「どうして昼休みに、あたしがあの場所にいるってわかったんです?」
その日の帰り道。
あたしは思い切って、翔先輩に聞く。
「なかなか朝井さんが来ないから、探してたんだよ。すばるは『別に良いだろ』って言ってたんだけど、どうしても気になって」
こちらを見ずに答える翔先輩。
「でも、おかげで朝井さんを助け出せた。あそこでオレが入らなかったら、朝井さんあの女子たちを……」
「そんなことはしないですよ。あたしのこと何だと思ってるんですか」
と、言い返したあたしの声は小さい。
正直あのとき、女子先輩たちに手を上げないでいられる自信は無かった。
そういう意味でも、翔先輩には感謝、しなきゃ。
「でも……ありがとうございます、翔先輩」
「ん?」
「その、助けてくれて……」
ダメだ。
もっと声を張り上げないといけないのに、その意に反してあたしの声は大きくならない。
『ちゃんと感謝し、ちゃんと謝罪し、ちゃんと反省できるようになりなさい』
父さんの教えを、頭の中で繰り返す。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます……
ポン
「って、翔先輩!?」
思わず、感謝ではなく驚きの声が出る。
あたしの頭をそっとなでる、翔先輩の右手。
「気にしないで。総長が自分の付き人を助けるのは、当たり前だろう?」
そこで、翔先輩と目が合った。
学校の女子たちを夢中にさせる、にっこり笑顔。
そんな顔をされたら、出そうと思った声も出なくなってしまう。
それに翔先輩の言ってることは、そんな簡単じゃない。
翔先輩の言う当たり前……あたしを助けるために、手が震えるほどの恐怖に打ち勝って、女子先輩たちの前に立ちふさがった翔先輩。
そのメンタルは、もう間違いなく総長だ。
――だからこそ、あたしは翔先輩に協力したいんだ。
翔先輩が、総長であってほしい。
「わかりました。そしたら、あたしがもっとピンチになっても助けられるようになってください」
周りに誰もいないのを確認して、あたしは自転車にまたがる。
「さあ、走りますよ! もうすぐゴールデンウィークだから、たくさん特訓できますね!」
「朝井さん、急にそんな元気になって……」
***
次の日は土曜日。紅陽学園では、土曜日は午前授業だ。
そして明日から連休スタート。
「というわけで、今日は昼からみっちり特訓しましょう。まずはいつも通り、腹筋から!」
下校後、一旦帰宅してそれぞれお昼を食べてから、いつもの公園にあたしと翔先輩は集まる。
一度家に帰ったことで翔先輩が来なくなるんじゃないかという心配も、ほんのちょっとはあったがすぐ消えた。
真剣に総長であろうとする翔先輩が、自ら申し出た特訓をサボるはずがない。
「あと5回! ……………………あと4回!」
そのかいあってか、わずかではあるけど特訓の成果は出てきている。
相変わらず腹筋に時間はかかるが、弱音を吐かず取り組むようになった。
腕立て伏せもスクワットも、途中で休んだりせずできるようになった。
翔先輩の身体は、確実に強くなっている。
なんだか、自分のことのように嬉しい。
「はあ、はあ……ちょっと、水飲んでくるね」
とはいえ一通り終わったあとは、まだかなり疲れる様子。
遊んでいる小学生たちに混じって、気の抜けた顔で蛇口から水を飲み、ベンチに座り込む。
うん。
これだけ頑張ってる人間を、騙すなんてできるわけがない。
あのとき、女子先輩たちに対して怒ったあたしの感情は正解だ。
座っている翔先輩の顔は、汗の反射でキラキラと輝いている。
色素の薄い肌が際立ち、このままCMにも使えそうな爽やかさ。
「……あれ、どうしたの朝井さん」
って、今あたし、翔先輩に見とれていた?
「いや、いや、なんでもないです。さあ、休憩終わりですよ!」
心臓の高鳴りを抑え、あたしは立ち上がった。
「今日からは、ケンカの実戦をやろうと思います」
「実戦?」
「力を付けても、何も考えずにその力を振り回してるだけでは意味がありません。逆に力がなくても、考えて戦えばより強い相手にも勝てるかもしれない」
昨日スマホで『格闘技 教え方』『対人格闘 コツ』とかで片っ端から調べた付け焼き刃知識だが、なんとかなるだろうか。
立ち上がり、目を輝かせている翔先輩の、期待に応えることはできるだろうか。
「翔先輩の場合、まずは相手の動きをよく見てよけること、チャンスがあれば一発入れることを目指しましょうか」
「よける?」
「そりゃそうですよ。翔先輩、何発も攻撃受けて立ってられる自信あります?」
「……」
わかりやすく肩を落とす翔先輩。
やっぱりかっこよく決めたい思いがあるってのは、うちの若い組員と同じだ。男はみんなそうなのかな。
「じゃあ、さっそく行きましょうか。あたしが色々攻撃するので、それらをよけてください」
あたしは少しずつ翔先輩に近づいていく。
間合いに入ったところで、まずはゆっくりと右ストレート。
……が、いきなり翔先輩の左肩にクリーンヒットしてしまった。
「あっ!」
当たったと気付いたときにはすでに遅し。
かなり力を加減したつもりだったが、翔先輩は勢いで倒れてしりもちをつく。
「ご、ごめんなさい。次はもう少し遅くします」
「いや、大丈夫だよ。朝井さんは謝らないで」
左肩を気にしながら立ち上がる翔先輩。
でも、痛そうにしてる。もっと力を抜かないと。
「じゃあ、また行きます」
今度あたしは、利き腕じゃない左ストレートを伸ばす。
スピードもさっきよりさらに緩めた。
「おおう」
良かった、これは翔先輩もかわせた。
でもかなりギリギリだ。翔先輩のシャツがあたしの腕に触れてわずかにくすぐったい。
そして後ろに下がった翔先輩の脇腹めがけて、あたしはゆっくりと右ストレートを……
……打つ前に、翔先輩がふらついた。
あたしの左ストレートをかわしたときに、バランスが崩れたのだ。
そのまま翔先輩の身体は再びしりもちをつく。
「大丈夫です? すみません。次はもっと加減して……」
「いや、オレは平気だから」
あたしが右手を出すが、翔先輩はその手を取らずに立ち上がる。
そして服についた砂を落とし、深呼吸。
――翔先輩がやる気なら、あたしがやらないわけにはいかない。
「じゃあ、次行きますよ。今度は頑張ってよけてください」