自分の部屋に帰ってから。
私は、薄っぺらい毛布にくるまって、ワンピースの下から本を取り出した。
そのときの私は、まだその本の意味するところを理解していなかった。
その本は、アメリア教という、このルティス帝国で長らく信仰されてきた宗教の経典だった。
だけど当時の私はまだ、これがアメリア教の経典なのだということを、まだ知らなかった。
それを知ったのは、本の最初のページを捲って、そこに書かれている文章を読んでからのことだ。
勿論、アメリア教の存在は知っていた。
そんな宗教が、この国に存在するのだということくらいは。
でも当時の私は、アメリア教の名前と、それが宗教であるということ以外、何の知識も持っていなかった。
アメリア教の神が何者なのか、祈りの言葉が何なのか、それすらも。
聖典を読んで、初めて知った。
私はその日、神の御言葉に触れた。
まるで、目が開くようだった。
それまでずっと、汚い、貧しい世界しか知らなかった私にとって、その聖典の中は、心のオアシスのようだった。
私の求める全てが、そこに書かれていた。
私は、神の愛に触れた。
私の生きる道は、これだと思った。
その日から私は、神の敬虔なる信徒になった。
それまでの私はいつも、他の子にいじめられたりからかわれたりする度に、めそめそと泣いている子だった。
何で私だけ、何で私はこうなんだろう、と自分を責めていた。
でも、それはもうやめた。
神の愛は誰にでも平等だ。
私はいつでも、神に守られている。
誰も味方なんていないと思っていた。でも、神はいつも私の傍に寄り添って、私を見守っていらっしゃる。
ならば、何を恐れることがあるだろう。
私をいじめる彼らは、神の愛を知らない。神の教えを知らないのだ。
知らないから、平等であるべき他者を、平気で傷つける。
ならば、私は彼らを憎むのではなく、憐れむべきなのだ。
可哀想に、あの人達は、神が与えてくださる愛に気づいていない。
だから、私は彼らの代わりに祈った。
どうか私を傷つける人々が、いつか神の愛に気づき、己の過ちを悔いるときが来ますように、と。
私は神の愛を知り、生まれ変わった。
自分の生きる道を知った。
神の為に、この命を使おうと決意したのである。
私は、薄っぺらい毛布にくるまって、ワンピースの下から本を取り出した。
そのときの私は、まだその本の意味するところを理解していなかった。
その本は、アメリア教という、このルティス帝国で長らく信仰されてきた宗教の経典だった。
だけど当時の私はまだ、これがアメリア教の経典なのだということを、まだ知らなかった。
それを知ったのは、本の最初のページを捲って、そこに書かれている文章を読んでからのことだ。
勿論、アメリア教の存在は知っていた。
そんな宗教が、この国に存在するのだということくらいは。
でも当時の私は、アメリア教の名前と、それが宗教であるということ以外、何の知識も持っていなかった。
アメリア教の神が何者なのか、祈りの言葉が何なのか、それすらも。
聖典を読んで、初めて知った。
私はその日、神の御言葉に触れた。
まるで、目が開くようだった。
それまでずっと、汚い、貧しい世界しか知らなかった私にとって、その聖典の中は、心のオアシスのようだった。
私の求める全てが、そこに書かれていた。
私は、神の愛に触れた。
私の生きる道は、これだと思った。
その日から私は、神の敬虔なる信徒になった。
それまでの私はいつも、他の子にいじめられたりからかわれたりする度に、めそめそと泣いている子だった。
何で私だけ、何で私はこうなんだろう、と自分を責めていた。
でも、それはもうやめた。
神の愛は誰にでも平等だ。
私はいつでも、神に守られている。
誰も味方なんていないと思っていた。でも、神はいつも私の傍に寄り添って、私を見守っていらっしゃる。
ならば、何を恐れることがあるだろう。
私をいじめる彼らは、神の愛を知らない。神の教えを知らないのだ。
知らないから、平等であるべき他者を、平気で傷つける。
ならば、私は彼らを憎むのではなく、憐れむべきなのだ。
可哀想に、あの人達は、神が与えてくださる愛に気づいていない。
だから、私は彼らの代わりに祈った。
どうか私を傷つける人々が、いつか神の愛に気づき、己の過ちを悔いるときが来ますように、と。
私は神の愛を知り、生まれ変わった。
自分の生きる道を知った。
神の為に、この命を使おうと決意したのである。


