午後の授業が終わり、下校時間。
 周りに笑顔を振りまきながら校門を出ていく翔先輩と、その横をひっそりとついていくあたし。


 しばらく歩いて、周りに他の生徒がいなくなったところで、あたしは自転車にまたがって声を上げる。
「翔先輩! ここから公園まで走りますよ! 嫌そうな顔しない!」
「嫌じゃないよ、けど朝井さん、休み無しでやらせるんだもの……」
「総長が弱音を吐いてどうするんですか!」


 学校にいる間は翔先輩があたしに色々指示してたけど、ここからはあたしが翔先輩に指示をする番。


 朝と同じぐらいの距離を走って小さな公園まで向かい、ベンチの上で腹筋、腕立て伏せ、スクワット。本音を言えば50回ぐらいやらせたいけど、とりあえず10回ずつ。



「はあ、はあ……朝井さん、鬼だよ……」
 それが終わると、ベンチにはすっかり気の抜けた翔先輩が座っている。
 総長としての威厳は、かけらも感じられない。


「これぐらいはできないとダメですよ。ケンカに強くなるのもまずは体力から。大事なときに立っていられなきゃ意味ないんです」
「そうか……朝井さんが言うなら、そうなんだろうな……」
 でも、これが翔先輩の偉いところだ。


 特訓で辛い顔をしても、あたしのことを否定はしない。
 休憩は求めるけど、やめたいとは言わない。


 頑張ろうとはしている。
 初めて会ったあたしに覚悟を見せた日から、それは変わっていない。



 だから、あたしもつい付き合ってしまうのだ。



 いや、それはそうと。


「ところで翔先輩、あたしの耳元でささやくの、あれ何なんですか」
 今日はコーラを持ってきたときに。
 昨日は購買のパンを持ってきたときに。
 毎日なにかしらのタイミングで、翔先輩はあたしのことを名前呼びして甘い言葉を言ってくる。


 数日続くと、言われそうなときはもうわかってくるのだが、それでも翔先輩ほどのイケメンに間近で言われると思わず固まってしまう。恥ずかしくなり、顔が熱くなってしまう。


 しかもそういうことをするのはあたしにだけだ。



「何って……何回も言ってるじゃないか、あれは総長としてかっこよくあるためだって」
「ですけど……」


 言われる側の気持ちも考えてほしい。
 あんなことをされて普通にしていられる女子がいるわけないのだ。
 それでもあたしは平静を保っていられてる方だと思う。響子ちゃんとかだったら嬉しすぎて気絶してそう。


「星川先輩だって、不満がありそうな顔してましたよ。それに、そう、むやみに言い過ぎるのは逆効果ですよ。安っぽく見えます」


 どんなことでも、メリハリというのが重要だ。
 というか、表向きあたしは使いっ走りなんだから、いちいちありがとうとか言わなくても良いのに。



「そうか……でも、朝井さんに感謝しているのは本当なんだけどなあ」


 うなだれている翔先輩が顔を上げる。
 まだ肩で息をしているようにしか見えないのに、その顔は学校で見せるキリッとした総長の顔だ。


「朝井さんは、力の無い本当のオレを見てもショックを受けなかった。それどころか、オレの願いを聞いてくれた」


 それは、こっちも本当のあたしを翔先輩にさらしてしまい混乱していたから、秘密を守るには仕方なかったから……と言いかけて、あたしの動かした口が止まる。



 翔先輩が右手を震わせながら、人差し指をあたしの顔の前に立てたから。


「わかってる。朝井さんにも事情があるんだってこと。でも、それとこれとは、話が別。オレは朝井さんを頼りにできると思って、こうしてお願いしているんだ」



 あたしが、頼りにされている?



「それは……付き人として、です? 特訓相手として、です?」
「両方」


 翔先輩は震えたままの両手を、あたしの肩に置く。
 全くもって力を、重さを感じない。


 けど、熱は感じる。



「だから……鈴菜、これからもよろしく」



 まっすぐな目で見つめられて、あたしは次の訓練メニューが、すっかり飛んでしまった。



 ――って、そういう言動を止めてほしいんですよ翔先輩!




 ***





 そんな特訓の日々が続いて、およそ1週間が経った。
 明日からゴールデンウィーク突入、という金曜日。


「あ、鈴菜ちゃん」
 朝の翔先輩のランニングに付き合い、その後教室で女子たちに囲まれるのにもだいぶ慣れてきたが、この日は質問攻めが終わったあとに、こっそりと響子ちゃんが近づいてきた。


「昼休みに翔先輩のところへ行くなら、その前に屋上へ続く階段のところに行ってくれないかな」
「どういうこと?」
「わたしも良く知らないんだけど、お姉ちゃんの友達が鈴菜ちゃんに用があるみたい」


 つまり、3年の先輩方ということか。


 ……ちょっと嫌な予感がするが、断るのも不自然だ。



『翔先輩、今日ちょっとそっちに行くの遅れます』
 そうメッセージを残して、昼休みに教室を出る。


 屋上へ続く階段は、校舎の一番端。
 そもそも屋上自体、普段鍵がかかっていて自由に出入りできないので、生徒が来る用事は無い。


「だから、秘密の話がしたいときはみんなあそこを使うんだ。それこそ告白とか」
 響子ちゃんはわくわく声で言っていたが、多分そんな明るい話題じゃないだろう。


 翔先輩も3年生。あたしが3年生から呼ばれるとしたら、絶対に翔先輩絡みだ。