——帰宅ラッシュの満員電車。

「いや、いやいやいや、これおかしいでしょ!!!」

 桃乃は心の中で絶叫していた。

 なぜなら——

 目の前にいるのが朔だからだ。

 いや、それだけならまだいい。問題は——

 桃乃の体が完全に朔に密着していること。

「……お前、そんなにくっつくなよ」

 低い声が耳元に落ちる。

「ちょ、だって! これもう身動き取れないんですけど!?」

「いや、それは知ってるけど」

 そう、電車は超満員。

 押し寄せる人の波に流され、桃乃は朔の胸に思いっきり押し付けられる形になっていた。

「やばい、ほんとに無理! ちょっと距離取って!」

「満員電車で無理言うなよ」

「いやでも! これちょっと! 近すぎて!」

 朔の服の柔らかい生地越しに、彼の体温がじかに伝わってくる。

 しかも、揺れのせいで何度も不本意に擦れるたび、桃乃の頭は爆発しそうだった。

 さらに——

「……なぁ、お前」

「な、なんですか……?」

「そんなに俺の胸触って、楽しい?」

「——え?」

 桃乃は恐る恐る、自分の手を見た。

 そこには、しっかりと——

 朔の胸板を掴んでいる自分の手。

「ぎゃああああああ!?!?!?!?」

 完全に無意識だった。

 なぜ!? どうして!? いつの間に!?

「ち、違う違う違う違う違う!!」

「いや、どう見ても違わねぇだろ」

「これ誤解です!! 事故です!! 故意じゃないです!!!」

「いやまぁ、満員電車だからな」

 朔は肩をすくめる。

 しかし、彼の目は明らかに面白がっていた。

「……けど、そんなに触り心地いいか?」

「ぎゃあああああ!! なんでそんなこと聞くんですか!!」

「いや、だってめちゃくちゃガッツリ掴んでたし」

「ちが、ほんとに違うんです!! なんか気づいたら!! その!!」

「ほう……?」

 ニヤリと朔が微笑む。

「……じゃあさ」

「えっ?」

「お前が俺の胸触ったんだから、俺もお前の胸触っていい?」

「無理無理無理無理無理無理!!!!!!!!!!」

 桃乃は全力で首を振った。

 そのあまりの勢いに、朔はくつくつと笑う。

「冗談だよ」

「心臓止まるかと思いました!!!」

 その後、目的の駅に着くまでの間、桃乃は一切朔の顔を見れなかったという——。