そう言った瞬間、翔先輩はビンタされた。
バチンという大きな音が、部屋の中に響く。
「はあ? 何ごまかしてるんだてめえ」
「お前、自分の状況わかってんのか」
右のほほが赤くなり、ぐったりした翔先輩にさらに不良たちが詰め寄る。
だけど、翔先輩は口を閉じない。
それどころか、ふらつきながらも立ち上がって、不良たちの前に立つ。
「でも、無いものは本当に無いさ。鈴菜は強いんだ」
「ふん。強いって言っても女だ。言われたくない言葉とかあるだろ」
「かもね。でも鈴菜はそれでやられるような子じゃない」
そこで、あたしは気付いた。
翔先輩の目が、いつの間にか覚悟のある目になっている。
「それに、鈴菜のことばかり気にしてるわけにもいかないだろう。もしオレが、助けをたくさん呼んでいるとしたら? さっさと目的を果たさないと、やられるのはそっちの方だ」
「うるせえ! 偉そうにすんな!」
「何もできねえくせによお!」
そこから、不良たちによる殴る蹴るが始まった。
完全にイライラした不良たちが、翔先輩を一方的に痛めつける。
翔先輩はかわそうとするが、よけきれずパンチやキックを食らって倒れ込む。
立ち上がった翔先輩に対しまた攻撃が飛んでくる。
その繰り返し。翔先輩からは全く攻撃ができておらず、不良たちにダメージはない。
でも、翔先輩が動かなくなることもない。倒れても、必ず立ち上がる。
「おい、話せよ! あの女のこと」
「わざわざ駆けつけたんだろ? 並の関係じゃねえよなあ?」
その間にも、不良たちは翔先輩を問い詰める。
けどそれに、翔先輩は答えない。
「くそっ……」
最初は大丈夫かと叫び続けていた星川先輩も、気づけば苦々しい顔をするだけになった。
もう言い逃れはできない。
翔先輩は全然強くなんかない。
きっと今の星川先輩は、絶望しているだろう。
信じていた総長に、だまされていたようなものだ。
拘束を解こうと必死になるのも忘れ、ただただ翔先輩の方を見つめている。
もし星川先輩から、このことが『紅桜』の他メンバーにバレたら。
そうなれば、いずれ学校全体に『翔先輩は全然強くない』というのが広まるだろう。
その時、翔先輩の学校生活は、無事じゃすまない。
あたしとの特訓も、続けていられるかどうか……
――ん?
特訓のことを考えたあたしは、翔先輩の動きに目が行った。
今パンチをかわした動き、あたしとの実戦形式の特訓でつかんだものじゃないか?
今のもだ。相手の右足を振り上げる動きで、キックが飛んでくることを見越してよけた。
そういえば、何十発も攻撃を受けて、何度も倒れているのに、翔先輩はまだまだ全然立っていられそうである。体力に余裕があるって感じ。
……うん、翔先輩は、まだクリーンヒットを受けていない。
よけきれなくても、しっかり回避して攻撃が急所に来るのを避けている。
それに、基礎体力もついている。特訓を始めたばかりの頃なら、とっくにひいひい言って倒れていた。
特訓の成果は、やはりある。
そして、必死によけ続けるということは、翔先輩は全く諦めていない。
その証拠に、翔先輩の目は、輝いている。
***
「はあ……」
「ったく、しつこいやつめ」
不良たちの、もう何回目かわからない攻撃を受けて、それでも翔先輩が立ち上がる。
やっぱり、不良たちの方もだいぶ疲れてきている。
「おいてめえ、そろそろ話したらどうだ。あの女とはどういう関係なんだ」
右手に金属バットを持った不良が、左手で翔先輩の首根っこをつかむ。
翔先輩はもうボロボロ。
あたしと初めて会った時みたいに、制服は汚れ、髪は乱れ、顔はあちこちにあざができている。
とても、総長の見た目ではない。
そんな翔先輩を前に、わざとゆっくり言葉を続ける不良。
「やられるのがわかっていてここへ来るんだから、さぞかし仲は良いんだろうなあ。……彼女か?」
彼女? それって、恋って意味で……
いやいや、何考えてんだ。あたしと翔先輩との関係はそういうことじゃない。
「彼女じゃない。オレなんかが、鈴菜とは釣り合わない」
そうそう……って、え?
あたし、今聞き間違えした?
翔先輩、その言い方だと先輩のほうが下だ、って言ってるように聞こえますが……?
「でも、オレはかっこいい鈴菜が好きだ。強い鈴菜が好きだ。オレのことを、顔すら見ずに、紅陽のカバンが見えたなんて理由で助けてくれたときから、鈴菜が好きだ」
――ええっ!?
待て待て。これは総長しぐさなんだ。
絶対そうだ。むしろそうじゃなかったら困る。
だって翔先輩を助けた時ってあたしとほとんど初対面みたいなものじゃないか。
そりゃあ翔先輩からしたら、助けてくれたあたしは恩人みたいなものなのかもだけど。
それでいきなり、好きとかなるわけない。
「ああっ、翔……」
星川先輩は、隣で身体を揺らしている。
というか、もうジタバタしているようにしか見えない。
翔先輩は、はっきり『助けてくれた』って言っちゃったし。
もうダメだ。全部バレた。
「だからオレは、鈴菜みたいにかっこよくなりたい」
翔先輩の視線は、さっきからずっとあたしにまっすぐ向けられている。
混乱しているはずの星川先輩や、周りを取り囲む不良たちなんて見えていないかのように。
そんなに見つめないでください。
さっきから、心臓がずっと鳴りっぱなしなんです。
「どこがだよ!」
「お前自分の状況わかってんのか?」
またパンチを受けて足がふらつく翔先輩。
でも、目はずっとあたしを捉えて離さない。
「良いんだよ。鈴菜がオレを守ったみたいに、今はオレが鈴菜を守れてる。そっちがオレを攻撃する間、鈴菜が攻撃されることはない。……まだこんな守り方しかできないのは、ちょっと不甲斐ないかもだけど」
そうですよ。
そもそも、『紅桜』の他のメンバーを連れてきて、ちゃんと準備してからここに突入すればよかったじゃないですか。どうしてそんなに焦って来たんですか。
あたしならそんな簡単にやられるわけないし、星川先輩だって副長なんですから、すぐやられるようなことはないでしょう。
――もしかして、そんなにあたしが心配だったんです?
「それに、なにより」
翔先輩の顔が、キリッと整う。
顔のあちこちが、殴られたあざで赤くなってるのに。
そして翔先輩は叫ぶ。
かつてないほど真剣な視線をあたしに向けながら。
やられてるとは思えないほど大きな声で。
「付き人も、好きな後輩も、生徒の一人も守れなくて、何が『紅桜』の総長だ!!!」
……ああ、そうだ。
翔先輩の、総長としてやっていく覚悟。
そこからにじみ出るかっこよさに、あたしは惹かれたんじゃないか。
あたしと特訓しているとはいえ、まだまだ自分が強くないことをわかっている。
それでもあたしのためにこうして乗り込んできて、自分がどれだけやられてもあたしには攻撃が及ばないようにする。
強いあたしをかっこいいと思い、それに近づくために。
自分の身体を張ってでも、あたしを守るために。
――こんなの、好きにならないわけないじゃないか。
「ありがとうございます、翔先輩」
そして、あたしは、好きな人の目標でないといけない。
強く、ないと。
――あたしの中のスイッチが、しっかりと入った。