「鈴菜ちゃんは?」
「あたし、今日は帰る」
「わかった。じゃあねー」


 授業が終わり、部活へ行く響子ちゃんに手を振って、あたしは自転車を押しながら校門を出る。


 電車通学する子が多いけど、うちからは自転車で通学できる範囲。
 家から近すぎず遠すぎずというのも、紅陽学園を選んだ理由の1つだ。


 のんびりとペダルをこぎながら、住宅街を抜けて繁華街へ入る。



 ……あれ。
 交差点の前に人だかりができている。
 よく見ると、救急車が止まっている。その周りにちょっとした人垣ができていて、自転車で通り抜けるのは厳しそう。


 この先上り坂だし、押して歩くのも面倒だ。
 あたしは手前の角を左に曲がって、ビルの隙間の細い道を進むことにする。
 自動車が1台通れるかどうかの幅の、昼でも薄暗い道。


 
 実際はこっちを通ったほうが帰るのには少し早いのだけど、進んで通りたい道ではない。


 思わずペダルをこぐ速さが上がる。



 ――速さが上がったせいで、気付いてから手が動くまで時間がかかった。



 キキーッ!
「ん?」
「誰だお前」


 急ブレーキ音に気付いた学ラン姿の男たちが手を止め、あたしに視線を集中させる。
 同時に、あたしから何かを隠すように移動する。


 でも、その一瞬であたしは見てしまった。
 人が倒れているのを。
 男たちが、その人を殴りつけようとしていたのを。


 おまけにあの学ラン、あまり治安が良くないことで知られている近所の高校のものだ。


 不良高校生の暴行現場……まずいところに遭遇してしまった。



「ああ、すいません。ちょっと近道しようとして」


「へえ……」
「おい、どうするよ」
「いや待て、こいつも紅陽だ。せっかくだし一緒にやっちまおうか」
 不穏な話をする不良たち3人。


 どうする?
 相手はバイクとかは持ってないようだ。全速力で自転車をこげば人目のある通りまでは逃げ切れる距離ではある。
 けど、目の前でやられている人がいる。
 その事実からなのか、足が動かない。



 って、あれ?
 不良たちの足の隙間から見えたのは、通学カバン。
 それも、今あたしが自転車のかごに乗せてるやつと同じ柄。


 ということは。
 あそこで倒れているのは、あたしと同じ紅陽の生徒。


「なあ、お前に恨みとかは無いけどさ」
「ちょっと俺らに付き合ってくれないか」
「ってかよく見るとそこそこ顔もいいじゃん。髪きれいだし」


 あたしの動きが止まってる間に、いつの間にか不良たちがすぐそこの距離にいる。



 あたしの目指すかわいい女子なら、真っ先に怖くなり逃げ出すのが普通だろう。
 でもあたしの身体はそれを拒む。
 自転車のハンドルを握る両腕がピクピクするのを必死に抑える。


 落ち着け、あたし。
 そうじゃないだろう。
 ここでのあたしの正解は、何とかして逃げようとすることなんだ。


 だけど。



「心配するなよ。俺ら、別に年下趣味とかないから。どっちかといえば大人のお姉さん派だから、さ」


 不良の1人が、あたしの黒いロングヘアに触れる。



 ――そこで、あたしの中のスイッチが入った。



「うちのシマで何しとんだてめえらあ!」
 あたしが叫びながらひざ蹴りをお見舞いすると、不意を突かれた不良が腹を抑えてうずくまる。


「お前何しやがる!」
 続いて向かってきた2人目の大振りな右ストレートをしゃがんでかわし、反動の勢いで右アッパーを叩き込む。的確にあごを打ち抜かれた2人目は、ビルの壁に身体を打ち付けてしまった。


「こ、こいつ!」
 不良3人目は金属バットを振り回しながら向かってくる。でもめちゃくちゃで動きも遅い、よけるのは簡単だ。ついでにスキだらけ。
 あたしは身体を滑り込ませ、バットを握る3人目の右腕をつかんで力を込める。
「うぐっ」
 3人目の顔が歪む。動きが止まった瞬間、あたしは右足を蹴り上げた。
「うわーっ」
 男の急所に入った蹴り。倒れ込んだ3人目は動く気配すらない。


 あたしはその3人目から金属バットを奪い取り、まだ立ち上がれない1人目に向ける。


「あたしだったからこれで済むんだ。お前らの仲間に、二度とこのあたりでは悪いことをしないように伝えろ」
「ひいっ!」
 不良はなんとか立ち上がりながら、まさしく逃げるように去っていった。残り2人を置いたまま。




 ***




 やっちゃったなあ……


 我に返って手を離すと、金属バットが地面に落ちてカラカラと音を立てる。
 振り向くと、倒れたあたしの自転車とカバン。動かなくなった不良が2人。


 やっぱり全速力で逃げるべきだった。
 絶対こうなるから。


 かわいい普通の女子を目指して押し殺したはずの、昔のあたしが出てきちゃうから。



 どうしようこれ。せめてやられていた生徒がこれを見ていないことを祈る……


「あれ、君、もしかして……」


 と、弱々しい声。
 そうだ、さすがにこのまま放置するわけにはいかない。
 あたしは声のした方に駆け寄って……



「あー!!!」



 驚きのあまり、倒れた不良のことを忘れて大声が出てしまった。
 だって、傷だらけになっていたその顔は、あたしが今日見たばかりの顔。



 初めて見たけど忘れられない、ものすごいイケメン。



「えっと……さっきぶりだね」
「翔先輩……?」



 間違いない。
 今日の昼休みに、女子の先輩たちからキャーキャー声を浴びていた、翔先輩。
 数々の武勇伝を持つ総長のはずの、翔先輩。


 けど今目の前にいるのは、昼休みのときの姿とは似ても似つかない、ボロボロの翔先輩だ。
 上のブレザーも下のズボンもぐしゃぐしゃであちこち黒ずみ、殴られまくったであろう顔には血もにじんでいる。


 見とれてしまうような美形でなかったら、翔先輩だと信じられないぐらいだ。



「今さらごまかしても無理だろうね……うん。オレは翔だよ。失望した?」
 失望というか、なんというか。
 あたしは頭が混乱するのを抑える。


 よりにもよってあたしの暴れっぷりを見たのが学校の有名人だった。
 しかもその相手は、あたしが持っていたイメージと全く違う姿で目の前に転がっている。
 どうする? 翔先輩が見てないことに賭けて、逃げる?


 でも。
 あたしは翔先輩の顔をもう一度チラリ。



 やっぱり、見覚えある気がする。
 紅陽に入学するよりも前に、どこかで。



「女のくせに……」
 その時、翔先輩とは違う声。
 はっとして横を見ると、壁に身体を打ち付けた2人目の不良が立ち上がろうとしている。


「先輩! 一旦逃げましょう!」


 あたしは自転車を起こしてカバンをかごに入れる。
 そして壁にもたれかかっていた翔先輩を無理やり立ち上がらせ、荷物置きに乗せた。
 2人乗りなんて悪目立ちしたくないけど仕方ない。


「しっかりしてください! 振り落としますよ!」


 あたしは本気の全速力でペダルをこぎ、薄暗い道を抜け出した。