「会えるんですか?」
「だって、修が入院してるの、ここの病院だし」
あ、そうなのか。
その可能性は全然考えてなかった。
「事故にあったの、この近所だったからさ。お医者さんが言ってたよ。『ようやく翔くんが退院と思ったら、今度は修くんが入院とは。君たちとうちの病院は縁があるみたいだね』って」
冗談交じりに言う翔先輩。
でも、もちろん修先輩が入院なんてしてほしくなかったはずだ。
「オレと違って、修は命に別状はないらしいからそれが何よりだよ。ちょっと面会できるか聞いてみるね」
あたしの返事を聞く前に、翔先輩はゆっくり立ち上がって受付の方へ歩いていく。
「って、あたしが行って大丈夫なんですか? 修先輩って、あたしのこと」
「大丈夫。本当のことを、全部話してる。朝井さんに助けてもらったこと、一緒に特訓してること」
……まあ、それなら良いか。
あたしも、本来の総長である修先輩を一度見てみたくなったし。
***
面会は、普通にOKだった。
ただ、翔先輩は自分の検査結果を待ってから行くとのことで、先にあたしだけで行くことに。
受付で言われた病室の前に着く。
部屋番号の下に『日暮 修』とだけ書かれた、狭い個室。
この扉の向こうにいる修先輩は、どういう人なのだろうか。
あたしのことは翔先輩から聞いているらしいけど、そうはいっても初対面。
突然翔先輩と特訓なんか始めたあたしを、どう思っているだろうか?
いやいや、多分いずれ修先輩には会わなきゃいけなかったと思う。
それこそ退院すればまた学校に戻ってくるんだし。
あ、でも修先輩が戻ってきたら、翔先輩が総長として頑張る必要も、特訓する必要もなくなる……?
ええい、そのときはそのときだ。
あたしは扉をノックする。
返事はないので、そのまま扉を開けた。
ちょっと歩くと、すぐに狭い部屋。その半分以上を占める大きなベッド。
そこには、左足と右手に包帯を巻かれた人が上体を起こして座っていた。
「初めまして」
「初めまし……」
返事しようとして、あたしは固まった。
だって、その人の顔に、あまりにも見覚えがあったから。
翔先輩によく似ていたから、というわけではなく。
もっと昔に、あたしはこの人と会っていた。
「しゅうくん…………?」
思わず出てしまった声とともに、あたしの記憶の扉が開く。
初めて会ったのは、あたしが小3になったばかりの頃。
違う小学校だったから公園で一緒に遊ぶだけの仲だったけど、あたしのいたグループともすぐに仲良くなった。フルネームとか、互いに知らないことだらけだったけど、そんなことは気にならなかった。
あのときから顔が良かった。それだけでなく優しくて、あたしがばんそうこうを貼ってるとその上をさすってくれたりとか、お菓子を分けてくれたりとか……そういう思い出がどんどん出てくる。
あたしが中学受験することを決めて、公園で遊ばなくなってからは会わなくなったけど、それでも心の中にはあの子の存在が残っていた。
怖い、と言われたあのシーンとともに。
あたしが初めて、好きだと思った相手。
「……君、もしかして……すずちゃん?」
向こうも、明らかに驚いた顔をしている。
まだ、あたしのことを怖がっているだろうか。
「……そうか。翔と一緒にいるのがすずちゃんで、安心した」
安心?
