その後、翔先輩とメッセージアプリの連絡先を交換して、あたしたちは別れた。
かっこいい朝井さん。
その言葉が、自転車をこぐあたしの中から離れない。
かっこいいのは翔先輩の方だ。
見た目だけではない。もちろん、ドキッとするぐらいのイケメンなのは事実だけど。
修先輩に代わり、自分が総長として立ち続けることを決め、そのためにあたしへ協力をお願いする覚悟。
総長・翔は強い、という周りからの期待に応える決意。
翔先輩の身体の弱さの程度はわからないけど、その決心がちゃんとしたものであるのは間違いない。
本気の翔先輩の顔、見開いたキリっとした目が何よりの証拠だ。
あの顔ができる翔先輩は、最高にかっこいい。
普段男ばかりの中で暮らしてるあたしだから、わかる。
……そんな翔先輩が、あたしのことをかっこいい……とは?
キキーッ!
「おっと、すいません鈴菜さん。今お帰りですか」
しまった。また反応が遅れてしまった。
右の細い道から出てきた父さんの部下が、あたしに声をかけてくる。
「そうです。というか、勝手口から出入りするのやめてくださいって言ったじゃないですか。また目立っちゃいますよ」
「すいません。便利なもので、つい」
全くもう。
あたしが登下校に使うとき以外は、勝手口の存在自体を消してしまいたいぐらいなのに。
「では、失礼します」
入れ違いにあたしは細い道に入り、その途中にある勝手口から中へ。
庭の中を、自転車を押して屋敷まで歩く。
白い塗り壁の塀と、大きな松が生えている庭に囲まれた、和風のお屋敷。
こんな家に出入りするあたしを、学校の他の人に見られてはいけない。
もしこの家のことを知ってる人がいたら。そうでなくても、見た目から想像はつくかもしれない。
「鈴菜さん、お勤めご苦労さまでした」
屋敷の裏口のところに自転車を止めると、後ろから聞き馴染みのある声。
この人は父さんに命じられ、あたしの面倒をずっと見てくれている人だ。
「だからその言い方止めてくださいよ。学校は事務所じゃないんですから」
「いえいえ。中学生の鈴菜さんにとっては、学校が立派なお勤めの場所。我々にとっての事務所と同じです」
「違います! 皆さんと一緒にしないでください。紅陽学園はヤクザなんかとは無縁の場所なんです」
あたしは屋敷の中に入りバタンと扉を閉める。
相変わらず過保護な人だ。
あたしももう中学生。庭で出迎えなんていらないってずっと言ってるのに。
そのうち、こっそり学校を覗きにきたりとかしないよね?
そんな最悪の想像をして、あたしは思わず身震いする。
しょっちゅう顔に傷を付けまくる、30代の男がもし学校で見つかったら。
「組長の娘を守るのは世話係として当然のお勤めです」
とか言い出したら、本当にあたしのかわいい女子を目指す学園生活は吹き飛ぶ。
朝井 鈴菜は、朝井組組長・朝井 草一の子ども、要はヤクザの家の一人娘――このことは中高6年間、絶対に隠し通さなければいけない最大の秘密だ。
***
「今日は疲れた……」
昨日みたいに、父さんと組の人たちの飲み会は開かれてないらしい。ゆうべ夜ふかしした分早く寝ないと。
そう思って布団を敷いて寝そべり、なんとなくスマホを手に取る。
『さっそく明日からボディーガードをお願いしたいのだけど、朝オレの家の前まで来てくれないかな?』
翔先輩からのメッセージが目に入って、あたしは固まった。
いや、翔先輩が本気なのはわかっていたけど。
だとしても翔先輩のとびきりの顔を思い出すと、画面越しでもなぜか緊張してくる。
『あの……ボディーガードって、具体的に何すれば良いんですか?』
なんとか返事を打ち込むと、すぐ翔先輩からメッセージが返ってくる。
『オレを守ってほしい。登下校のとき、校内にいるとき。できれば他で外出しているときもお願いしたいけど、朝井さんが良ければ』
守る、か。
悪い人たちを追い払う、学校の用心棒みたいなものだと『紅桜』を説明した響子ちゃん。
その『紅桜』の総長になっている翔先輩は、本来ならみんなを守る側の立場だ。
「良いか。組長の仕事ってのはなあ、お前ら組の皆を守ることなんだ」
いつだったか、父さんが組の人たちに言っていた言葉。それは『紅桜』だって同じのはず。
ということは、翔先輩のボディーガードっていうのは、要は父さんを守るのと同じ……って、あれ?
ちょっと待って、それってあたしの立場は、一体何になるの?
「あの、あたしって、翔先輩のボディーガード、なんですよね?」
翌朝、指定されたアパートの前であたしは翔先輩に訪ねた。
指定された場所……翔先輩の家は、あたしの家から自転車を数分こいだ場所にある2階建ての小さなアパート。
紅陽学園からはギリギリ歩いても行ける距離だけど、翔先輩は今まで路線バスで登下校してたらしい。
「うん、そうだよ。今日からよろしく」
アパートの外階段から降りてきた翔先輩は、朝日を浴びてキラキラしていた。
昨日傷だらけだった制服はアイロンを掛けたのか、すっかり真っ直ぐになっている。
唯一、昨日出血していた右のほほにばんそうこうが貼ってあるけど、それもかすむぐらいに白い肌が光の反射で輝いている。
これじゃああたしはボディーガードというより、VIPを守るSPの気分だ。
でも、である。
昨日までいなかったSPがいたら、怪しまれるに決まっている。
「それなんですけど、翔先輩はあたしのこと、なんて他の人に説明するんですか? まさかボディーガードって本当に言わないですよね?」
「ふむ、そういえばそうだな」
考えてなかったんかい。
翔先輩は右手を顔に当てて考え込む。
ひとつひとつの動作が、まるで俳優のように決まっている。
「じゃあ、付き人っていうのはどうだい?」
「付き人?」
そんな言い方されたら、ますますあたしの父さん……組長の近くにいる人みたいだ。
「設定としては、不良高校生に絡まれていた朝井さんをオレが助けて、気に入ってこき使うことにした、みたいな」
何だそれ。実際と真逆じゃないか。
「やっぱり、総長には威厳がいるだろうからさ。朝井さんをあごで使ってるみたいな感じで、どうかな」
ええ……
いくら翔先輩がアイドルみたいなイケメンだからって、あごで使われて良い気はしない。
組の人が、組長である父さんを助けて身の回りの世話とかをするのは、数ヶ月、数年、人によってはそれ以上の期間一緒にいてそれなりの関係が出来上がってるからだ。
昨日初めて会った翔先輩とは、当然まだそんな関係ではないが……
「お願い! 朝井さんが嫌なら、その、無理にとは言わないから」
翔先輩は軽く頭を下げると、あたしの顔を真っ直ぐ見つめる。
――はあ。
ダメだ。
翔先輩の本気の目。
昨日も見せた、本気の男の目。
大事な仕事に出ていく前に、組の人たちがする目と同じ。
あたしの父さんは、例え言いたいことがあっても、この目を見ると口をつぐむ。
そして一言だけ、言うのだ。
「わかった」
「ありがとう朝井さん!」
翔先輩が、あたしの返事に答えて笑顔になる。
他人が見るだけで震え上がりそうなコワモテの組の人の顔と、他人が何度見もしそうなイケメンの翔先輩の顔。
全く違う顔だけど、その奥にある覚悟は同じ。
その顔で言われると、思わずあたしの心臓が鳴ってしまう。
そして、応えずにはいられない。
やってやる。
翔先輩の、付き人兼ボディーガード兼特訓相手。

