姫とワンコは取りつくろわない

◆◆◆

「やべえ」

 次の日登校した将聖は、廊下をいく白雪を後ろから見つけて立ちどまった――ヤバいぐらい、かわいい。
 実は将聖だって他の男子同様、白雪のことは気になっていた。荒っぽい世界で育ってきた将聖の周囲にはいないタイプだから。
 しかし学校ではおとなしく微笑んでいることが多い「姫」が、実はハキハキ接客もできるコンビニ店員だったとは。その裏の顔も――本人は隠してたつもりはないそうだが――知ってしまえばなんだか萌える。

「俺しか知らないってのがまた、いいよな」

 学校でキープしている子犬キャラの裏でニヤリとし、将聖は白雪のあとを追った。

「おっはよう、姫!」
「あ、鬼柳くん――おはよう」

 いつも通り明るい笑顔の将聖に、白雪はやや困った顔で返事した。互いの正体を把握し合ったことで距離感に迷っているのだと思う。

「ねえねえ姫は傘持ってきた? 俺、夕方から降るって予報知らなくて忘れたんだ。スマホの通知でびっくりしてさ」
「あ……折り畳みならいつも持ってるから」
「うっわ、ちゃんとしてる。さすが姫!」

 普段と同じ調子で当たりさわりない天気の話だけすると、将聖はタタタと先に教室に駆け込んだ。

「おはよー!」
「おー将聖、昨日教えた推しの配信観たあ?」
「ごっめーん、寝ちった」

 テヘ、と舌を出すと友だちが軽く絞め技をかけてくる。ジタバタとじゃれ合うのをながめて白雪は微妙な笑顔だ。
 それをチラリと確認した将聖は、ニコニコしながら腹の中で考えていた。

 これは、ほとんど運命だ。
 将聖の背後関係を知らない学校の女子だと好きになっても付き合えるかわからない。なのにちょうど、イイなと思っていた白雪が将聖の本性を目撃したのだ。このチャンスを逃す手はないだろう。

 今後〈成和相同会〉のシマで抗争が起きる可能性は高いと思われた。そこには白雪の自宅付近も含まれている。
 昨日は白雪の母親だという副店長に周辺の被害状況を聞いたのだが、チンピラたちの行為はおそらく意図的な嫌がらせだと思う。落書き、騒音、ゴミの散乱。付近の店舗がみな営業妨害を受けているのだった。
 やらせているのは誰なのか。それを探るのは将聖の仕事ではない。だが将聖は、白雪をチンピラから守れる立場にあるのだった。


◇◇◇

「あの、小森さん――」
「はい?」

 昼休み、自席で読書中の白雪に話しかけてきたのはクラス委員長の和田という男子だった。誰とでも明るく話せて成績もいい、白雪からするとうらやましいタイプ。

「中間試験で小森さん、英語良かったよね。どうやって勉強してるのかと思って」
「特別なことは……」

 白雪は困った微笑みのまま小首をかしげる。塾に行っているわけでもないし、たまたまだと思っている。

「俺、英語だけ点数伸びなくて困ってるんだ。よければ一緒に勉強してくれないかな」

 そっと会話に聞き耳を立てていたクラスメートから抑えたどよめきが起こった。
 これは交際に持ち込む前の何かしらじゃないのか。「姫」と「委員長」ならお似合いではあるし、教室の空気が一気にワクワクする。

「え、と。一緒にって」
「ああ、図書室とかで。休み時間か放課後、少しだけでいいから勉強のコツを盗ませてほしいんだけど、どう?」

 はにかんだ笑顔を見せられて白雪はうろたえた。和田はいい人だと思うけど、二人きりなんて何を話せばいいかわからない。

「ひーめ!」
「きゃっ」

 言葉が出てこなくなった白雪を、後ろからふわりと包みこむ腕があった。


◆◆◆

「そういうのは断ってくれなきゃ。俺、泣くよ?」
「き、鬼柳くん!?」

 将聖は白雪を背中からゆったりハグしている。そんな姿勢を取られて白雪があわてふためくのと同時に、女子の悲鳴と男子の野太い叫び声も教室に響き渡った。
 なのに将聖はいつものワンコな笑顔を崩さない。ニコニコしながら和田に謝ってみせた。

「悪い、姫は俺のだから」
「え、嘘だろ」
「嘘じゃないって。俺、昨日も姫んちに行ったし。な、姫?」
「ちょ、鬼柳く」

 腕の中で振り向く白雪の顔は真っ赤だ。その拍子に将聖の鼻をくすぐるサラサラの髪がいい匂い。
 かわいいな、と思いながら将聖は口の端にチラリと悪い笑みを浮かべた。

「お母さんにだって挨拶したよね?」
「そ、れは。そうだけど」

 もじもじと白雪が答えたことで教室に歓声が渦巻く。そして恋破れた男子たちのため息も。
 勝ったぜ、と将聖は内心でガッツポーズした。まず外堀を埋めるのには成功したようだ。


◇◇◇

 午後の授業を白雪はうわの空で受けていた。だってクラスみんなの視線がいたたまれない。
 あの「姫は俺の」宣言の後すぐに予鈴が鳴ったおかげで、みんなはしぶしぶ散った。でも六校時までのわずかな休み時間、女子に囲まれてしまう。

「ちょっと姫、いつの間に鬼柳くんと」
「びっくりだけど意外とお似合いかも。おっとりの姫とニコニコ鬼柳くん。ゆるふわカップルだね」
「いいなー! 彼氏ほしー!」

 矢つぎばやに飛んでくる言葉に白雪はアワアワしてしまう。すると原因である将聖がヒョコンと割り込んだ。

「まあまあ、姫こーゆーの苦手だから。かんべんしてあげてよ」
「やーん、ちゃんと助けに来るし!」
「かっこよ! 王子みたい」
「わんこキャラだと思ってたのになあ」
「ワンコ王子だ!」

 きゃあきゃあ笑われても微笑みで受け流す将聖を見上げ、白雪はちょっと胸をときめかせた。かばってくれるんだ。
 でもそこでハタと気づく。こうなっているのも、元はといえば将聖のせいだった!
 またチャイムが鳴り、授業のためにみんなが席に戻る。ホッとした白雪は机に突っ伏したくなるのを我慢した。そんなの、「姫」らしくない。

 でもどうすればいいのだろう。将聖と付き合ってはいないけど、否定したら傷つけてしまいそうで怖い。
 この件について何も言えない白雪は、HR後すぐに逃げ出そうと決心した。
 そっとため息をつき、白雪は窓の外の空をながめた。シトシトと細かい雨が降り出していた。