世界はそれを愛と呼ぶ




「当主って、大変だねぇ」

どこか他人事の沙耶。

「お前は健斗さんの後を継がないの?」

一応、黒橋家の唯一の娘。
相馬の問いに沙耶は目を丸くすると、首を横に振り。

「継がないよ。だって、大樹お兄ちゃんがいるでしょ。その為に、お兄ちゃんはお父さんの会社で働いてるの。私がそれを許す……っていうと、変な話だけどね。私は家業に興味が無いというか、そんなことを考えたことがない。将来の夢なんて、生きている前提で生み出されるものでしょう?これから見つけるの」

「なりたいものとか、なかったのか」

「……幼い頃はね、あったよ」

少し間を置いて、呟く沙耶を横目に相馬は専用のカードキーを翳し、自動で開いた数字のキーパッドで暗証番号を打ち込んで、最後に指紋を確認させる。

「笑わないで欲しいんだけどね」

「うん」

人の夢など、笑うつもりがない。
だって、相馬も将来の夢なんて可愛いものを描いたことがないから、そういうのを描ける環境ではなかったから、沙耶の気持ちはよく分かる。

「…………お姫様、お嫁さんにね、なりたかったの」

言いにくそうに、

「アイラたちの幸せそうな姿が、憧れで」

目を細めて、懐かしむように。

「“愛”と呼べる空間が、大好きだった。暖かくて、優しくて、安心するの。何でもない朝もいつもキラキラ輝いていて、朝が来るのが楽しみだった。何も要らなかった。大好きな人達が笑いあって、そんな……そんな日々を築ける人と家族になるのが、そんな人のお嫁さんになるのが夢だったの。その人だけの、お姫様に」

沙耶は自分の手を見ながら、

「5歳のあの日に、全てを無くすまでは。……それだけで良かったの。それだけで、幸せだった」

苦しげな横顔に、全てが詰まっている。

“自分が壊してしまった”と、静かに語る。
……それを否定しても、彼女は救われない。

抱き寄せようとして、相馬は止まった。
出会ったばかりで、婚約を強引に結んで。
ここでそんなことをすれば、彼女を怯えさせる。

傷を舐め合うように身を寄せ合うことは容易だけど、それは決して、俺達が望むような愛などではないだろうから。