「ホストって、嘘つくの上手いですよね」
唐突に桃乃が言った。
ネオンの光が窓に映る朔の部屋。静かな空間の中で、その言葉だけが妙に鮮明に響いた。
「……なんだよ、急に」
ソファに腰かけたまま、朔は片眉を上げる。
「だって、そうじゃないですか?」
桃乃は小さなノートを開きながら、真剣な顔で続ける。
「お客さんの話をちゃんと聞いて、適当に共感して、寂しさを埋めるような言葉をかけて……。でも、結局は“商売”だから、本気じゃないんですよね?」
彼女の視線はまっすぐだった。
ホストについて調べているだけあって、核心をついてくる。
「……そうだな。仕事だからな」
朔はグラスを傾けながら、当たり障りのない返事をする。
「やっぱり」
そう言うと、桃乃はふわりと笑った。
「……なに」
「墨さんって、ホストなのに嘘つくの下手ですよね」
「……」
朔は思わずグラスを置いた。
「何が言いたい?」
「私、思うんですけど——墨さんって、たぶん本気で人を好きになったら面倒くさいタイプですよね?」
「……」
図星だった。
けれど、それを認めるわけにはいかなくて、朔は小さく笑う。
「……何、それ」
「だって、優しいし。ちゃんと考えてくれるし。お客さん相手ならもっとスラスラと甘い言葉を並べられるはずなのに、私にはたまに言葉を選ぶでしょ?」
そう言われて、朔は喉の奥で小さく舌打ちした。
「勘のいいガキだな」
「ガキじゃないです」
むっとした顔で睨んでくる桃乃を見て、思わず口元が緩む。
「……じゃあ、試してみるか?」
「試すって?」
「ホストの“嘘”かどうか」
朔はソファから立ち上がり、ゆっくりと桃乃の前に立つ。
「……っ」
近づくと、わずかに体が強張るのがわかった。
「怖い?」
「……怖くないです」
その答えに、朔はゆっくりと顔を近づける。
「嘘かどうか、見極めてみろよ」
そう囁いた瞬間、そっと唇を重ねる。
「……っ」
触れるだけのキス。
けれど、逃げることもできない距離。
しばらくして唇を離し、朔はじっと桃乃を見つめた。
「どうだ?」
「……わかんない」
唇を押さえながら、小さく呟く桃乃。
「そっか」
朔は小さく笑って、そっと彼女の肩を抱いた。
「……本当に嘘だと思うなら、こんなふうに抱きしめたりしないけどな」
「……え」
耳元で囁くと、桃乃の肩がピクリと震えた。
「どうする?まだ嘘だって思う?」
問いかけると、彼女はしばらく黙って——そして、小さく首を横に振った。
「……わかんない、けど」
「けど?」
「少なくとも、今のは“嘘”じゃない気がしました」
その言葉に、朔は苦笑しながら彼女の頭をそっと撫でた。
「お前さ、ほんと……」
「ほんと?」
「手がかかる」
「……墨さんのほうが、ですよ」
静かな部屋に、二人の鼓動だけが響いていた——。
朔の手が、ゆっくりと桃乃の髪を梳く。
「……俺のほうが手がかかる?」
繰り返す声は、どこか愉快そうだった。
「はい」
桃乃はふわりと笑う。
「ホストなのに、嘘つくのが下手で、優しくて……。たぶん、私よりずっと不器用です」
「……そうかもな」
朔は認めるように呟く。
「でも、それならお前だって同じだろ」
「え?」
「ホストに本気になるような顔、するなよ」
そう言って、そっと桃乃の頬を撫でる。
「……っ」
鼓動が跳ねるのがわかった。
「また嘘かどうか試す?」
「……っ、ずるい」
「何が?」
「そういうの、ずるいです」
「どれが?」
朔は小さく笑う。
「全部……」
そっと視線を逸らす桃乃の頬は、ほんのり赤く染まっていた。
「……んー、ずるいか」
朔は少し考えるふりをしてから、ゆっくりと抱きしめる。
「じゃあ、どうすればいい?」
「……」
黙ったまま、桃乃は朔の胸元にそっと顔を埋める。
「……このままで、いいです」
その言葉に、朔の腕が少しだけ強くなる。
「……お前、ほんと変わってんな」
「そうですか?」
「普通の子なら、もう少し怖がる」
「……怖くないです」
朔は、小さく息をつく。
「……俺がホストじゃなかったら、どうする?」
「……え?」
「もし、俺がホストじゃなかったら。もっと、信用できた?」
「……たぶん、はい」
正直に答える桃乃を見て、朔は少しだけ苦笑する。
「……そっか」
「でも」
桃乃はそっと顔を上げた。
「墨さんがホストじゃなくても、私はきっと、こうなってました」
その言葉に、朔は思わず目を細める。
「……お前さ」
「はい?」
「ほんと、危ない」
「え?」
「ホスト相手にそんな顔してたら、簡単に落とされるぞ」
そう言って、またキスを落とす。
今度は、少し長く。
「……ん」
唇が離れると、桃乃は小さく息をついた。
「……これは?」
「試した」
「何を……?」
「お前が、俺の嘘を見抜けるかどうか」
「……っ」
桃乃の目が揺れる。
朔はゆっくりと微笑む。
「で、どうだった?」
「……わかんない」
「だろ?」
そう言って、またそっと抱きしめる。
「……しばらく、このままでいい?」
「……はい」
——朔の腕の中で、桃乃は静かに目を閉じた。
彼の体温がじんわりと伝わってくる。
「……桃乃」
低く名前を呼ばれるだけで、心臓が跳ねる。
「はい……」
朔は少し体を離し、桃乃の頬をそっと撫でた。
「……まだ、嘘だと思う?」
その問いに、桃乃は息を呑む。
「……わかんないです」
それしか言えなかった。
本当は、朔の言葉がどこまで本気なのか、ちゃんと知りたかった。
けれど——。
「……それなら、もう少しだけ試してみるか?」
囁かれた瞬間、桃乃は朔にゆっくりと押し倒されていた。
「……っ」
「怖くない?」
見下ろす朔の瞳は、どこか試すような色を帯びていた。
「……怖く、ないです」
震えそうな声で答えると、朔は小さく笑う。
「……ほんと、危ないやつ」
指先がそっと髪を梳く。
それだけで体が熱を持つ気がした。
「……俺が、ホストだってわかってるよな?」
「……はい」
「それでも?」
「……っ、わかんない、です」
「……そっか」
囁く声が、すぐ近くに落ちる。
そして——また、そっと唇を重ねられた。
さっきよりも、ずっと深く。
「……ん」
呼吸が奪われて、思わず朔のシャツをぎゅっと掴む。
その仕草が余計に彼を煽るように、ゆっくりと唇を啄まれる。
「……ほんと、お前みたいな子がいるから、ホストってやめられないんだよ」
掠れた声が、耳元に触れた。
「……それって」
「うん?それって?」
朔は薄く微笑みながら、またキスを落とす。
「……わかんない、です……」
もう、自分が何を答えたらいいのかも、よくわからなくなっていた。
「……なら、まだ試してみるか」
そう言って、彼はまたそっと、唇を寄せ——
ピピピピピピピピ、ピピピピ
流石に疲れているのか。
朔は音なる方へ手をかける。
スマホを確認すると指名客からの連絡が何十件か溜まっていた。
寝起きから甘い言葉を業務的に送信し、朔はふうっとため息をついた。