「しかしすごい偶然だな。あのときオレを助けてくれたすずちゃんが、今度は翔を守ってくれるのか。変なことに翔が巻き込まれてないか心配だったけど、おかげで気分晴れたぜ」
ベッドの上のしゅうくん――修先輩はにこっと笑う。
その笑顔は、やはり翔先輩にそっくり。鍛えていることがすぐわかる体格は翔先輩と全然違うけど、本当に双子の兄弟なんだ。
でも。
「あの……しゅうくん、いえ、修先輩……良いんですか? あたしで」
「むしろめちゃくちゃ良いよ。すずちゃんが強いのは、オレはわかってるし」
「いや、そういうことじゃなくて」
怖い、と言われたのはあたしが小4になる前の春休みだったはず。だから3年前。
その3年で修先輩の気持ちが変わった可能性もある。
でも、少なくとも修先輩は、あたしのことはちゃんと覚えてたわけで。
「その……あたしは、昔、修先輩に……」
しゅうくんという名前は忘れかけていたけど、あの光景だけは今もはっきり覚えている。
いつものように公園へ行ったら、しゅうくんがあたしの学校の6年生たち数人に囲まれていて。
身体がぶつかったとか、ささいなことからケンカになったらしくて。
1対複数でしゅうくんが手も足も出なくなってたところに、たまらずあたしが入って、しゅうくんを守ってるうちに、結局相手をみんな倒しちゃって。
得意げになったあたしが振り返ったら、しゅうくんがおびえていて。
「怖い、よ……ぼく、すずちゃんが、怖いよ……」
そう言っていたあのときのしゅうくんが、今3年ぶりに目の前にいる。
同じ学校の先輩として。
あたしと特訓している翔先輩の、双子の兄として。
「昔……ああ。そうだオレ、朝井さんに……すずちゃんに、謝らなきゃいけないことあるんだ」
修先輩の顔が、なんだか真面目になる。
あたしは来客用の丸いいすに腰を下ろし、背筋を伸ばす。
「あのとき、怖いなんて言って、ごめん」
そして、とっても丁寧に、修先輩は頭を下げた。
「びっくりしたんだ。すずちゃんが強そうだなってのは、もうなんとなくわかってたけど、それでも年上の男子を何人も1人で倒しちゃって……身体が、震えてた。それでつい、あんな言葉が出ちゃった」
修先輩、仕方ないですよ。
普通に考えたら、2つ年上の男子を何人も相手にして勝っちゃう女子なんて、おかしいはず。
特に修先輩は、他の子に比べてあたしのことを良く知らなかったわけだし。
「でもあの後、オレ考えたんだ。怖かったけど、負けてらんないなって。あんな強い女子がいるんだから、オレも男として頑張らないとって思った。オレには翔もいたし」
そういう修先輩の目は、優しい。
少なくとも、あたしを怖がってはいない。
「だからオレ、またすずちゃんに会ったら、そのこと言おうと思ってたんだけど……すずちゃん、あの後公園に来なくなっちゃったから」
それは、あたしが中学受験すると決めたからだ。
力を見せつけるのはやめようと。
好きな子に、怖いなんて言われたくない。
あたしは普通のかわいい女子として中学デビューする。
そのためには、あたしのことを誰も知らない環境じゃないとだめだ。
大半の同級生と同じ市立の中学校では、あたしのイメージは変えられない。
そして、当時のあたしは中学受験できるほど成績が良くは無かったから、必死で勉強しないとダメだった。
だから外で遊ぶのを止めた。
もうしゅうくんに会えなくなるのもわかってたけど、それも承知の上だった。
どうせ怖いなんて言われて、どんな顔して会えばいいのかわからなかったし。
「それは」
言いかけたあたしの声が止まる。
怖いって言われたから公園に行かなくなった……なんて、当事者の修先輩に言えるわけがない。
「もしかして、オレがまだすずちゃんのこと怖がってる、って思ってる?」
!
驚きが顔に出ようとするのを、必死に抑える。
「もしそうなら、大丈夫。今はオレも強くなったし……って、この身体で言っても説得力ないか」
修先輩は包帯でぐるぐるにされた右手を少し動かす。
突然、数ヶ月の入院を余儀なくされた人とは思えないほど、修先輩は元気だ。
「ねえ、オレの身体が治ったら、すずちゃんと勝負したいんだけど、良い?」
「ダメですそんなの!」
修先輩、元気すぎる。ファイティングポーズ取らないでください。
総長――学校の有名人相手に、そんな目立つことなんかごめんだ。
「冗談だよ。翔から聞いてるから。すずちゃん、今は自分のことあまり周りに言ってないんでしょ?」
「そうですよ。あたしは普通のかわいい女子を目指すんです」
「わかってる。すずちゃんの決めたことにどうこう言うつもりはオレもないよ。あ、でも……」
そこで、ちょっとだけ修先輩が上を向いた。
数秒、ぼんやりとして。
そして、真剣な目で、あたしの方を見て。
「翔は、強い方のすずちゃんが好きって言ってたよ」

