◆◆◆
「……なんだよ将聖。負け犬を呼び出してマウントか?」
屋上へ続く階段は生徒たちからは死角にある。朝イチでそんなところに連れ込まれた委員長の和田は、将聖に皮肉な笑みを向けた。
白雪への告白を事前に阻止されたかたちになっている和田にしてみれば、それぐらいの嫌味は言いたくもなるだろう。でも将聖は余裕でニヤリとした。ワンコではない、微笑み。
「そんなことねえよ――おまえが本当に負け犬だとも思えなくてね」
「お? いつもと違う顔してるじゃん。俺には取りつくろうのやめたんだ」
「てことは委員長だって、俺のこと承知なんだろ」
二人の間にヒリ、とした空気がただよった。
――剣崎から聞いた、在校している吾堂組構成員子弟の名。その一人がクラスメートの和田誠十郎だ。そうと知っては和田が白雪にコナをかけたのも素直に受け取れなくなってしまう。
「おまえ優等生ヅラして何たくらんでる?」
「何も。小森さんに声かけたのは、本当に告れたらいいと思ったからだし」
「それが信じにくくてさ」
「信じてもらわなくてもかまわないけどね。俺は家業とは関係なく生きていくつもりだよ、将聖とは違って」
言葉の裏で、親は吾堂組の関係者だと認めている。そして将聖が成和相同会の跡取りなのも承知だと暗に告げられて将聖は鼻にしわをよせた。
「今、姫んちのあたりを吾堂組が狙ってんの知らねえのかよ」
「知ってるけど。地上げして再開発してデカいディスカウントストアとパチ屋にしたがってるだけだろ。俺はそういう商売には興味ないね、くだらない」
「……ほんと、くだらねえな」
和田の面倒くさそうな言い方は信じてもよさそうだと将聖は感じた。てことは白雪へのアプローチは真剣なものなのか。確認すると和田は肩をすくめた。
「だから本気だったって言ってるだろ。俺だって学校での〈姫〉もコンビニでの姿も知ってんだよ。めっちゃいい子じゃないか」
「……女のシュミ合うな」
「おまえ横からかっさらったくせに腹立つ。じゃあ行くわ、HR遅れるぞ――ああそうだ、俺の兄貴は組の中でのし上がろうとか思ってるような奴だから。そっちには気をつけろ」
「何、注意してくれんの。いい奴だな」
うるせえ、とつぶやいて和田は背を向けた。すこし間をおいて将聖も教室に戻ったら、担任が来るのと同時だった。
「こら鬼柳、遅刻かあ?」
「違いますうっ! カバン席にあるし!」
教師とも軽口をかわす将聖を、和田がチラリと見て笑った。猫をかぶる二人の共感なのかもしれない。
和田が言い捨てた「兄貴」――その名も将聖は聞いている。和田京一郎。この高校の三年生で、校内ではまじめなフリをしているが付近の不良たちからは恐れられる存在らしかった。
◇◇◇
それから毎日、白雪は将聖とすごした。登下校も、学校の休み時間も。
女子の集まりにも将聖は平気で突っこんでくる。クラスメートの前なのに頭をなでたり頬をつついたりされ、白雪は悲鳴をあげてしまうのだ。ながめるみんながニヤニヤして楽しそうなのが納得いかない。
だけど将聖が近くにいるのは嬉しかった。そこにいてくれるだけで安心できる。校内でもバスの中でも歩いていても、白雪はいつも考えていたから。
誰かに迷惑をかけていないか、叱られないか、と。
なのに今は世界が怖くない。
教室にいても同じだ。いつもは聞き手にまわることが多い白雪なのに、将聖が加わると自然に話すことができた。すると友人たちとも不思議と距離感が近くなる。
「鬼柳くんのおかげだな、て思ってるの。ありがとう」
白雪はこそっと礼を言った。
今は図書室で並んで座り、教科書を開いている。期末試験の勉強中だった。まわりの席に人がいなくなったのを見はからって口にした言葉に、将聖はにっこりしてくれる。
