「・・・・・・・・・うっ、ううっ・・・」
「ちょっと夕凪ちゃん、泣かないでよ・・・」
「だ、だって・・・」
 秋斗くんがあまりに可哀想で、と言いかけてやめた。
 秋斗はきっと、私に可哀想と思ってほしくて話をしたわけじゃない。
 私はずずっ、と鼻水をすすって、秋斗に向き合った。
「話してくれて、ありがとう。私、この間ひどいこと言っちゃってごめんなさい」
「え、夕凪ちゃん僕にひどいこと言ったの?」
「えっ、あっ・・・」
 そうか、秋斗は嫌なことは日記には書かないと言っていたから、あの言葉も書いていないのか・・・。
「・・・ぷっ」
 え、と顔を上げると、秋斗が口元を抑えて笑いを堪えていた。
「なんで笑うんですか」
「だって・・・夕凪ちゃん、顔に出やすすぎるから!・・・はははっ」

 ──── 夕凪ちゃんってさ、顔に出やすいよね。

 ふと、初めて秋斗に会った日に言われたことを思い出した。
 ああそうか、記憶が無くても秋斗は秋斗なんだ。どこも変わってない。記憶が一日で無くなるからって、全くの別人になるわけじゃないんだ。

 ひとしきり笑った後、秋斗は目尻にたまった涙を指先で拭いながらようやく話し始めた。
「いや、今夕凪ちゃん、僕が昨日のこと日記に書いてないって思っただろ?」
「はい・・・え、書いてないんでしょう?」
「実は、書きました。きちんと読んで来ました!」
「ええええ!」
 なんで?嫌なことは書かないと言っていたのに。
「僕にとって昨日夕凪ちゃんに言われたことは、嫌なことじゃなかったんだと思う」
 秋斗は私の心を読んだかのように言った。
「むしろ、嬉しかった。僕が君を覚えていなかったことを悲しんでくれたということは、裏を返せば僕に覚えていてほしかったってことでしょ?」
 ・・・あ。
 そうか、確かにそうなる。
 気づいた瞬間、私は自分の頬がぽぽぽっと赤くなるのを感じた。
「あ、当たりだったみたいね。嬉しいなあ」
「へ?」
 また変な声が出てしまった。まったく、この人といると調子が狂う。
 でもそんな自分も、嫌いじゃなかった。
「僕も、同じ。覚えていたかったんだと思う。だから、日記にも書いたし、今日ここにも来た」
 嬉しいような、恥ずかしいような。私は赤くなりすぎた顔を隠そうと、俯いた。
「ねえ」
 そう声が聞こえたかと思ったら、両頬にひんやりとした感触があった。
 それは、秋斗の手だった。男の子らしい力で、でも優しく私の顔を上げさせる。
「顔、見せてよ。せっかく会えて、全部正直に話したのに、夕凪ちゃんの顔が見れないんじゃ勿体ない」
「・・・っ、もうっ!」
 秋斗は私の頬からぱっと手を離すと、またくすくすと笑い出した。
 ・・・なんだか彼のペースに乗せられているような。
 そう思ったが、悪い気はしなかった。

