ノスタルジー・マジック

 あの人が行ってしまう!

 追いかけて、追いかけて、あの人はせまくて薄暗い建物の一室に入っていった。

 あんまり近くから見張っていたら、見つかってしまう。ここは、道路をはさんだ向かいのビルの自転車置き場に身を潜めて、あの人が出てくるのをじっと待つんだ。



 わたしは中学二年生。スマホはまだない。

 このご時世、中学生にもなって、まだスマホを買い与えられていないなんて、うちの親は正気の沙汰じゃないと思う。

 おかげで友達とのやり取りには当然ついていけないし、そもそも連絡も取れないから、がぜん仲間外れにされがち。ラインもSNSも無理だから、回覧板でも回してよって冗談言おうもんなら、見事にシラーッとなって、スルーっとされる。残念ながら現代に取り残されている、かわいそうなやつだ。

 だから、こうやってあの人を尾行しているときも、スマホという便利なアイテムは持っていないけど、代わりにこれを持っている、“写るんです”。正確には使い捨てカメラというらしい。当時、色んなメーカーから使い捨てカメラは発売されていて、外出時、急に写真を撮りたくなったら、スーパーやコンビニなど、どこにでも売っているこれを買って、写真撮影を嗜んでいたらしい。案外、昔の人は、気軽に写真を撮っていたということだ。

 そんなある意味、歴史的産物である使い捨てカメラを、どうして令和の時代の中学生が持参しているのかという謎はいったん置いておこう。

 あっ、出てきた! あの人が謎の建物の一室から出てきた。周りは、特になんてことはない汚らしいアパートや、さびれた個人の店が軒を連ねているだけの活気ない舗道。こんな辺鄙なところに、あの人はいったい何の用があるっていうのか。

 とにかく、あの人が建物から出てきたところを、十数メートル離れた先から狙いを定めて、使い捨てカメラのシャッターをカシャッ、カシャッと二枚ほどきった。デジタルじゃないから、今どんな風に撮れているのか確認はできないし、もちろん失敗していたからといって撮り直しもできない。でも、カメラの天面に表示されるカウンターの残枚数が減っているので、なにかしら撮れていることは間違いない。

 あの人はわたしに見られていることも、ましてや写真を撮られていることも知らないまま、建物の前にとめていた自転車に跨って、さーっとどこかへ行ってしまった。

 いつもだったらこっそり後をつけていても、あの人の自転車通学のせいで、一瞬にしてまかれてしまうのだけど、でも今日はちがう! 今このとき隠れ潜んでいる自転車置き場には、実はわたしの自由になる自転車がひっそりと一台紛れ込んでいるのだ。

 今日こそはこの自転車に乗って、あの人の後をじっくり全力で追いかけて、追い詰めて、捕まえて、あふれんばかりのこの気持ちを告白してやる!