俺が最初に周りとの壁を感じ始めたのは、小学校に入ったとき。
俺は相変わらず歌を歌うことも、ピアノを弾くことも好きだった。
俺が通っていた小学校には音楽の授業のときに、たまに歌のテストとして、一人ずつ、教室の前で歌を歌わされた。
皆の前で一人ずつ歌を歌うなんて、恥ずかしがり屋の児童達は皆嫌がった。
中には、ほとんど口パクで誤魔化そうとしていた子もいた。
けれども、俺だけは違っていた。
上手くはないものの、歌うことは好きだった俺は、皆が嫌がる歌のテストも、ちっとも苦ではなかった。
それどころか、ちょっと楽しみなくらいだった。
歌が好きだった俺は、あのときは自分の歌にちょっと自信があったから、余計に。
上手く歌えたら、母や幼稚園のときの先生みたいに、皆に褒めてもらえるかも、という子供じみた打算もあった。
けれど、実際に起きたのは、俺の期待とは正反対の出来事だった。
人前で歌うことに恥ずかしさを感じていなかった俺は、堂々と、大きな声で歌った。
子供の割には…そんなに下手ではなかったんじゃないかと思うのだが。
クラスメイト達は、「あいつやるなぁ」と感心するのではなく、むしろ、笑っていた。
称賛の笑顔ではない。
「あいつ、何本気出してんの?」という、馬鹿にした笑いだ。
どんな小さなことでも、学校という閉鎖的な社会において、人と違うことをすると顰蹙を買うのだと、俺はそのとき、初めて知った。
皆がひそひそと嫌味な笑みを浮かべているのを見て、俺は歌い終わって初めて、恥ずかしくなった。
歌ってるときは全然恥ずかしくなかったのに、歌い終わってから恥ずかしくなるなんて、おかしな話だ。
今でもたまに、ルトリアが歌ってるとき、不安になる。
歌い終わった後、拍手じゃなくて、冷笑されるのではないかと。
そんなことは有り得ないって分かってるのに。
ルトリアは俺よりずっと上手だし、『frontier』にはもうたくさんのファンがいるのだから。
歌い終わった後、馬鹿にしたように笑われるなんて有り得ない。
それでも、今でも思い出しては不安になるくらいに…俺にとっては、ショックな出来事だった。
俺は相変わらず歌を歌うことも、ピアノを弾くことも好きだった。
俺が通っていた小学校には音楽の授業のときに、たまに歌のテストとして、一人ずつ、教室の前で歌を歌わされた。
皆の前で一人ずつ歌を歌うなんて、恥ずかしがり屋の児童達は皆嫌がった。
中には、ほとんど口パクで誤魔化そうとしていた子もいた。
けれども、俺だけは違っていた。
上手くはないものの、歌うことは好きだった俺は、皆が嫌がる歌のテストも、ちっとも苦ではなかった。
それどころか、ちょっと楽しみなくらいだった。
歌が好きだった俺は、あのときは自分の歌にちょっと自信があったから、余計に。
上手く歌えたら、母や幼稚園のときの先生みたいに、皆に褒めてもらえるかも、という子供じみた打算もあった。
けれど、実際に起きたのは、俺の期待とは正反対の出来事だった。
人前で歌うことに恥ずかしさを感じていなかった俺は、堂々と、大きな声で歌った。
子供の割には…そんなに下手ではなかったんじゃないかと思うのだが。
クラスメイト達は、「あいつやるなぁ」と感心するのではなく、むしろ、笑っていた。
称賛の笑顔ではない。
「あいつ、何本気出してんの?」という、馬鹿にした笑いだ。
どんな小さなことでも、学校という閉鎖的な社会において、人と違うことをすると顰蹙を買うのだと、俺はそのとき、初めて知った。
皆がひそひそと嫌味な笑みを浮かべているのを見て、俺は歌い終わって初めて、恥ずかしくなった。
歌ってるときは全然恥ずかしくなかったのに、歌い終わってから恥ずかしくなるなんて、おかしな話だ。
今でもたまに、ルトリアが歌ってるとき、不安になる。
歌い終わった後、拍手じゃなくて、冷笑されるのではないかと。
そんなことは有り得ないって分かってるのに。
ルトリアは俺よりずっと上手だし、『frontier』にはもうたくさんのファンがいるのだから。
歌い終わった後、馬鹿にしたように笑われるなんて有り得ない。
それでも、今でも思い出しては不安になるくらいに…俺にとっては、ショックな出来事だった。