「俺は何も? 姫はいい子なんだから、素直にしてればだいじょぶなんだよ。考えすぎてたんだろ」
「でも鬼柳くんがいると、おしゃべりしやすくて」
「じゃあ姫にとって俺って、めっちゃ頼りになるってこと? すげえ嬉しい」
ちょっと照れくさそうに喜んでくれる将聖に、白雪も嬉しくなった。
こうしていると本当に恋人同士のような気がしてくる。きちんと承諾の返事はしていないけど。
でも今さらどう言えばいいのか、白雪にはわからなかった。このままでいたいと思うのだから将聖のことが好きなのだと思う。なのに恥ずかしくて口にできそうにない。
申し込みの時「お試しで」と言われたのを思い出し、白雪は不安になった。将聖のほうからあらためて断られる可能性だってあるわけで。
そんな想像を振り払うように白雪は教科書をめくり、シャーペンを走らせる。今は勉強しなきゃ。
「ねえ姫……俺のこと、名前で呼んでよ」
いきなり将聖が提案してきて白雪の手はとまった。
「なまえ?」
「そ。ずっと〈鬼柳くん〉だろ。彼っぽくなくてつまんない」
「つまんないってそんな……」
白雪はズキンと胸が痛むのを感じた。
やっぱり自分などおもしろくないし明るくないし、一緒にいても嫌なのじゃないか。ううん、そんな心配もずうずうしいのかもしれない。白雪の気持ちを伝えたことは一度もないくせに。
白雪はずっと流されているだけ。
みんなから「姫」と呼ばれて。将聖に告白されて。和田の誘いを断ったのも白雪じゃなく将聖だ。
白雪自身は何もしていない。何も言えていない。
「私、あの……」
「なになに、姫いきなり深刻。名前呼び、そんなにハードル高い?」
「そうじゃないけど……」
「いいよ無理しなくて。あ、じゃあさ、期末終わったらデートしよう。それで手をうつから」
頬づえをついて楽しげに笑う将聖に、白雪はやっぱり流されてうなずく。でも「デート」という響きには胸が高鳴った。
「……なんだよ将聖。負け犬を呼び出してマウントか?」
屋上へ続く階段は生徒たちからは死角にある。朝イチでそんなところに連れ込まれた委員長の和田は、将聖に皮肉な笑みを向けた。
白雪への告白を事前に阻止されたかたちになっている和田にしてみれば、それぐらいの嫌味は言いたくもなるだろう。でも将聖は余裕でニヤリとした。ワンコではない、微笑み。
「そんなことねえよ――おまえが本当に負け犬だとも思えなくてね」
「お? いつもと違う顔してるじゃん。俺には取りつくろうのやめたんだ」
「てことは委員長だって、俺のこと承知なんだろ」
二人の間にヒリ、とした空気がただよった。
――剣崎から聞いた、在校している吾堂組構成員子弟の名。その一人がクラスメートの和田誠十郎だ。そうと知っては和田が白雪にコナをかけたのも素直に受け取れなくなってしまう。
「おまえ優等生ヅラして何たくらんでる?」
「何も。小森さんに声かけたのは、本当に告れたらいいと思ったからだし」
「それが信じにくくてさ」
「信じてもらわなくてもかまわないけどね。俺は家業とは関係なく生きていくつもりだよ、将聖とは違って」
言葉の裏で、親は吾堂組の関係者だと認めている。そして将聖が成和相同会の跡取りなのも承知だと暗に告げられて将聖は鼻にしわをよせた。
「今、姫んちのあたりを吾堂組が狙ってんの知らねえのかよ」
「知ってるけど。地上げして再開発してデカいディスカウントストアとパチ屋にしたがってるだけだろ。俺はそういう商売には興味ないね、くだらない」
「……ほんと、くだらねえな」
和田の面倒くさそうな言い方は信じてもよさそうだと将聖は感じた。てことは白雪へのアプローチは真剣なものなのか。確認すると和田は肩をすくめた。
「だから本気だったって言ってるだろ。俺だって学校での〈姫〉もコンビニでの姿も知ってんだよ。めっちゃいい子じゃないか」
