身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる

「レオン様っ」

 良く晴れた昼下がり、カタリナたちが庭先で洗濯物を干していると、玄関からレオンが出てくる。

「アスターシャ、そろそろ行けるか?」

 レオンと散歩の約束をしていたのだ。

「もう少し待って下さい。もうすぐ終わりますから」
「奥様、後は私がやりますから。公爵様とお散歩に行ってください」
「でも」
「洗濯物を干すのは誰でもできますが、公爵様と散歩に出かけるのは奥様にしかできないことですよ」

 カタリナは、レオンとデボラとを見比べる。

「それじゃあ、お願いします」
「お任せください。楽しんできてくださいねっ」

 デボラはにこにこ微笑みながら、カタリナたちを見送ってくれる。
 レオンは左腕を差し出してくる。
 カタリナは腕に手を置くと、肩を並べて歩き始める。

「今日は暑いな」
「少しずつ夏が近づいているんですね。このあたりの夏はどうですか?」
「王都よりはだいぶ過ごしやすい。気温は王都とは大して変わらないが、風が涼しいんだ」

 散歩は屋敷の周りをぐるりと回る簡単なもの。
 デボラから言わせると、外に出るようになっただけでも大きな進歩のよう。

「今日の空はどうだ?」
「真っ青な空が広がって、雲一つありません」
「そうか」

 と、鳥の声が聞こえる。

「スズメか?」
「今のはヒヨドリです」
「よく分からないな」

 レオンは眉を顰めてぼやく。

「ふふ」
「笑うな。ったく、仕方ないだろ。これまで鳥なんて気にしたことがなかったんだ」

 レオンがばつが悪そうにぼやく。
 カタリナが鳥の名前や鳴き声はそれぞれ違うことを教えたのだ。
 レオンは本気で、鳥はどれもこれも同じように鳴くと思っていて、これにはカタリナが驚いてしまった。

(可愛い人)

 騎士団長時代のことは知らないけれど、カタリナは今のレオンがお茶目な人のように思えた。

「馬鹿にした訳ではないんです。ただ微笑ましいなって」
「……そんなことを言われても嬉しくないぞ」

 吹き付ける風に目を細める。

「本当にとても素敵なところですよね」

 遠くには雄大な山々が連なり、そして丘の裾野には小さな村と、田園風景が広がる。
 気候は温暖で、鮮やかな緑が麗しい。

「ああ、だから俺はここが好きなんだ」

 レオンの口調は自慢げだった。

「子どもの頃から避暑のためにここに来て帰る頃には、駄々をこねて両親をよく困らせた。ここにはいい思い出しかないんだ。普段は怖い両親も、ここに来ると自然と穏やかになってな。普段は子どものことなどほとんど気にしない父も剣の稽古や、馬の乗り方を教えてくれて……」

 レオンはしみじみと、記憶の中にある両親を思い出すように呟く。
 レオンは、先代の公爵を戦いで、そして、公爵夫人を病で亡くしている。

「お前の両親はどうだ?」

 アスターシャとして話したほうがいいのだろうかと考えてから、叔父夫婦のことなど考えたくないと両親の話をすることにした。

「父は王都出身でしたが、母は北部だそうです」
「だそうです?」
「王都からはだいぶ離れているので行くことはできなかったんです。でも母からは北部のことをたくさん聞かせてくれました。山くらい大きな氷の塊があったり、冬には川まで凍り付くこと、それから北部の名産である織物、それから七色の夜空……」
「七色? 夜空は黒ではないのか?」
「ですよね。初めてその話を聞いた時、私も同じことを思いました。でも母によると、時々ですが、北部の空には七色をしたシルクのように柔らかな帯が出現するんだそうです」
「帯……。幻ではなく、か?」
「はい。七色のきらめきが、夜空にふっと現れて……。それを北部の人たちは神々がこっそり、人の生活を盗み見ているんだと噂していたそうです」
「面白いことを考えるものだな」
「本当ですよね。だから、いつかは北部へ行けたらなって思うんです。母が自慢にしていた北部をこの目でみたいと」
「……すまない」

 不意の謝罪に、カタリナはきょとんとしてしまう。

「突然どうしたんですか」
「俺がこんな目でなかったら北部へ連れていけるのに」
「い、いえ! そういうつもりで言ったんじゃありませんから! それに、行きたいなって思ってもそんな切実に思っている訳ではなくって、あくまでちょっとした好奇心からで! ですので、レオン様が気にされることは……」
「分かったから、そんな必死に弁明しなくていい」

 レオンが不意に頭を、優しく撫でてくる。

「!」

 頬が燃えるように熱を持つ。
 親から頭を撫でられた時とはまた違う気持ちになり、鼓動が早くなってしまう。

「……はい」

 ぽつりと呟く。

「どうかしたか?」
「いいえ。さあ、い、行きましょうっ」
「? ああ」