世界はそれを愛と呼ぶ




「……」

街への出入口で、渡されている個人カードを機械にかざし、指紋認証をし、街へと侵入する。

出入口にいた警備の人間は見たことがない顔だったから、ここ1年前後の新人なのだろう。
─少し、否、かなり見られている気もするが、明らかに怪しい格好をしているからであり、勘付かれたわけでは無いと信じたい。

「ほんと、久々……」

キャリーケースを引きずりながら、サングラスを外す。
顔を見られないよう、深く被っていた帽子を少しあげると、光が視界に差し込んでくる。

海外のような街並みを意識して造られた、パッと見の景観が複雑な、国から独立した、沙耶の両親が治める街。

沙耶の家はそんな街の割と中心部にあり、久々に見る我が家は変わらず、大きかった。

3階建ての我が家は少し不思議な造りをしており、地下は駐車場、1階はキッチンやリビングがあり、何故か2階に玄関がある。

つまり、家に入るには階段を上がらなければならず、1階の窓から出れる1階の庭にはかつての黒橋旧家と繋ぐ廊下や花々が咲き誇っている花壇があるが、沙耶はそこがとてもお気に入りだった。

旧家と本宅を合わせると、我が家は円を描くような形になっており、その分、部屋が多く作られている。それらの部屋は住み込みで働いている者たちの個人部屋として与えられているが、沙耶の部屋は変えられてなければ、本宅の3階、日当たりが良い部屋だ。

家の真ん前で立ち止まって、家を見上げる。インターフォンを押す勇気も、自らで鍵を開けて家に入る勇気もなく、立ち止まっていると。

「─入らないのか?」

背後から急に声をかけられ、驚いて、身を震わせる。
勢いよく振り向くと、そこにいたのは。

「おかえり、沙耶」

「大樹、お兄ちゃ……」

「うん?…お前、また痩せたなぁ。ご飯食べてたのか?」

両頬を優しく包み込まれ、声が震えそうだ。
泣きそうだ。久々に感じた、大切な人の体温に。

「な、なんで……っ」

今日は平日だ。兄は、普通に仕事のはずなのに。

「夏生(ナツキ)が、お前から電話があったんだ〜!って、数日前から大騒ぎでな。暫く、会社に休みを貰ったんだよ」

「そ、そんな、ごめ…私、迷惑をかけるつもりじゃ…」

また、裏目に出た。わざわざ兄に休みを取らせるなんて。

「こーら。なんで謝る。俺がお前にいち早く会いたかっただけなのに。有給も死ぬほど余ってて、休み取るように言われていたんだよ。……だから、そんな顔をするな」

「で、でも」

「でも、じゃない。─全く。何で、そんなに怯えた顔をしてんだ?怒られるのが怖いか?……まぁ、間違いなく、怒られはするから、それは覚悟しておいた方が良いけど。でも、それ以上に心配していたから怒っているんだと、自覚しろよ」

「わっ、私……」

「沙ー耶。お前はいつもそうやって俺達の言葉を否定して、目を逸らす。まぁ、そうさせる原因が俺にもあったんだけど。お前に向き合えなくて、昔逃げちゃったし。でも、そんな俺をお前は何も変わらず、『おかえり』と言ってくれた」

だってそれは、沙耶が悪いからで。沙耶がいなければ、兄が家を出てしまうほど辛いことは起こらなかったはずで。

「それが、凄く嬉しかったんだ。いつからか、すごく傷ついた顔をするようになったお前に胸が痛くなった。お前は俺にとって唯一の妹で、愛しているから。……本当は馬鹿みたいな行動をしたことを怒るべきだろうけど、怒れないな。そんな泣きそうな顔をされちゃ」

大樹兄の手が、頭を撫でる。
温かくて優しい手にほっとして、泣きそうで。
嗚呼、やっぱり、ここに帰ると、泣き出してしまいそう。

「だっ、だって……」

大樹兄は息をひとつつくと、優しく抱き締めてきた。
言わなくちゃいけない。優しいこの人に。
─大樹兄に伝えなくちゃいけない、多くのこと。

「やっぱ、痩せたなぁ……お前」

そう言いながら身を屈めて、優しい手つきで背中撫でて。
その優しさに、懐かしさに、涙が零れていく。
耐えられなかった。
身体が安心しているのか、喉が震える。
─そんなもの、捨てなくちゃならないはずなのに。

「おかえり、沙耶」

「っ、……、」

温かくて、温かくて、どうしよう。辛くて、もう。

「無事で良かった、会いたかったよ」

「……っ、ご、ごめんなさい」

「うん」

「た、っ、ただいま……」

「うん、おかえり」

優しい声に、手つきに、全てに甘えたくなる自分は昔と変わらなくて、突き放すだけの強さもない。

堪えなければならない涙も、声も、呑みこむことが出来なくて、呑み込もうと思っても、それを大樹兄が阻む。

「沙耶、何があっても二度とこんなことしないで」

「っ、」

「沙耶、俺たちから可愛い妹を奪わないで」

……頷くのが、精一杯だった。何も言えなかった。
胸が痛くて、苦しくて、逃げ出したいのに逃げたくなくて、でも、逃げなくちゃって思いもあって。