矢吹くんが甘やかすせいで

学校には何とか間に合ったものの、私は教室の隅で一人悶々としていた。

「ちょ、妃奈、顔こわいよ?大丈夫?」

「いや、少し考え事してるだけ…」

ホームルームが終わってもなおうわの空の私に、親友の望月佳音(もちづきかのん)がとうとう見かねて話しかけてきた。

「何?妃奈がそんなに考えるなんて珍しい」

「うーん…佳音、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけどさ」

心優しい友人は私の前の席の椅子を引き、後ろ向きで座って聞く体勢をとってくれる。

「うん、どうしたの?」

「最近さ、矢吹くんの様子が変なんだよね」

「変ってどんなふうに?」

「なんかこう…妙に私にかまってくるっていうか。例えば、前から夜遅くなったときに送り迎えをしてもらうことはあったんだけど、最近は通学もほとんど一緒なの」

「え?でも矢吹くんの高校はあっちだよね?」

「そうなんだよね…」

迷わず矢吹くんの高校がある方角を指す佳音は、矢吹くんを知っている。

いや、もはや『知っている』の範疇ではない。

実は佳音は、この学校に矢吹くんのファンクラブが存在していた頃、そのファンクラブの代表を務めていたことがあった。

…佳音はいわゆる、面食いなのだ。

「でも朝からあんなイケメンを拝めるなんていいなあ。それの何が不満なの?」

「不満とかじゃないんだけどね。ただほとんど毎日送ってもらってるから、なんか過保護すぎるっていうか…」

「いいんじゃない?私は矢吹くんがそうしたいからしてるんだと思うし。甘えときなよ」

ひらひらと手を振って軽く受け流す佳音に、私はさらに詰め寄った。

「それだけじゃないんだよ!」

「な、何…?」

「ちょっとこっち来て」

「ねえ何なのー?」

面倒くさそうについてくる佳音を教室の隅まで連れていくと、私は声を潜めた。

「それに、毎週のように聞かれるの!『彼氏できた?』って!」

「えっ、妃奈、それって…」

「うん、やっぱりそうだよね」

「そうだと思うよ」

「矢吹くんは…」

「私に彼氏ができないことを心配してる!」
「妃奈のことが気になってる!」

二人で顔を見合わせてきょとんとした。

てっきりお互い同じことを考えていると思っていたので、違う言葉を発して驚いたのだ。

次の瞬間、佳音が小声で話していることも忘れて叫んだ。

「はあ?!あんた何言ってんの?!信じられない!」

「ちょっ、佳音、声!声!…っていうか『気になってる』ってどういう意味?」

「あ、ごめん…それはいいとして、本当に矢吹くんが妃奈に彼氏ができないことを心配してると思う?」

「え、だって女子校でもないのにこの年まで彼氏いないんだよ?佳音だっているじゃん、ダーリン」

「まあそうなんだけど…」

佳音には付き合って一年半の彼氏がいる。佳音はそのお相手をダーリンと呼んでいるらしい。

「にしてもだよ!鈍感すぎるって、妃奈…」

「どういうこと?」

「あのねえ…いや、これは私が言うことじゃないわ。あー、矢吹くん可哀想…」

「え、何で?どうして?!」

「言うわけないでしょ!そんなに気になるなら自分で聞いてみてよ!」

「…佳音の意地悪」

「何とでも言いなさい」

「…」

結局、モヤモヤは晴れることなく下校時間になった。

 * * *

『今日はダーリンと帰るね』と言って去っていった佳音を見送って、昇降口で靴を履き替えていると校門付近に小さな人だかりができていた。

嫌な予感がする…。

トントン、と靴に足を入れこんで歩いていくと、こちらに気づく人物が一人いた。

「妃奈!」

「矢吹くん…」

人だかりの中心にいたのはやはり矢吹くんだった。

「矢吹くん、帰ろっか」

「うん!」

矢吹くんは囲まれていた女子たちに笑顔を振りまき終えると、私のほうへ駆け寄ってきた。

「矢吹くんも大変だね…」

「え?何が?」

「いや、あんな大勢の人たちに捕まって大変そうだなって思って」

「うーん、慣れてるからそんなに大変とは思わないかな」

「…さすがです」

「ん?聞こえなかった」

(あえて小さい声で言ったんだよーだ)

「何でもないよ」

「そう?」

やっぱり、ない。

佳音が言ったからちょっと考えてたけど、こんなに人気者な矢吹くんが私を気になるなんてないよ。

…あーあ、ちょっと期待しちゃったな。

その後、私の元気がないことを察したのか、矢吹くんは横に並んでずっと話しかけてくれていたけれど、その内容は私の頭に全然入ってこなかった。