「─これで、本当に良かったのか?陽向(ヒナタ)」
書物を片手に自室で寛いでいると、双子の兄の陽希(ハルキ)が問うてきた。
「何の話?」
書物を閉じて姿勢を正せば、陽希は陽向の周囲に集まる膨大な書物に視線を投げ。
「希雨の件に関しては、本当に有難いと思っている。だが、それでお前や相馬に何かあることを、俺は望んでいない。無理をするのは……」
御園希雨─数年前に誘拐され、帰ってきて2年。
ずっと眠り続けたまま、目覚める気配のない陽希の娘。
「馬鹿言え。希雨の件で、魅雨(ミウ)が憔悴しきってる。その影響で、お前も体調が優れないくせに。人にあれこれ言う前に、目覚めさせる方法を見つけろよ」
「陽向……」
「相馬が言っただろ。希雨はもう、もって半年だと」
「……」
「希雨は可愛い姪で、産まれた時から見てきた。─簡単に、御園の呪いだから仕方がない、はいそうですか、と、諦めてたまるか」
御園陽希と御園陽向は、産まれてから17の年になるまで、母親ひとりの手で育てられてきた。
物心ついた時に父はおらず、勝手に、離婚したものだろうと思いながら、家族3人で慎ましやかに生きていた。
普通の高校で、無難に将来は公務員かな、なんて悩むような、そんな普通の、どこにでもいる子供だった。
大学進学なんて、考えたこともなかった。
これ以上、母の負担になることは考えていなかったのに。
『─これ、好きに使いなさい 』
ある日、母から渡された通帳。各々の口座。
自分の名義のそれを開くと、0が8以上……それ以上は怖くなって数えることをやめ、母に怪しいお金の出処について、ふたりで問い詰めたら、母は。
『それはあなた達の個人資産よ。あなた達の父親から与えられる、お小遣いみたいなものね』
当時はお小遣いという名目で、簡単に億単位の金銭を渡される高校生の身になって欲しいと震えたが、その後、両親が仲直りし、引っ越すとなった時、母さんは言った。
『貴方達は、いつでも逃げていいからね』
そして、父を名乗る御園当主─父さんが、
『口座のお金は上手く使いなさい。足りなければ、言って。─お前達が、常に幸せであれる道を選びなさい』
と、微笑んだ。
普通の高校生として生きていた陽向達からすれば、両親の言葉の意味は分からなかった。
そこら辺にある施設も、一流として有名なホテルも、レストラン、高層マンションや大企業、何もかもに名前が存在する【御園】。その名前が持つ権力は大きく、そんな家の、しかも、本家本流当主の血を自分が継いでいると知った時は、流石に目眩がした。
母さんが陽向達に通帳を渡してきた時点で、両親は仲直りしていたと聞いた。最初の方は母さんの行動が理解できなかったけれど、御園に深入りしていく度、馴染んでいく度、落ち着いて見回す度、母さんは本気で陽向達が【御園】に囚われることがないよう、逃がそうとしてくれていたことに気付いた。
同時に、そんな場所に父さんをこれ以上ひとりにしないよう、自分が共に堕ちる覚悟もしていた。
『そもそもそういう覚悟で、あの人の愛を受け入れたの』
─ならば、なんで逃げたんだよ。と思いはしたが、口にしなかった。御園を知れば知るほど、逃げてしまう理由しか見つからなかったからだ。
父さんが悪いとかではなく、家自体が腐ってる。呪われている。そして、その呪いの血を、自分達は継いでいる。
普通の子供だったのに。何も知らぬ、一般人だったのに。 この家に共鳴するように、御園に戻った瞬間、自身の知らなかった全てが解放されていくような、自由になっていくような、息苦しさが無くなっていくような、そんな、ずっと感じていた違和感を失っていった。
そして、家に戻ってすぐ、母は妊娠した。弟となる男の子を産んだ。年の離れたその子を、母は守っていた。
母さんも怖かったと思う。
純粋無垢な赤ん坊が、この家の闇に染め上げられるんじゃないかと、怯えていたんだと思う。
弟は、春馬(ハルマ)は、とても可愛い子だった。
にこにこ笑っていて、素直で優しく、甘えたで。
そんな弟を可愛がっているうちに何年も経って、気付けば、【御園】から逃げ出せない。
─ならば、と、覚悟を決め、陽希と陽向は御園で生きる覚悟をした。春馬とその下に生まれた妹の為にも、逆に残って、両親を支える道が良いと思った。
母さんに親孝行もしていなかったし、当主である父さんに自分たちという大きな隠し子がいたと話が水面下で広まっていると聞いてしまった以上、自分たちがいなくなると、その後始末は大変だと思ったからだ。
何より、本当に【変わってしまった】。
外では生きていけないだろうな、と、ぼんやりと感じてしまうような身体になってしまっていた。
─様々な理由で覚悟を決めた。
今日まで、色んなことがあった。
あんなに可愛がっていた春馬はいなくなった。
守りたかった妹の千華(チカ)も、この家を飛び出した。
残された春馬の子供達は、産まれた時から【御園の子】。
陽希や陽向とは違う、生まれた瞬間から、“普通”とはかけ離れてしまっていた子達。


