桜、きれいだなぁ……。
赤信号で止まる車。その窓から見える景色を、ぼんやりとながめる。
ときどき風が吹いて、満開の桜の枝がゆれる。まるで、木が笑っているように見えた。
「こうやって家族で買い物に出かけることも、あんまりできなくなるのか……」
助手席のお父さんが、ふいにつぶやく。
「さみしいのはわかるけど、そんな残念そうに言わないの。
そうなるのは、響が念願のシンフォニア学園に入学できたからなんだから」
そうツッコむ運転席のお母さんも、ちょっとさみしそう。
「そうだな。この買い物は響の入学準備のためだからな。気合入れていくぞ!」
「あー、出た熱血モード……。車のなか暑くなっちゃうよ、お父さん」
そういって、三人で笑いあっているうちに、信号が青になって、車が発進した。
私、相崎響は、この春中学生になる。
本当は、地元の公立中学校に通うつもりだった。なんだけど、いつだったか、何かのきっかけで、完全寮制の私立の中高一貫女子校・シンフォニア学園の生徒募集が、目に入った。そのとき、なんというか、すごく心がひかれたんだ。
この学園が、私を呼んでいる。そんな気すらした。
というわけで、お母さんとお父さんに頼みこみ、ダメもとで受験。シンフォニア学園は、わりかし新しい学校。でも、偏差値の高い名門校なんだ。まさか受かるはずないよなー、と思っていた。
だから、合格通知が届いた瞬間の驚きようといったら、とんでもなかった。
しばらくはもう、家中お祭りさわぎだった。けれど、冷静になったら、寮生活のための準備とか、いろいろやらなくちゃいけないことがあることに気づき、今にいたります。
寮に入って、お母さんやお父さんと離れてくらすのは、心配だしさみしい。
でも、それ以上に私は、新しい出会いにわくわくしているんだ。
しばらくして、家から車で一時間くらいの、大きなショッピングモールについた。
「まずは荷物を入れるためのキャリーケース。それから日用品。休日用の私服ももう少しあったほうがいいわね……」
お母さんの助言も得ながら、さっそく行動開始!
買うものが多いから、パッパッと見て回らないと一日が終わっちゃう。私たち家族は、いろいろなお店を見て回った。
こういうとき、何を選ぶかをなかなか決められない人もいると思う。でも、私はわりと、直感で即決するタイプ。だから買い物も、時間が余るくらいスムーズに進んでいった。
でも良いよね、こういうの。新しく買ってもらった服やカバンを見ると、うれしさがあふれ出してくるよ。
「これでだいたい全部そろったかな」
両手に大量の荷物を抱えて、お父さんがいった。(荷物、持ってくれてあざます!)
「これで安心。あ、そうだ。ついでにちょっと食料品見ていきたいんだけど」
そういうわけで一同、食品売り場に向かおうとした。
なんだけどそのとき、なんとなくショルダーバッグのポケットを探っていた私は、あることに気づいた。
「……な、ない!」
突然大声を上げた私に驚いて、お母さんとお父さんが振り返る。
「え?」
「どうした、響」
「なくなってる、アレが……。どっかで落としたのかな……。……あ! きっとあのときだ! さっき服の試着したときに、このバッグ雑に置いたから、そこで落としたんだ! ちょっと私、探してくる!」
早口で言って、私は急いで来た道を引き返す。
「おーい、何を探すってー?」
「まったく、せっかちなんだから。私たち、食品売り場にいるからねー!」
お父さんとお母さんの声が、後ろでどんどん小さくなっていった。
うーん、見当たらないな……。
さっきの服屋さんまでもどってきて、たまたま誰もいなかった試着室の中をのぞいてみたけれど、何も落ちていなかった。
周りもぐるっと見てみたけれど、見つからない。
どうしよう、アレは私の一番大切なものなのに……。
ほかの場所で落としたのかもしれないと思って、早歩きで店を出ようとしたとき、
「あの、すみません」
ふと声をかけられて、振り向く。
私と同じくらいか、ちょっと大人っぽいくらいの、眼鏡の女の子が立っていた。
「何かお探しのように見えたんですが、もしかしてこれですか?」
その手には、
「それですそれです! あー、良かった!」
私が必死になって探していた、音楽プレーヤーがのっていた。
「試着室に落ちているところを拾って、お店の方に届けようとしたのですが、実はさっきあなたがこの店にいるのを見ていて。
しばらくしたら、また険しい顔をして戻ってこられたので、もしかしたら、と思ったんです」
「ありがとう! 本当に助かった! これすごく大切なものなんです!」
「音楽プレーヤー、ですよね。
最近はスマホに音楽をきけるアプリを入れている人も多いですし、なかなか珍しいかなとも思うのですが」
「確かに私もスマホ持ってるけど、これは私が自分のおこづかいで、初めて大きな買い物をして買ったもので。もともと音楽が好きなんです。
どこへ行くときもずっと持ち歩いてるし、このまえまで中学受験の勉強をしていたときもずっと使ってて、思い入れが深くて」
「なるほど。私もずっと大切にしているものがあるので、その気持ちよくわかります」
眼鏡の彼女は、笑顔で私の話をきいてくれた。
「中学受験、ということは四月から中学一年生ですか?」
「あ、ハイ! 今日は中学準備のための買い物に来てて」
「偶然ですね。
私も四月から中学生で、今日必要なものを、家族でここに買いに来たんです。家族の方は今、隣の携帯ショップにいますけど」
「えー、そうなんだ!」
同い年なのに、なんだか言葉づかいも丁寧だし、落ち着いてて大人っぽいな。
「中学校、わくわくするね」
「はい、お互い頑張りましょう」
「それじゃ私、そろそろ行くね! ありがとう!」
私は彼女に手を振って、その場を立ち去ろうとした。
すると。
ズドン!
と、少し遠くの方で何か音がした。
私と彼女は、ぴくっと反応する。
「今なんかきこえた?」
「はい、多分」
でも周りの人はみんな、何事もないように買い物を楽しんでいる。
……気のせい、だったのかな。
たぶん彼女もそう思ったらしく、こちらを向くとにこっと笑って手を振った。
私も手を振り返して、今度こそお母さんたちのいる食品売り場に行こうとしたとき、
ズドン!!
またなにかきこえた。なんかちょっと音が大きくなった気がする。気のせいじゃないわ、コレ。
でも相変わらず、私と彼女以外のお客さんは、この音がきこえてないみたいだ。
ズンガラガッシャン!
今度はなにかがくずれる音まできこえてきた。背筋がぞわっとする。
なんとなく彼女の方を向くと、同じくとまどっている様子の彼女とぱっちり目が合った。
「……どうする?」
このときの私は、買い物終わりでちょっと、いやかなりいい気分だったのかもしれない。そしてそれは、彼女にも言えたことだったみたい。
「……行きますか?」
そういう彼女の表情には、不安の中にちょっといたずらっぽい笑顔が入っていた。