「……番は、どんなに拒絶しても逃げられない。逃がしてやれない。どんなに嫌っていても、運命ならば、俺達は決められた夜に渇きを覚えて、求める。一方、契約は違う。不安定だ。薄氷の上のような約束に過ぎない。どちらかの心に、何かしらの影が宿れば、自動的に契約破棄される」
兄さんはそう言いながら、水樹の前髪をあげると、生え際にある刻印に触れた。
「大変な番契約は、消えることは無いけれど。この刻印契約は、消えるものなんだ」
「自動的に消えるのは初耳だけど……ほら、特に文献も残ってないし?でも、だから?それの何がダメなの。代償で二度と結べなくても、番契約は結べるでしょ?」
「ああ、結べるさ。祖父母が良い例だな。刻印契約を結んで、入籍した翌日に祖父の浮気疑惑で、祖母は家出した。刻印契約は破棄されていたが、戻ってきてから改めて、番契約を結んでいる」
「じゃあ、良いんじゃ……?」
「繰り越し、が起こるんだと思う」
「繰り越し?」
「そう。当主だから、俺は色んな話を聞く。聞きたくなくても、聞かなくても良いことでも、勝手に情報が入ってくる。祖母が伯父達を産んだ時、難産だった話は聞いたことないだろ?」
─正直、兄さんが何の話をしているのか分からなかったけど、何も知らない事実はきちんと受け止め、知らなければならないのだと、水樹は向き合った。
「鬼の子だ。しかも、双子だ。それを、御園の家の中ではなく、息がかかった病院ではなく、祖父に気づかれぬように静かに、ひとりで祖母は双子であった伯父達を産み、育て上げた」
─鬼の力が強い子どもは、十月十日ではない。
常識から外れ、早く成熟し、産まれてきてしまう。
それは、鬼の力が強い兄さんが良い例だった。
「陽向さんはともかく、陽希さんは先代の鬼の主……里で、帝と呼ばれた人だ。姫と呼ばれた母と同じ、御園の三貴(サンキ)のひとり」
三貴─それは、当主、鬼帝、姫巫女の三人を指す。
御園家において欠かせぬ、選ばれた存在として大切にされるはずの存在である。
相馬兄さんは当主と鬼帝を兼任、姫巫女は姉の京子が務めている。
「なのに、祖母は十月十日、その腹で育て上げ、普通のお産で産んでいるんだ。難産だったとされている。2日ほどかかったと。しかし、本人は痛みを全く感じなかったゆえ、その後、父さんと叔母の出産では、三途の川が見えた気がすると話していた」
「難産だったのに、無痛?それって……」
「父と叔母の出産に立ち会っていた者によると、普通のお産とは違った、祖母が死ぬかと思った、と、語ってくれた。本人は『三途の川』と笑っていたが、祖父曰く、何度も何度も痛みで気を失い、父の時は心臓すら一度止まったという話だから、番制度がなかったら、祖母はもう……俺の予測では多分、伯父達の時の痛みが繰り越されたんだろう、と考えている」
それはつまり、祖母が死んでいた可能性があるということだ。
「……2倍の痛みって、こと?」
「わからん。一生、それは俺でも経験出来ないから。でも、双子だから……父さんの時に、その分もかさ増しで襲ってきていたならば、祖母の強さに感謝するよ。ひとり産むだけで、交通事故重体レベルだと聞く。それが、軽く見積って、一人にも関わらず、痛みが三人分ならば?……蓄積されていたんだろう、と、考えるのが妥当だろ?」
「で、でも、それって何が原因なの?刻印契約のせい?」
「……あくまで、俺の予想だよ」
兄さんはどこか悲しそうだった。
悲しそうな顔で、何を見ているのだろう。
「千華さんは、御園の呪いの研究をしている」
叔母の名前。叔母の話。全てを捨てて逃げた、自由人。
「17歳で、御園の恩恵全てを捨てて逃げ出した叔母は、異常な程の執着を父さんに持ち、父さんを巻き込んで傷付けた母さんを憎んでいた。千華さんははっきりとした人だから、父さんの優柔不断さにも怒っていた。外に出たから、冷静に物事を見ることが出来るんだろう。時折、俺の前に現れては、少し話して消えていく。そんな感じで、俺としては彼女を縛り付けるつもりもないから、放置していたんだ。そしたら、この街に来たばかりの頃、沙耶とは深く関わる前、希雨の件で悩んでいた俺に報告書と言わんばかりのPDFを送り付けてきた。その中に、刻印契約について記してあったんだ」
どのように生活しているのか。
何を思って飛び出したのか。
何も分からない、よく知らない叔母。


