——地方のとある温泉街。

 「……で、なんでこうなった?」

 朔は腕を組み、目の前の状況を睨んでいた。

 “和室・布団二組・男女二人”

 完全にラブコメの舞台が整った状態である。

 「え、えーっと……」

 桃乃は気まずそうに笑いながら、部屋の隅で正座していた。

 ——話は数時間前に遡る。

 とある事情で温泉街に訪れていた桃乃と朔。

 ところが、宿の予約がダブルブッキングしていたらしく……

 「申し訳ありません、お二人には相部屋でご案内させていただきます!」

 「ええぇぇぇぇ!?!?」

 大声を上げる桃乃と、無言で眉間に皺を寄せる朔。

 抗議しようにも、どこも満室。

 仕方なく、二人で一部屋を使うことになったのだった。

 ——そして現在。

 「……まぁ、寝るときは襖閉めれば問題ないか」

 「そ、そうですよね! 男女だし、ちゃんと区切りを——」

 「温泉は?」

 「え?」

 「お前、せっかく来たんだから温泉入りたいんだろ?」

 「あ……た、たしかに……」

 桃乃はふと壁に貼られた「大浴場のご案内」を見つめた。

 たっぷりと湯気が立ち込めた大浴場の写真。

 ——いいなぁ、せっかくだし、入りたいなぁ……

 でも、ふと朔の方を見た瞬間、ある疑問が湧いた。

 「……墨さん、温泉って大丈夫なんですか?」

 「ん?」

 「タトゥー……結構入ってますよね?」

 「ああ」

 朔は何の気なしに、自分の腕のタトゥーを眺める。

 「まぁ、基本的にダメなとこが多いな」

 「え、じゃあ入れないんですか?」

 「……いや、宿の人に聞いたら“タオルで隠せばOK”らしい」

 「え、そんな緩いんだ……」

 「ただ、“できるだけ目立たないようにお願いします”って言われた」

 「えぇ〜……」

 「まぁ、隠せば問題ないってことだろ」

 「……タトゥー、ちょっと大変ですね」

 「まぁな」

 朔は肩をすくめると、片手で浴衣の袖をまくった。

 腕に刻まれた模様が、ちらりと見える。

 「別に気にしねぇけどな。今さらどうこう言われるもんじゃねぇし」

 「……そういうもん?」

 「お前もそんなに気にするな」

 「んー、でも……“温泉入るためだけにシールで隠す”みたいなの、ちょっと面白いですね」

 「……俺が必死でタトゥー隠して温泉入る姿、そんなに笑えるか?」

 「うん、なんか可愛い」

 「可愛くねぇよ」

 「墨さんがコソコソと湯船に入ってるの想像したら、ちょっとツボる……」

 「……もうお前一人で入ってこい」

 「ええぇぇ!?」

 結局、桃乃は大浴場へ、朔は部屋風呂へ。

 ——とはいえ、朔がコソコソと温泉に入る姿を想像して、桃乃はずっと笑っていたのだった。