二月某日。

 桃乃は小さな紙袋を抱え、そわそわと落ち着かない様子で歌舞伎町を歩いていた。

 「……ふふっ、ついにこの時が……」

 そう、今日はバレンタイン。

 ホストクラブにチョコを持っていくなんて、めちゃくちゃそれっぽくない!?

 普段なら一夜の思い出として終わるはずだったホストクラブ体験。

 でも、「墨さん」と名付けたあのクール系ホストのことを思い出すたびに、何だかんだで連絡を取るようになってしまった。

 ……いや、厳密に言うと、彼はまるで「別に興味ないけど?」みたいなテンションで返事をしてくる。

 でも、実際はちゃんと返信くれるし、気にしてるよね!?

 これはもう、バレンタインチョコを渡して、完全にカウンターを決めるしかない!

 桃乃は意気揚々とホストクラブへ足を踏み入れた。

 「すみませーん!」

 「……お前、何してんの?」

 VIP席でくつろいでいた朔が、驚き半分、呆れ半分といった顔でこちらを見ていた。

 桃乃は意気揚々と紙袋を掲げる。

 「はいっ!バレンタインチョコです!!」

 「……は?」

 「ホストって、バレンタインに大量のチョコをもらうんですよね?でも、墨さんってあんまりチョコとか好きじゃなさそうだから、手作りじゃなくておしゃれなやつにしました!」

 朔はじっと紙袋を見つめた後、ふっと笑った。

 「……お前、わざわざそれ渡しに来たの?」

 「そうですよ!!」

 「ホストにチョコ持ってくるって、つまり……」

 「つまり?」

 「お前、俺に貢ぐ客になったってことか?」

 「え、違いますよ!!!」

 「ははっ」

 面白そうに笑う朔に、桃乃は慌てて手を振る。

 「これは“推し活”ですよ!別に通うつもりはないです!……でも、ほら、たまにはこういうのもいいかなーって思って!」

 「ふぅん」

 朔は紙袋を受け取ると、中を覗き込む。

 「……で、中身は?」

 「高級チョコですよ!ハート型のやつ!!」

 「ハート!?」

 「あっ……」

 その瞬間、桃乃は察した。

 やっちまった。

 「お前、俺にハートのチョコ渡したの?」

 「ち、違うんです!!だって、高級チョコって大体ハートじゃないですか!!これ、別にそういう意味じゃなくて!」

 「へぇ?」

 ニヤニヤする朔。

 「あれ? お前、もしかして俺のこと好きなの?」

 「は!? ち、違います!!!」

 「でも、バレンタインにわざわざ店まで来て、ハートのチョコ持ってきたんだろ?」

 「ちが……」

 「お前、ホストに本気になるタイプだったんだ」

 「やめてぇぇぇぇぇ!!」

 叫びながら、その場に崩れ落ちる桃乃。

 これじゃ完全に、ホストにガチ恋してる痛い客じゃん!!!

 「違うんです!これはホスト文化研究の一環で!」

 「ホスト文化研究の一環で、俺にハートのチョコ?」

 「くぅぅぅ!! もういいです!! 墨さん、チョコ食べてください!!」

 「ああ、ありがとな」

 「……」

 意外と素直に受け取った。

 桃乃は少し落ち着きを取り戻しながら、そっと様子を伺う。

 「……食べないんですか?」

 「ん?」

 「目の前で食べてくれたら、ちゃんと渡した実感が湧くんですけど」

 「……ほぉん?」

 朔は小さく笑うと、袋からチョコを取り出した。

 「じゃあ——」

 「食べさせて?」

 「は!?」

 「バレンタインなんだから、お前が食べさせろよ」

 「えっ!? いや、普通に自分で食べてくれれば……」

 「ほら、口開けて待ってる」

 「えぇぇぇぇ!!!」

 朔がゆっくり口を開ける。

 余裕の笑みでこちらを見つめてくる。

 桃乃は顔を真っ赤にしながら、震える手でチョコを持った。

 「……じゃ、じゃあ……」

 そっとチョコを差し出す。

 そして——

 パクッ

 「……ん、意外とうまいな」

 「……」

 「ありがとな」

 ポンッと頭を撫でられた瞬間——

 「〜〜〜っっ!!!」

 桃乃は勢いよく立ち上がった。

 「もう知らないです!!帰ります!!」

 「ははっ、来月はホワイトデーだな」

 「えっ?」

 「……期待しとけよ」

 「はぁぁぁ!?!?」

 叫びながら、桃乃は全力でホストクラブを飛び出していった。

——