五歳まで、私は一人っ子だった。
お絵描きとお人形遊びが大好きで、テレビを見るよりも“自分の世界”にこもって遊ぶことが多かった。たぶん、それが今のデザイナーとしての基礎を作ってくれたのかもしれない。
中でも特にお気に入りだったのは、『不思議の国のアリス』みたいな服。水色のワンピースに白いエプロンを合わせて、まるで物語の中の少女になったような気分で、私は何度もそれを着た。
やがて、奇跡の赤ちゃんが生まれる。
妹の──美愛。
彼女は父さまの血を色濃く受け継いでいて、色白の肌に金髪、澄んだブルーの瞳。まるで絵本から飛び出してきたような、西洋人形みたいな赤ちゃんだった。
私はすぐに美愛の虜になった。母さまのお手伝いを進んで引き受け、おむつを替え、ミルクをあげ、泣いていれば駆け寄ってあやした。
もちろん妹が可愛くて仕方なかった。──でも、それだけじゃない。
“いいお姉ちゃま”の私を、母さまにもっと見てほしかった。そう思って、私は子供ながらに背伸びをしていた。
今では、美愛はブルーネットの髪にヘーゼルアイの、外見も中身も美しい女性に育っている。もう一人の妹、葉子は──養女として家族に迎えられた子だ。
彼女は私や母さまと同じ江戸っ子気質で気が強く、それでいて冷静沈着で頭の回転も速い。正直、私は敵わないなと思うことも多い。
だけど、二人とも大切な妹たちだ。
美愛が生まれた日と、葉子がうちの子になった日。私は心の中で誓った。
──お姉ちゃまの私が、この子たちを守る、と。
……、でも、ずっと“自分らしく”いられたわけじゃない。
あれは、私が十歳半ばだった頃。葉子がうちに来て間もないころのことだ。
その日、私はいつものようにフリルのついたパステルピンクのワンピースを着て、学校へ行った。
そこで、クラスのガキ大将にこう言われた。
「巨人女が似合わねぇ。気持ち悪りぃー」
その一言は、子どもだった私の心に深く突き刺さった。
当時の私はすでに身長が百六十五センチを超えていて、“可愛い服は、私には似合わないんだ”と思い込むには、十分すぎるほどだった。
その日から、私はフリルの服を着るのをやめた。
放課後、少し寄り道をしてから家に帰り、母さまにお願いした。
「みんなと同じ服を、買って」と。
そのときに買ってもらったのが、脚のラインが綺麗に見えるスキニーデニム。初めて穿いた瞬間、私は思った。
“あぁ、これが似合う”
“これなら、馬鹿にされない”
こうして私は少しずつ、“仮の姿”の自分を作りあげていったのだった。
お絵描きとお人形遊びが大好きで、テレビを見るよりも“自分の世界”にこもって遊ぶことが多かった。たぶん、それが今のデザイナーとしての基礎を作ってくれたのかもしれない。
中でも特にお気に入りだったのは、『不思議の国のアリス』みたいな服。水色のワンピースに白いエプロンを合わせて、まるで物語の中の少女になったような気分で、私は何度もそれを着た。
やがて、奇跡の赤ちゃんが生まれる。
妹の──美愛。
彼女は父さまの血を色濃く受け継いでいて、色白の肌に金髪、澄んだブルーの瞳。まるで絵本から飛び出してきたような、西洋人形みたいな赤ちゃんだった。
私はすぐに美愛の虜になった。母さまのお手伝いを進んで引き受け、おむつを替え、ミルクをあげ、泣いていれば駆け寄ってあやした。
もちろん妹が可愛くて仕方なかった。──でも、それだけじゃない。
“いいお姉ちゃま”の私を、母さまにもっと見てほしかった。そう思って、私は子供ながらに背伸びをしていた。
今では、美愛はブルーネットの髪にヘーゼルアイの、外見も中身も美しい女性に育っている。もう一人の妹、葉子は──養女として家族に迎えられた子だ。
彼女は私や母さまと同じ江戸っ子気質で気が強く、それでいて冷静沈着で頭の回転も速い。正直、私は敵わないなと思うことも多い。
だけど、二人とも大切な妹たちだ。
美愛が生まれた日と、葉子がうちの子になった日。私は心の中で誓った。
──お姉ちゃまの私が、この子たちを守る、と。
……、でも、ずっと“自分らしく”いられたわけじゃない。
あれは、私が十歳半ばだった頃。葉子がうちに来て間もないころのことだ。
その日、私はいつものようにフリルのついたパステルピンクのワンピースを着て、学校へ行った。
そこで、クラスのガキ大将にこう言われた。
「巨人女が似合わねぇ。気持ち悪りぃー」
その一言は、子どもだった私の心に深く突き刺さった。
当時の私はすでに身長が百六十五センチを超えていて、“可愛い服は、私には似合わないんだ”と思い込むには、十分すぎるほどだった。
その日から、私はフリルの服を着るのをやめた。
放課後、少し寄り道をしてから家に帰り、母さまにお願いした。
「みんなと同じ服を、買って」と。
そのときに買ってもらったのが、脚のラインが綺麗に見えるスキニーデニム。初めて穿いた瞬間、私は思った。
“あぁ、これが似合う”
“これなら、馬鹿にされない”
こうして私は少しずつ、“仮の姿”の自分を作りあげていったのだった。



