘇生した白雪姫は、王子の城に迎えられ幸せに暮らしました、のはず。でも将聖はコンビニで働く白雪のこともすごく好きだと思う。
くすくす笑っている白雪に、将聖は小さな包みを差し出した。中身は雪のヘアピン。
「着けてみて」
「……うん」
紙袋から出したピンを、白雪はそっと髪にとめた。店の照明を反射して雪の結晶がキラキラ輝く。
「すごく似合う」
「……ありがと。大事にする」
はにかみながら言ってくれて、将聖は幸せな気分だった。だから名前を呼んでみた。
「しらゆき」
「え」
「俺、白雪って呼ぶことにする。〈姫〉はみんなが使う愛称だし――それにうまくしゃべれなくて〈姫〉になっちゃったんだろ? 白雪はもうそんなことない。ちゃんと白雪だと思う」
「そんな――そうか、な」
そんなことない、と言いかけたのだろう白雪。でも言葉をのみこんで、将聖の意見を受けとめようとしてくれたらしい。
そうだよ、とはげましたくて将聖は笑う。
白雪は白雪だ。
ちゃんと自分を出して、見せて、話してってできる、すごく素敵な――俺の彼女なんだよ。
◇◇◇
早めに梅雨が明けると一気に暑くなった。ついでにあまり良くない試験結果が返ってきて、白雪は憂うつに溶けそうな気分になる。
「まあまあ。赤点でも補修でもないんだからいいんだって。夏休みのこと考えようよ」
冷房の効いたバスに乗って帰りながら、将聖は相変わらず甘い笑顔を向けてくれた。
「白雪はお店の手伝いもするんだよね」
「うん。お子さんが小さいパートさんは夏休みにシフト減らすし。私がカバーしなきゃ」
「でも合間に俺とも会ってくれる?」
学校がないのだから、会えるように努力しなきゃ自然消滅だ。白雪はしっかりうなずいた。こちらからも「会いたい」の気持ちを伝えなくちゃ。
夏休みはチャンスでもある。結局まだ「好き」と言えていない白雪にとって好意をアピールする絶好の機会だと思う。夏定番のイベントなどもあるはずだし。
「……鬼柳くんは夏祭りとか、行く?」
勇気をふりしぼって話題をふってみた。それは町の端を流れる川の河川敷で毎年行われる盆踊り大会のことだった。
この流れで言い出せば、一緒に行きたいという意味に聞こえるかも。ううん違う、こちらからはっきり誘ってこそ意味があるはずでしょ。がんばれ、私。
意気込んだ白雪だったが、将聖はめずらしく歯切れが悪かった。
「あー、祭りは俺、忙しいかもしれないんだよな……」
「え?」
苦笑いで説明される。祭りに並ぶ屋台を仕切る元じめは、成和相同会なのだそう。実務は大人が切り回してくれるのだが、将聖も「見て学べ」と命令され毎年遊ぶどころじゃないらしい。
「……そうなんだ」
「だからごめん、ちょっとエスコートできないと思う。白雪が浴衣着るとかだったら剣崎引きずってでも見に行くんだけど」
「浴衣……は」
持っているけど、地味だ。将聖に見られるならかわいくしたくて迷ってしまったら、その将聖があわてて首を振った。
「いや、やっぱ着ないで。俺のいないトコで他のヤローにかわいい白雪見られたくない!」
ちょっと照れくさそうにくちびるをとがらせてそんなことを言われたら、白雪だって照れてしまう。でもすごく嬉しかった。
そこで白雪の降りるバス停に到着する。まだ何日か学校はあるから、夏休みのことは明日相談しよう。
「じゃな」
「また明日」
降りてからも、閉まるドア越しに笑顔を交わす。すると車内に残った将聖の表情がスッと変わった。
「え?」
鋭くなったまなざしがバスの発車で離れていく。不安にかられて白雪は振り向き――近くでニヤニヤと立っている男たちに気づいた。
以前ショッピングモールでナンパしてきた二人ともう一人、知らない若い男がいた。