「……女のシュミ合うな」
「おまえ横からかっさらったくせに腹立つ。じゃあ行くわ、HR遅れるぞ――ああそうだ、俺の兄貴は組の中でのし上がろうとか思ってるような奴だから。そっちには気をつけろ」
「何、注意してくれんの。いい奴だな」
うるせえ、とつぶやいて和田は背を向けた。すこし間をおいて将聖も教室に戻ったら、担任が来るのと同時だった。
「こら鬼柳、遅刻かあ?」
「違いますうっ! カバン席にあるし!」
教師とも軽口をかわす将聖を、和田がチラリと見て笑った。猫をかぶる二人の共感なのかもしれない。
和田が言い捨てた「兄貴」――その名も将聖は聞いている。和田京一郎。この高校の三年生で、校内ではまじめなフリをしているが付近の不良たちからは恐れられる存在らしかった。
◇◇◇
それから毎日、白雪は将聖とすごした。登下校も、学校の休み時間も。
女子の集まりにも将聖は平気で突っこんでくる。クラスメートの前なのに頭をなでたり頬をつついたりされ、白雪は悲鳴をあげてしまうのだ。ながめるみんながニヤニヤして楽しそうなのが納得いかない。
だけど将聖が近くにいるのは嬉しかった。そこにいてくれるだけで安心できる。校内でもバスの中でも歩いていても、白雪はいつも考えていたから。
誰かに迷惑をかけていないか、叱られないか、と。
なのに今は世界が怖くない。
教室にいても同じだ。いつもは聞き手にまわることが多い白雪なのに、将聖が加わると自然に話すことができた。すると友人たちとも不思議と距離感が近くなる。
「鬼柳くんのおかげだな、て思ってるの。ありがとう」
白雪はこそっと礼を言った。
今は図書室で並んで座り、教科書を開いている。期末試験の勉強中だった。まわりの席に人がいなくなったのを見はからって口にした言葉に、将聖はにっこりしてくれる。
「俺は何も? 姫はいい子なんだから、素直にしてればだいじょぶなんだよ。考えすぎてたんだろ」
「でも鬼柳くんがいると、おしゃべりしやすくて」
「じゃあ姫にとって俺って、めっちゃ頼りになるってこと? すげえ嬉しい」
ちょっと照れくさそうに喜んでくれる将聖に、白雪も嬉しくなった。
こうしていると本当に恋人同士のような気がしてくる。きちんと承諾の返事はしていないけど。
でも今さらどう言えばいいのか、白雪にはわからなかった。このままでいたいと思うのだから将聖のことが好きなのだと思う。なのに恥ずかしくて口にできそうにない。
申し込みの時「お試しで」と言われたのを思い出し、白雪は不安になった。将聖のほうからあらためて断られる可能性だってあるわけで。
そんな想像を振り払うように白雪は教科書をめくり、シャーペンを走らせる。今は勉強しなきゃ。
「ねえ姫……俺のこと、名前で呼んでよ」
いきなり将聖が提案してきて白雪の手はとまった。
「なまえ?」
「そ。ずっと〈鬼柳くん〉だろ。彼っぽくなくてつまんない」
「つまんないってそんな……」
白雪はズキンと胸が痛むのを感じた。
やっぱり自分などおもしろくないし明るくないし、一緒にいても嫌なのじゃないか。ううん、そんな心配もずうずうしいのかもしれない。白雪の気持ちを伝えたことは一度もないくせに。
白雪はずっと流されているだけ。
みんなから「姫」と呼ばれて。将聖に告白されて。和田の誘いを断ったのも白雪じゃなく将聖だ。
白雪自身は何もしていない。何も言えていない。
「私、あの……」
「なになに、姫いきなり深刻。名前呼び、そんなにハードル高い?」
「そうじゃないけど……」
「いいよ無理しなくて。あ、じゃあさ、期末終わったらデートしよう。それで手をうつから」
頬づえをついて楽しげに笑う将聖に、白雪はやっぱり流されてうなずく。でも「デート」という響きには胸が高鳴った。

