鏡映しのマリアージュ

雫(う〜ん、やっぱり暑い。日差しが痛い)

その中腹で、青いビブスを身に纏い階下に立つ凪から声がかけられる。

凪「しずく!女子は次も休憩?」
雫「う、うん。男子のハンドは今から決勝だよね」
凪「そー。なんかうちのクラス奇跡的に勝ち残っちゃったから」
雫「応援してるね」

少しぎこちなく微笑む雫に、凪は「なら」と丁寧に畳んでいたジャージを広げ、そっと雫の肩にかける。雫は驚きのあまり、一瞬時が止まったかのように固まる。

凪「今日一段と太陽元気だから、日除けに。あっ。朝から1回も着てないから汗とかは大丈夫だと」
雫「そっそこは全然!」

いつも通り特に何も意に介していないような涼しげな表情の凪は、集合の笛の音とともにコートに踵を返す。

雫(どうして……)

その背中を見つめながら、雫は微風にはためく上着の袖を右手でぎゅっと握る。

雫(どうしてそんなに優しいの?)

5組側のコートの近くの地面に腰を下ろした雫は、始まった試合を眺めながら膝を両腕で抱え込む。

雫(何かを言う前に先回りした優しさを、凪くんはいつも当たり前のようにくれる。でもそれは、私だけにじゃなくて皆に平等で。そんなところを幼馴染として昔から傍で見てきて……ずっとずっと尊敬してる)

コート上では、激しい攻防が繰り広げられている。

雫(『幼馴染』『尊敬してる』……本当にそれだけ?じゃあ、このどうしようもない胸の高鳴りは?大勢の中でたった1人しか捕らえてくれないこの瞳に映るものは?)

5組クラスメイト「あと1分っ」
5組クラスメイト「ゴール決めろ!まだ逆転あるぞ!!」

その時、コートから「凪!」と声が上がる。と、共に今までサポートに回っていた凪が敵の合間を掻い潜って前線に躍り出る。真っ直ぐ前を見据える真剣な眼差しに、雫の脳裏をふと昨夜の蕾や先程の小梅の言葉が掠める。

雫(もう……一旦全部、忘れよう)

少し荒めのパスを華麗に受け取った凪は、ゴールラインでグッと踏み切り、高く跳び上がる。

雫(建前も言い訳も重いよ。苦しいよ。私の心はその重圧に耐えられるほど強くない。だから、要らないものは全部ここでさよなら。私は、私は――)

5組男子「いけーっ!凪っ!!」

仲間の声援に応えるかのように、爽やかな凪の表情にいつになく力が込められる。緊迫した状況に、雫は思わず前のめりに立ち上がる。重いしがらみから解放されたのを象徴し、身体は軽やかに地面から離れる。

雫(誰かのために一生懸命になれる、そんな凪くんのことが、ずっとずっと)

精密に投げられたボールは直線の軌道を描き、サッと音を立てながらネットに刺さる。

雫「好き……」

試合終了のホイッスルが鳴り響き、歓声の渦巻く中、雫は1人小さく唇を震わせる。強く吹きつけた風が髪の毛をふわりと揺らす。

雫(――これが、建前も言い訳も余分なものを全部削ぎ落とした、私の心の奥底に眠っていた真の答え)

コートの中心でクラスメイトに囲まれている凪は、いつものように穏やかな笑みを浮かべている。

雫(でも一体どうしてこんなに単純明快な答えを出すのを渋ってたのか)

凪の笑顔に見惚れる雫。その時、ふと凪が雫が立つ方向に視線を向ける。

雫「凪く、」

雫は紡ぎかけた言葉を途絶えさせ、振りかけた右手を胸元で力なく萎れさせる。

雫(あぁそっか……)

はっと息を呑んだ雫の一段と潤んだ瞳には、凪の横顔が映っている。凪は雫ではなく、そのやや左にずれた場所に顔を向けている。

雫(きっと私は怖かったんだ、ずっと。自分の想いを自覚してしまえば、否応なしに気付いてしまうから。みんなに優しい彼の眼差しが一際色づく、その先にあるものに――)

凪「つぼみーっ!!」

凪が満面の笑みでピースサインを向ける先には、つられて吹き出す蕾の姿が。

雫(こうして、私の記念すべき初恋は、史上最難解な失恋と共に幕を開けたのでした)