 ❖ ❖ ❖

「交換日記?」
「そう、交換日記。秋斗くんだけがずっと書いてたんじゃ、秋斗くんからしたらリアリティないかなって思って。だから、私も書くの。交代で。で、会える日は会って話したいんです」
 秋斗にはそう言ったが、それは半分建前で、交換日記を提案した本当の理由は、私が秋斗との縁をどうにかして繋ぎ止めておきたいからだった。
 秋斗はうーんと考え込み、何か悩んでいるようだった。
「どうしたんですか?」
「いや、負担じゃないかなあって。夕凪ちゃんの。ほら僕はこんなだから学校に行く日は少ないけど、夕凪ちゃんは毎日学校があって課題もあるだろ?日記を書くのってほら、根気がいるからさ」
 それに、と秋斗は続ける。
「いつか夕凪ちゃんは忙しくなったりして、僕のことなんか忘れちゃうだろ。そんなので、有耶無耶になってしまうのは、嫌だ・・・」
 それなら最初からないほうがいい、と言って、黙り込んでしまった。
 私は、さっき秋斗にされたみたいに秋斗の顔を両手で包んでぐいっと上げさせた。
「そんなの、ないから!」
「え?」
「私が秋斗くんを忘れるなんて、ありませんから!すいませんけど、秋斗くんのほうが私のことたくさん忘れちゃうんだよ?」
 ちょっと無神経過ぎたかな、とは思ったが、一度口から出た言葉は取り消せない。私は秋斗の頬から手を話さずに、話し続けた。
「秋斗くんは私のことを気にしてるように話すけど、本当は自分のことを気にしてるんです。自分が傷つくのを避けようとしてるんですよ。でも秋斗くんが傷つく未来なんてないし、私が来させない」
 どうしてそこまで言いきれるんだと自分でも呆れ気味だったが、今の弱っている秋斗には強めに言ってあげたほうが良い、と思った。それに、話しだしたら止まらなかった。
「だから秋斗くん、交換日記、しましょう。私、秋斗くんに黙っていなくなったりしませんし、忘れたりしません。この命ある限り、秋斗くんと交換日記を続けますから!」
 そこまで怒涛の勢いで話すと、秋斗はぽろぽろと涙を流し始めた。
「えっ」
 突然の美少年の涙に戸惑って、さっと手を引く。だが秋斗にその手を片方掴まれてしまった。
「ありがとう・・・ありがとう、夕凪ちゃん・・・」
 ありがとう、と何度も言いながら秋斗は私の左手を強く握る。
 そんなに嬉しかったのだろうか。
 まあ、喜んでくれたなら良かった。
 これでもう私は秋斗が恋しくなることもないだろう。
 そう考えながら、泣き続ける秋斗の背中を空いていた右手でずっとさすっていた。

 ❖ ❖ ❖
 
「ごめん、恥ずかしいとこ見せちゃったね。忘れて・・・って言っても夕凪ちゃんは覚えてられるのか」
 腫れた目を細めて秋斗は苦笑した。
「そうですね。忘れませんよ、秋斗くんが子供みたいに泣きじゃくってたこと」
「そんなに泣いてないだろ」
「泣いてましたって」
 軽く言い合いながら、だんだんと笑いがこみ上げてくる。これ絶対終わらないやつだ、と秋斗が言って、話を切り替えた。
「でもさっきの夕凪ちゃんの言葉、嬉しかったなあ」
「・・・?何がですか?」
「『この命ある限り、秋斗くんと交換日記を続けますから!』って言ってくれただろ。それってもうプロポーズじゃないかなあ」
「!!!」
 私は驚きすぎて、口をぱくぱくと動かすことしかできなかった。
 だって・・・プロポーズだなんて・・・そんな!
 そんなつもりで言ってないのにー!
 でも秋斗は心から嬉しいと言わんばかりに満面の笑みを浮かべていた。秋斗が喜んでいるのなら、もう何でもいいや、と諦めて私も口角が上がる。

 その頃にはもう暗くなってきていたので、秋斗は残念そうだったがお開きにすることにした。勿論私ももう少し話していたかったが。
 結局、交換日記は私から始めることにした。秋斗とルールを決め、それをスマホにメモしながら後で日記帳の最初のページに書いておこう、と考えていた。秋斗の日記帳のように。
 帰り道、私は近くの商店街にある小さな文房具店に寄って日記帳を買った。少し値段は張ったが、秋斗があとで半分出すと言ってくれたので、上等でたくさん書けるものにした。
 そして一度家に帰り、最初のページと今日の分の日記を早速書き、次の日の朝早くに紫雲山の麓にポストとなるダンボール箱を設置しに行った。漆串公園のどこかでも良かったのだが、それでは誰かに見つかってしまう心配もあったので、紫雲山の入り口の草むらに隠した。

 胸のあたりがじんわりとあたたかくなるのを感じながら、私はほんの少しだけ大股で家に帰った。