世界はそれを愛と呼ぶ




「……番のこと、教えないのか?」

「教えないよ。教えたら、本能が鈍るだろう?」

陽向は微笑んだ。未来なんてものは、知らないに限る。

「実際、再会出来るかも謎だしね〜」

「まぁ、あの街で1年も過ごせば、ほぼ確実に顔は見そうなものだけどな」

「どうだろうね……噂によると、彼女は今、行方不明らしいんだけど」

「行方不明!?」

「うん。あ、事件とか事故とかじゃなくて、どうも家出に近いみたいだけど」

彼女の父親とは、それなりに長年の付き合いがある。
一般人の枠でありながら、一般人の枠から逸脱しているような彼は娘が急に居なくなった時、事件や事故じゃないことを確認するや否や、『好きにさせぇ』と言った。

彼はかなりの愛妻家であり、妻以外の人間は割とどうでも良いと考えるタイプの人間であることは知っていた。
同時に彼のことについて仕入られた情報では、娘などに対しても、基本的に放任で無関心だと記してあった。

しかし、仕事関係たまたま居合わせ、横で聞いていた陽向からすれば、彼がそう見えるように振舞っているに過ぎないだけ。

彼は彼なりに家族を、それに娘を大切にしている。
『好きにさせぇ』と言った彼の横顔には、【心配】。

「家出か……事件や事故じゃなくて良かったが、親としての立場を知っている以上、どこで何をしているのか、気になって仕方がないな」

「それはまぁ、彼が上手くやると思うけど」

「……相馬には、甲斐をつけるのか?」

「うん。あいつは自分のことを報告しないからね。定期的に、様子を教えてもらうつもり」

「それがいい。─今度こそ、目を離すべきじゃない」

ずっと後悔している。可愛がっていた、従姉妹だから。
ずっとずっと、後悔している。あの日、背を向けたこと。

そして、ずっとずっと言えないでいる。
鈍い陽希が知らない、知ることがない話。

『……陽向兄さん、ずっと言えなかったんだけど』

弟が、春馬(ハルマ)が失踪する前、かけてきた電話。
その電話で静かに泣く春馬の後ろでは、複数の子の泣き声が聞こえていた。遠くでは、和子の声が─……。

『あ、和子が呼んでる……ごめん、陽向兄さん、僕』

『言え、春馬。お前、何を隠している』

『「ハルくん、ハルくん、どこ……」』

『「俺はここだ!和子!」』

聞こえてきた彷徨う声に、即座に答える弟。
その口ぶりは弟らしくなく、それはまるで。

『…………春馬?』

『陽向兄さん、陽希兄さんには内緒にしてね』

─まるで、時が止まってしまったかのようだった。

あの日、すぐに家に飛んで帰っていれば。
そうすれば、何か違ったのだろうか。
翌日の夕方に帰った時には、既に春馬はいなくなっており、1歳未満の双子の弟達をあやす総一郎は笑った。

『よく頑張った方ですよ』

京子は泣いていた。
相馬は何も知らない顔で、本を読んでいて。

それはもう、異様な光景だった。



『……和子はね、ずっと、陽希兄さんが好きで、陽希兄さんのそばにいたくて、陽希兄さんを呼んでいるんだよ』



優しい弟は愛という名の呪いに縛られ、そして、静かに壊れて、消えてしまった。